'12-14 40倍ズームの威力は?

5月というのはもっと天候が安定するのではないかなぁ? と思っていますが、どうも今年はそうではないようです。
そこで昨年の手帳で天候を確認してみたら これは私の身勝手な想像だったようで、今年同様にあまり晴れの日は続いていないようでした。

こんなことで、三国街道での峠越えなど山間部の雨中歩きはゴメンなので、街道歩きの日程が決まらず困っています。

それでも時間があれば歩行トレーニングは続けていて、15~20キロくらいの距離をカメラと一緒に歩いています。

今回は、昨日(5/14)撮り立ての生きの良い?写真を投稿します。

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私のイエの傍にあるゴルフ練習場で、数年前までは毎日のように通い詰めていました。
その結果は哀れにもハンデが上がることもなく、只の無駄遣いだったのです(苦笑)

その後、腰椎手術をしたのでゴルフは諦めてしまいました。
その理由・・・術後、練習場へ行って打ってみましたが、腰が心配で・心配で隣の打席の女性よりもボールが飛ばなかったからで、これには我ながら愕然としてしまいました。

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1キロほど歩くと公園があり、そこには睡蓮?が咲いていましたし・・・

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この様なせせらぎもあって、休日などは幼児の良い遊び場になっています。

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この公園の傍には「花○川」という川があり、時にはこんな釣り人も居ます。
只、釣れているのかどうかは定かではありません。
これでは岸辺で釣り糸を垂れ、鯉や鮒を狙う方が釣れる確率は高いのでは と余計なことを考えてしまいます。

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川沿いにはこの様なログハウスも建てられ、天体望遠鏡などもあって(左端)、ここなら街灯などの邪魔もなくきれいな星空が眺められるのではないでしょうか?

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ここは睡蓮の公園とは別なのですが、遊具などもない自然公園でこの様な東屋も建てられています。
ここは写真のように樹木が多いので、これからの酷暑には打って付けの涼しさを味あうことが出来る憩いの公園です。


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この写真は40倍ズームで赤点線の箇所をズームアップしたものですが、これを見るとコンパクトデジカメなどと侮ってはいけません。

それに私のカメラは主にブログ用に使い、写真をプリントすることもないのでこれで充分過ぎる機種ですし、1眼レフのようにかさばらず・重くもないので、持ち歩きにも重宝していて「三国街道歩き」では活躍してくれる筈です。

 
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このように千葉市でありながら市の外れに行くとまだまだ自然がいっぱいの所が多くあり、こんな所で歩行トレーニングをしていて昨日は16キロほど歩いてきました。

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'12-13 「スーパームーン」

月が地球に一番近づくのは、日本では6日の昼の12時34分なので、日本でスーパームーンとなるのは5〜6日の夜、6〜7日の夜だ とのことなので、スーパームーンを検索してみたら・・・

【 月が地球に大接近する「スーパームーン現象」・・・今年('12/5)の『スーパームーン』は通常の月より14%大きく見え、また明るさは30%も増すとのこと。

スーパームーンが起こると、海の満ち潮が数cmほど高くなったりするようですが、天災を誘発したりということはありません。
NASAでは「スーパームーンと天災や犯罪との因果関係は認められない」ため、安心して5月5日の晩の月を楽しんでほしい 】

とのことだったのでスーパームーン見物をしてみましたが、私のような者にはその違いはマルッキリ判りません。

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   5/6 23時過ぎ に撮った月
撮った時の月はほぼ頭上(12時方向)にありました

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   5/7 21時頃 に撮った月
撮った時の月は10時方向くらいだったでしょうか、斜め方向にあってだいぶ赤みを帯びていました。

(いずれも三脚は使わず手持ちで撮りましたが、まだ体に震えは来ていないようです 笑)

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'12-12 「三国街道歩き」のこと

来月(5月)の中旬過ぎに「三国街道歩き」をスタートしようと思っていますが、諸般?の状況からルートを少し変えようと思っています。

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1), で囲った点線部分で、「渋川から猿ヶ京まで」のルートです。
変更理由
1,渋川の上に「高山村」がありますが、ここの宿泊施設がチョット立派すぎてしまい、予算オーバーしてしまうこと
2,山あいを歩くようなので眺望がどうなのかなぁ と心配なこと

そこで考え出したのが下のルートですPhoto_5
旧三国街道(赤点線)は「渋川」を出ると真っ直ぐ北上し、金比羅峠あたりで少し西方向に向きを変え、「須川宿」を経由し、「猿ヶ京」を通り「三国峠」に向かったようです。(その当時は「赤谷湖(赤谷ダム)」は有りませんでした)

私が変更しようと考えたのが(黒点線)で、これは上越線沿いに歩いて沼田に泊まり、後閑駅傍で左折して「三国街道」に合流しようというルートです。
このルートには上越線が利根川上流の谷に沿って走っているので、もしかすると残雪の谷川岳を正面に見て歩けるのでは と皮算用をしたわけです。

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2), もう1ヶ所の変更ルートは
で囲ったルートです。001
三国街道は「六日町」からほぼ直線的に「浦佐」に向かうのですが、最近になってこの近くに「八海山ロープウエイ」があることに気が付きました。
そこで越後の山々は全く未知の場所なので寄り道をしようと思った訳です。

ルートは六日町からバスで八海山ロープウエイ駅まで行き、ロープウエイで昇って周囲の山々を眺め、ロープウエイ麓駅まで降り、そこから「浦佐」まで歩く というコースです。

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Photo
スタートが近づくと「三国峠」の残雪状態が気がかりで、雪が少なければ「三国山」まで足を延ばそうかな とも考えています。

3), それに三国峠へは街道を歩かず、「法師温泉」の一軒宿の風情を眺めてから三国峠へ直登する なんて云う考えもあり、アレヤコレヤと頭を悩ます愉しみが待ち受けています。

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余談ですが・・・、1_2
これはお借りした画像ですが、「法師温泉」の1軒宿で撮影された『国鉄フルムーン旅行』 のPRポスターです。
モデルは上原謙さんと高峰三枝子さんで、その当時(1982年頃)このポスターが話題になった記憶があります。

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'12-11 「花散らしの雨」

私の気のせいかどうか判りませんが、今年の天気予報などで「花散らしの雨」という言葉をよく聞きます。

私が住んでいる千葉地方では 4/11 に雨が降り、今年の花見はこれまでかと思っていたのですが、午後から雨になりましたが殆ど風は吹かず、「これならまだ桜も頑張っているだろう」と言うことで再度 4/13 に桜を見に行きました。
この日の狙いは「桜吹雪」です。

けれどもこの日も風は殆どなく、桜吹雪どころかタマァ~に風が吹くと 
♪ チラリ・ホラリと花びら 
とまるで終戦後(昭和22)流行った唄のようです(港が見える丘 平野愛子唄)

それでも小一時間くらい粘ったでしょうか、これがその時撮った動画です

http://youtu.be/oCZG2kAx6jg
(これはデジカメの動画機能を使って撮りました)

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これは「初雪が降った小径」のようだったので パチリ

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'12-10 今年の花見

今年の花見は浅草の「隅田公園」、隅田川を挟んだ向島の「墨堤公園」へ行こうと思っていたのですが、諸般の事情?により行くことが出来ませんでした。
仕方なく新しいトレッキングシューズの慣らし歩行を兼ねて、近くにある公園や遊歩道などを歩き回る日々で、今回の投稿はこれらを歩きながら撮ったスナップを纏めてみました。

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左:遊歩道沿いの川で釣りを愉しんでいる人と、桜の咲き具合をパチリ(4/6 に撮ったもの)

右:遊歩道にある公園で遊び興じる子供たちをパチリ。
これも 4/6 に撮ったものですが、桜はまだチラリ・ホラリ。
それでも公園の樹のほうが川沿いにある樹よりも川風に当たらないためなのか、開き具合は公園のほうがやや先行しているようでした。

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左: 4/5 に撮ったもの
右: 4/8 に撮ったもの
この2枚は公園の池沿いに植えられた桜並木を撮ったものですが、日を変えてほぼ同じ場所から撮りました。

たった3日間でこんなに変わるのか !!  という驚きと、日々変化する自然の営みに感嘆してしまいました。

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川沿いに桜並木があって、ここでは近所の自治会主催で毎年桜祭りが開かれます。
左; 4/5 に撮ったもので、桜は殆ど咲いておらず、提灯だけが風に吹かれていました。
右: 4/9 に撮ったもので、だいぶ咲き揃っていますが満開にはもう少し という感じでしょうか。

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上の2枚は 4/8 に撮ったスナップです。
左:仲良し仲間?が打ち解けて談笑もまた楽しいひと時なのでしょう。
右:あ・うんの呼吸なのでしょうか、静かにジッと水面を眺めていました。

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4/9 に撮った遊歩道にある桜並木でパノラマ風にしてみました。
この遊歩道はサイクリング道路も兼ねているので、時々人や自転車が通り過ぎて行きます。

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4/8 に撮った寺の本堂と枝垂れ桜。
枝垂れ桜は染井吉野よりも咲くのが遅れるのでしょうか?
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4/8 に撮った菜の花畑ですが、これは近くの小学校の生徒たちが育てている と書かれていました。

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4/8 に撮ったスナップ。

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4/8 水辺で遊ぶ子供たちを撮ってみましたが、この池ではザリガニが捕れるのだそうです。
もちろん鯉も泳いでいますが、釣りは禁止になっています。

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きょう(4/11)の千葉地方の天気予報では、「風雨が強くなり、”花散らしの雨” になるでしょう」 とのことで、今年の花見はこれでお仕舞いかも知れません。

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'12-9 約1年3ヶ月でこんなに

昨年1月に「リサイクルショップのトレッキングシューズ」を買った話をしましたが、きょうはその続きを投稿します。

Photo昨年の 1/20 に近くのリサイクルショップで買った時はこのように新品同様でした。 (プライスカードこそ付いていませんでしたが、商品タグは付いていたから多分新品だと思います)

Dscn0732_2その後は散策のたびに履いていましたが、約1年3ヶ月履いた結果はご覧の通りで踵部分がすっかり擦り減ってしまいました。

Dscn0733_2仕方なくまた買い換えました。
今度の靴にはプライスカードはもちろん商品タグも付いていませんが、これも見るからに新品同様、あるいは新品かも知れません。

明日からはこれに履き替え、今年の梅雨前に歩こうと思っている「三国街道」のための歩行トレーニングを始める予定です。

Photo_5この「三国街道」のコース概略がこの図ですが、昨年('11年)歩く予定でしたが春には東北大震災があり、秋にはカミサンの入院などがあってそれどころではなく、延び延びになっていたコースです。
それでも延期したお蔭で途中で寄り道することを思い付きました。
それは「八海山」へ行くことです。考えでは「六日町」からバスとロープウエイで上り、帰りはロープウエイで降りてきてから「浦佐」まで歩こうと思っているのです。

気になっているのが今年は降雪量が多そうなので、上越国境にある「三国峠越え」が歩行可能になる時期を確認しておかなければならないことで、これがOKになってからスタートしなければなりません。
これは一昨年春に歩いた「塩の道」で、思わぬ残雪で退却せざるを得なかった苦い経験があるからです。

 
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この新しい靴は少し大きめなのでスポーツ用?の厚手のインソールを入れ、きょう (4/5) 近くの遊歩道を10キロほど歩いてきましたが、靴擦れも出来ず問題ないようですが、もう少し履き慣らすつもりです。

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これらの写真はきょう(4/5)の散歩中に撮ったものですが、場所によっては桜はまだ早いようで桜並木は提灯だけが満開。
桜は蕾ばかりですが後ひと踏ん張り ということでしょうか。 

   【終わり】

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'12-8 隅田川の河口を目指して (その1)

今回の散策の狙いですが、初めの頃は「隅田川を浅草辺りから河口まで」をと理由もなく考えていました。
が、どうせ歩くのだからもう少し上流から歩こう が、それならばいっそのこと「隅田川」に架かる全ての橋巡りをしてみよう に変わってしまいました。
隅田川には橋がいくつ架かっているのか知りませんが、出来れば全ての橋の写真も撮ってみよう と思うようになりました (こんなことをしても何の役に立つ訳ではありませんが 苦笑)

Photo_2                    (ルート図 その1)

'12/3/14(水) の東京散策は「赤羽駅」をスタートし、北東方向に向かうと「岩淵水門」があり、ここで隅田川と荒川放水路に分流するわけで、現在ではここが隅田川の始まりのようになっているようなので、この
岩淵水門から河口に近い「勝鬨橋」まで歩きます。

ただ神社仏閣や名所・旧跡に寄り道する時間はなさそうなので、ヒタスラ歩くことになりそうですが、マァ途中で出会ったら証拠のパチリはするつもりです。

 
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Dscn0391これは赤羽駅近くの宝憧院前にあった「道標
北区教育委の説明版には・・・宝憧院前は、板橋道が日光・岩槻道と合流する位置でしたので、石柱には「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「西 西国富士道 板橋道」・「南 江戸道」と刻まれています となっています。

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やはり近くにあった「大満寺」には鎌倉時代初期の作と伝えられる不動明王像があり、岩淵不動尊として親しまれている そうです(右)

左は境内にあった満開?の紅・白梅とこれを撮っている熟年女性。(最近の熟年女性は一眼レフを持っている人が多いですね。 イエ、私の僻みではありません 念の為)Dscn0395荒川に近付くとこのような石碑が・・・石柱には『史跡 岩槻街道岩淵宿問屋場址之碑』とあって、昔、荒川の渡しがあった頃、この「岩淵宿」はたいそう賑わったのだそうです。

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岩淵水門の近くにあった「首なし地蔵」ですが、台座には読みにくいのですが「水難供養」と刻まれているようです。
立て札には、「告 このお地蔵様は心なき人に首を取られました」 志茂五水門自治会。
が、ご覧のように目鼻が描かれた木製の首が載せられています。(が、ちょっとキモイ感じがしないでもない)


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岩淵水門に着くと、このような案内写真があったのでこれを拝借。
上方向が上流で、7時方向が「隅田川」、6時方向が「荒川放水路」になってて、私はなるべく隅田川に沿って河口に向かおうと思っていますが、地図で調べると川沿いを歩いたり町の中を歩かなければならないようです。

Dscn0402これが「赤水門
旧水門はその色から通称「赤水門」と呼ばれる。
1916年(大正5年)に着工し、1924年(大正13年)10月に完成した当初の水門。
完成以来、最大2m以上にもおよぶ地盤沈下や、左右岸の不等沈下が発生するなどの問題に悩まされ、新水門完成に伴ってその役割を終え取り壊されることになったが、地元の人などから惜しまれ保存されることになった。
のちに、土木建築物としての価値が高いと再評価され、1995年(平成7年)には産業考古学会によって推薦産業遺産に、1999年(平成11年)には東京都選定歴史的建造物に指定された とのことです。

Dscn0407_2これが「青水門
新水門はその色から通称「青水門」と呼ばれる。
旧水門の老朽化、地盤沈下対策、また洪水調整能力の強化を考えて、300mほど下流に作られた。1974年(昭和49年)に着工し、1982年(昭和57年)に完成した。200年に1度と云われる大洪水にも耐え得るように作られている とのことです。

ここで岩淵水門から隅田川に架かる橋の名前を書いてみることにします。岩淵水門 - 新神谷橋 - 新田橋 - 新豊橋 - 豊島橋 - 小台橋 - 尾久橋 - 尾竹橋 - 千住大橋 - 千住汐入大橋 - 水神大橋 - 白鬚橋 - 桜橋 - 言問橋 - 吾妻橋 - 駒形橋 - 厩橋 - 蔵前橋 - 両国橋 - 新大橋 - 清洲橋 - 隅田川大橋 - 永代橋 - 中央大橋 - 佃大橋 - 勝鬨橋 - (河口)
このほかに鉄道橋がありますが、これらは除いてあります。

Dscn0414まず最初の橋が「新神谷橋」ですが、言っては何ですが(後は言わぬが花としましょう)

Dscn04152番目の橋が「新田(シンデン)橋」 ここも上にならえ でしょうか

Dscn04203番目が「新豊橋」、ここで近代的な形?の橋に出会えました

Dscn04224番目が「豊島橋」、とてもシンプルな橋です

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「豊島橋」から次の「小台橋」までは町の中を歩かなければならないのですが、持ち歩いた地図に「都電荒川車庫」があったのでチョット寄り道をしました。
これがそのとき撮ったものですが、カッコの良い都電に出会えて満足 !!
そして、こんなカッコの良い都電が昔のように都内を縦横無尽に走れば、東京も素晴らしい都会になるのではないか と思ってしまいます。

Dscn0437_2この車庫の傍には「荒川遊園地」もあり、そこで観覧車をパチリ
直径は26メートル、高さは32メートル、約7分で1周。晴れると富士山が見えることもある のだそうです。

Dscn0440この遊園地は隅田川沿いにありますが、ここでは釣りを愉しむ太公望が幾人か居ました。
何が釣れるのか?、釣れたのか? を聞くにはチョット気の毒なようなので通り過ぎました。

Dscn0442小台橋」グリーンが目立っている橋ですが、私にはどうも馴染めない色の橋です

Dscn0444ここは「尾久橋」 
橋と平行して「舎人(トネリ)ライナー」が通っているので、この電車が来るのを待っていてパチリ。

Dscn0451尾竹橋
ここにも釣り人が居ましたが、釣り竿以外は何もないようで手応えを愉しんでいるのでしょうか?

 

 【長い(その1)になってしまいましたが、(その2)に続きます】                      

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'12-8 隅田川の河口を目指して (その2)

(その1)からに続きです。

Photo(その2)では「千住大橋から吾妻橋(浅草)まで」を投稿します。

Dscn0455千住大橋」 
この道路は「日光街道」になっていて、松尾芭蕉が「奥の細道」に出掛けるときは深川から舟で千住まで来て、ここから歩き始めた とのことです

Dscn0457橋の北詰には「奥の細道 矢立初め 碑」が建っています

Dscn0458また護岸にはこのような絵が描かれていました。
蛇足ですが、この当時はまだ「荒川放水路」は出来てなかったので、ここからはただ歩くだけの道中だったはずです。
私が日光街道を歩いた時、「千住宿」には旧街道があるのですが荒川で街道は遮断されていて、橋を渡って迂回しなければなりませんでした

Dscn0461千住汐入大橋
この辺りまで来ると護岸には遊歩道が造られていて、町の中を迷いながら歩くこともなくなりました。 が、日はだいぶ傾いてきています

Dscn0459夕日に映える遊歩道でのスナップ

Dscn0466水神大橋
堤防下の遊歩道には背の高い枯れ草があってまだローカルな雰囲気がありますが、スカイルーリーも見えてきたので浅草も近いのでしょう

Dscn0471長い裾野を持っている「白鬚橋
ここまで来ると気のせいか川幅がとても広くなっているようです。
それとこの橋の西には「平賀源内の墓」があるのですが、今は寄り道する余裕はありません

Dscn0474川面にスカイツリーの影が揺れているし、川向こうの建物にはネオンの灯りがともっています

Dscn0476歩行者・自転車専用の「桜橋」で、X字型に架けられています。
この周辺は春の花見シーズンには芸妓衆も繰り出し、より一層の華やかさを醸し出してくれます。
ただ私の感想ですが、上野の山のような騒々しさはないのでは と思っています

Dscn0473スカイツリーの周辺をヘリコプターが飛び回っていたので パチリ

Dscn0479言問橋
欄干の灯りもつきはじめ、遊歩道の足元もだいぶ暗くなってしまいました

Dscn0481東武鉄道鉄橋
ちょうど鉄橋を電車が渡っていたので パチリ

Dscn0486吾妻橋」の夜景
この時の時刻は6時10分頃、これから先はまだ長いのできょうの「東京散策」はこれでうち切ることにし、日を改めて続きを歩くことにしました。

この続きの日は以外に早くなって、 3/16(金)に予定通り完歩することが出来ましたので、(その3)として続けて投稿します。

 【(その2)はこれで終わりですが、(その3)に続きます】

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'12-8 隅田川の河口を目指して (その3)

(その2)からの続きで、ここでは「吾妻橋(浅草)」から「清洲橋」迄のことを投稿します。

Photo_2前回までは「岩淵水門」から「吾妻橋(浅草)」まで来たので、これからはさらに河口の「勝鬨橋」を目指します。

Dscn0491この日(3/16 (金))は東京に用事が出来たので早いとこ用事を済ませ、前回打ち切った「浅草」に向かいました。
浅草・雷門の風景ですが、相変わらず混雑しています。

Dscn0497
浅草へ来ると何故か「スカイツリーを撮らなければ」という思いになってしまいますが、何故なのでしょう?

Dscn0495これが前回打ち切った昼間の「吾妻橋

Dscn0499吾妻橋の西詰めにある交番ですが、浅草観音に近いせいなのでしょうか寺院風の造り

Dscn0506駒形橋

Dscn0502Dscn0509

左:駒形橋の西詰めにある「駒形堂」・・・本尊は「馬頭観世音」だそうですが、江戸時代には広重の錦絵になったり、吉原の遊女2代目高尾が
   君は今   駒形あたり  時鳥(ホトトギス)
と仙台候の伊達綱宗を慕って詠んだ名句が残ってのいる場所です

右はどじょう料理で有名な「駒形どぜう

Dscn0514厩(ウマヤ)橋
元禄年間ごろから続いていた「御厩の渡し」のあった場所で、1872年(明治5年)に花見客の人出でこの渡し舟が転覆する事故があった。
以前から転覆事故が多く「三途の渡し」と揶揄されていたこともあり、民間の手により架橋されたのだっそうです

Dscn0528蔵前橋
私個人の思いですが、どうも橋の色が馴染めません

Dscn0558総武線鉄橋を渡る電車と水上バスが巧い具合に重なりました。

この水上バスは松本零士がデザインした宇宙船のような「ヒミコ号」で、2004年3月26日から浅草・お台場間を運航しているそうですが、どの型の船に乗るのかはその時にならないと判らない だと思います。

Dscn0548_2両国橋
江戸幕府は防備の面から隅田川への架橋は千住大橋以外認めてこなかった。
しかし1657年(明暦3年)の明暦の大火の際に、橋が無く逃げ場を失った多くの江戸市民が火勢にのまれ、10万人に及んだと伝えられるほどの死傷者を出してしまう。
事態を重く見た幕府は防火・防災目的のために架橋を決断することになる。

架橋後は市街地が拡大された本所・深川方面の発展に幹線道路として大きく寄与すると共に、火除地としての役割も担った のだそうです。

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左:両国橋東詰に建っている句碑
「大高源五(忠臣蔵で有名な赤穂四十七士の1人)の句碑 
      日の恩や 忽ちくだく 厚氷

右:両国橋の遊歩道で殺陣の訓練をしていた「柳谷 真吾さん」
もちろん刀は本物ではありませんが、重さは同じに作ってあるそうで1キロ強、持たせてもらいましたが ズシッ とした重みがありました。
今は舞台が主ですが、映画やTVにも時々出演するそうで、天然理心流(剣術)の門下であり、駆け出しの俳優をやってるそうで、学ぶ姿勢を崩さないから資質は無くとも下積みを長く積み、後に表舞台に出る予定。
最近は経験の為に各ジャンルの役者業に挑戦している のだそうです

Dscn0553Dscn0556

両国橋の傍にある「柳橋
お茶の水の傍を流れる神田川が、隅田川と合流するところにあります。
昔は隅田川の船遊び客の船宿が多く花街として新橋と共に東京を代表する場所になり、柳橋芸者は遊女と違い唄や踊りで立つ事を誇りとし、プライドが高かったと言われていたそうです。

Dscn0552両国橋から数分の所にある「薬研堀不動院
有名なのは年末に開催される「納めの歳の市・大出庫市」。
かつて東京の歳の市は、深川八幡から始まり、浅草観音、神田明神、愛宕神社などを経て、最後にこの薬研堀不動尊で終了したことから、「納めの歳の市」と言われるようになったとされる。
12月27日から29日にかけて、正月用品をはじめ東日本橋の問屋街からの衣料品・雑貨などを売る露店が並び、周辺は大にぎわいとなる のだそうです。

Dscn0562同じく両国橋の傍にある「塩原橋
神田川とは逆方向にある「竪川」が隅田川に合流するところにある橋で、何の変哲もない橋ですが、ところがそうではなくて「塩原多助一代記で有名な江戸時代の豪商で、裸一貫から身を起こし大商人へと成長。
  本所(今の墨田区周辺)には  過ぎたるものが二つあり
            津軽屋敷に炭屋塩原

と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた塩原太助が、この橋の傍に住んでいたことからこの橋の名前が付けられたのだそうです。

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塩原橋の傍にある「江島杉山神社
左:岩屋へ通じる道(いわやみち)
右:岩屋内にある「杉山和一の石像」

説明によると・・・神奈川県藤沢市の江ノ島弁財天(市杵島比売命)と、鍼術の神様・杉山和一(1610~94年)総検校がまつられています。

杉山和一は、鍼の神様、視覚障害者の先駆者、視覚障害者に鍼・按摩を職業として与えてくれた人として尊敬されています。
◎弁財天と杉山和一との関係
杉山和一は、三重県津市の出身で江戸時代初期の人です。
幼くして失明し、江戸に出て出瀬琢一に鍼術を学び、更に江ノ島弁天の岩屋にこもり鍼術の一つである管鍼術を授かりました。
この和一の名声を聞いた五代将軍徳用網吉が和一を「扶持検校」として召し抱え、日夜自分の治療に当たらせました。
しかし、高齢だったために侍医・御典医という役職には就きませんでした。和一はすでに多くの弟子を教育していたので、代わりにその弟子達が江戸幕府や大名の鍼科の御典医となりました。
網吉は和一に、江ノ島弁天に月参りをして感謝しているのを不憫と思い、元禄6年(1693)5月16日に当地本所一つ目に1860坪余りの屋敷を賜い、同6月18目には弁財天像、先の屋敷内西側989坪余りに弁財天の社地を下賜しました。
当地下賜の逸話に、網吉が和一に「何かはしいものはないか」と問われ、「一つ目が欲しい」との返答に当地が撰ばれたと言います。

和一は、鍼治療に際し管の中に鍼を入れるという方法を創案・大成しました。これは現在日本の鍼治療の方法の主流となっていて、世界にも伝わっています。
杉山流鍼治稽古所…和一が延宝8年(1680)には視覚障害者に鍼・按摩を教育し、世界一古い障害者教育でもあります。
江戸時代の後期より本社二の鳥居の手前・南側にその教育施設「杉山流鍼治稽古所 四間余二五問」が有りました と説明されています。

この両国橋周辺にはこの他にも見所(吉良上野介屋敷跡・鼠小僧次郎吉の墓がある回向院・勝海舟生誕の地など)がありますが、今回はパスしました。

Dscn0569新大橋

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新大橋を過ぎると有るのが「芭蕉記念館」
左: 草の戸も 住み替る代ぞ
              ひなの家

の句碑
右;「芭蕉庵跡 碑」(これは萬年橋の袂にあります)
余談ですが、この芭蕉庵跡の碑は「芭蕉稲荷の境内」にありますが、なぜ稲荷社と芭蕉が一緒なのでしょうか、よく判りません。

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萬年橋
小名木(オナギ)川が隅田川に合流するところにあります。
私の場合ですが、萬年橋というと時代小説の「鬼平犯科帳」などを連想してしまいます。

それとこの橋の袂から眺める「清洲橋」が見事 と説明されていましたが、今日は逆光でどうもサマにならないようです。

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清洲橋
隅田川に架かる多くの橋の中で一番優美な形をしているのではないでしょうか?
それに骨組みも頑丈そうですし・・・

説明によると・・・関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋。
「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインである。
2007年(平成19年)、都道府県の道路橋として初めて勝鬨橋・永代橋と共に重要文化財に指定された となっています。

 【(その3)はこれで終わり、(その4)に続きます】

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'12-8 隅田川の河口を目指して (その4)

(その3)からの続きです。

Photo_4(その4)では「永代橋から河口の勝鬨橋まで」歩き、時間が有れば「東京ビックサイト」まで行って「ゲートブリッジ」を眺めたい と思っています。

Dscn0591_2永代橋の手前にある「赤穂浪士休息跡地の碑
乳熊屋(現在のちくま味噌)の初代作兵衛は風流の道を嗜み宝井其角に師事し、赤穂浪士の一人大高源吾とは俳諧の友であった。
此の誼みで芽出度く本懐を遂げ泉岳寺への引上の途路彼等が永代橋に差し掛かるや一行を店に招じいれ、拾度上棟の日でもあったので甘酒粥を振る舞って労を撈ったのである。
大高源吾は棟木に由来を認め又看板を書き残して行った。これが大評判となり江戸の名所の一つになった のだそうです。

Dscn0593永代橋の袂に咲いていた桜 河津桜でしょうか?

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永代橋
元禄11年(1698)に永代橋は上野寛永寺本堂の材木を使い深川と日本橋を結ぶ橋として架けられました。
永代橋は歴史的な事件に登場しており、赤穂浪士が討ち入りの帰りに渡った橋として有名で、橋の近くには赤穂義士休息地の碑が立っています(上記)。
また文化4年(1807)には富岡八幡祭礼の多くの見物人により、橋の一部が落ち多くの死者がでたという大惨事がありました。
この事故の死者・行方不明者は実に1400人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。この事故について、大田南畝が狂歌を書き残している。
    永代と  かけたる橋は 落ちにけり
        
きょうは祭礼  あすは葬礼

Dscn0600永代橋から眺めた「佃島
ここへ来るたびに思うこと・・・海抜2~3メートル?に建つチョウ高層集合住宅、住んでいて怖くはないのでしょうか?

Dscn0596_2永代橋の傍にある「豊海(トヨミ)橋
ここは日本橋を流れている「日本橋川」が隅田川に合流する場所に架けられています。

屋敷を出る時から、心のどこかで、今夜は大川端町の、るいの許へ行くつもりがある。
神林東吾は仲間と別れると、自然、酔った足をそっちへむけていた。
豊海橋の袂から少しはずれて「御宿 かわせみ」と小さな行燈が夜霧の中に浮んで見える。
星も月もみえない、しっとりとした晩である。

--平岩弓枝『御宿かわせみ』第一話「初春の客」 からお借りしました 』

もちろん時代小説ですから架空の場所と思いますが、こんな風に夢を馳せるのもまた愉しいのでは・・・

Dscn0614中央大橋
天を突く柱は兜をイメージしたものだとか。
調べると、隅田川はフランスのセーヌ川と1989年(平成元年)に友好河川を提携しており、中央大橋を架橋する際に、フランスのデザイン会社に設計を依頼した。
そのためか、主塔および欄干部分に日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されている となっていました。

Dscn0618_2佃島から眺めた「佃大橋
形としては何の特徴もないもので、今日見てきた橋に比べるとだいぶ見劣りがします。

Dscn0641大事な橋を載せるのを忘れていました 「勝鬨橋
隅田川に架かる橋はこれで終わりになります

Dscn0625佃島の中にある朱色の「佃小橋
手前は舟泊まりになっています。

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佃島のスナップ
左;「住吉神社」・・・徳川家康が江戸へ来るとき、移住した摂津国佃村の漁夫33人と神主・平岡権大夫好次が、同地に所在する住吉社の分霊を勧請して創建した神社。
右:佃島名物の佃煮屋が数軒 並ぶようにあります。

それとここで毎年7月に行われる「佃踊り(念仏踊り)」も有名?で、都の無形文化財に指定されているそうです。

狭い櫓には太鼓が1個あるだけで、一人でそれを叩きながらす唄う単調で気だるい感じさえする踊り唄で、広場に吊るされている提灯も白一色です。
もちろん東京音頭も炭坑節もありません。

この片隅には「無縁仏」が祀られていますが、明暦の大火などで上流から死体が佃島の浜へ流れ着き、これを漁民(佃町民)が無縁佛として手厚く葬ったのが始まりだそうで、佃島を守って下さっているという感謝の気持ちを捧げてから踊り始めるのだそうです。

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佃島にある「佃天台地蔵尊
左:地蔵尊への入り口でエスが、1メートルほどの路地が参道?で、す。奥に灯りがついていますが地蔵尊はあそこに安置されています。
右:地蔵尊。右に樹木のようなものが見えますが、銀杏の大木で上を見ると天井が上手に丸くくり抜かれていて、木の先端は屋根の上に突き出ています。
元々あった大木をそのまま残す様にして、巧く地蔵堂を建立したのでしょう。

佃島(人足寄場)・・・人足寄場の設置以前には、無宿の隔離及び更生政策として佐渡金山への水替人足の制度があった。
しかし、水替人足は非常に厳しい労役を強いられるものであり、更生というより懲罰という側面が強かった。
そのため、犯罪者の更生を主な目的とした収容施設を作ることを火付盗賊改方である長谷川平蔵が松平定信に提案し、人足寄場がこの佃島に設置された。

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佃島の南隣にある「月島」はもんじゃ焼きで有名。
もんじゃ通りにはもんじゃ焼屋が軒を連ね、狭い路地にももんじゃ焼屋が並んでいます。

昔の月島と佃島は名前の通り離れた島だったようですが、今はそれも埋め立てられ地続きになっています。

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左:月島の南にある「十返舎一九の墓
辞世の句は
  此世をば  どりゃおいとまに  せん香と   
          ともにつひには  灰左様なら


右:同じく月島にある 今宵の不時着場所「串バー あ・うん

Dscn0668ほろ酔い加減で渡った「相生橋」と屋形船
酔っていたとは言え夜間でも手振れはなかったようで、マァ一安心(それともカメラの手振れ防止の効果だったのかなぁ 苦笑)

これから「門前仲町駅」まで夜風に吹かれながら酔いを醒ますことに・・・

【今回もまた長い散策にお付き合い下さいまして有り難うございました】

 

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