緊急・・・「ココログ」の容量が満杯

このブログが多くの方々の目に留めて頂いていますことを 厚くお礼申し上げます

しかしながら、今年になってココログ容量が満杯になってしまいました

そこで、やむなく古い記事を削除しなければなりません
私としましては、「街道歩き」を削除するのは まさに「泣いて馬謖を斬る」の思いですが、これもこれからの投稿のためには仕方のないこと 削除を決断しました

どうぞご理解下さいまして、これからの投稿にも今まで同様のご愛顧を下さいますよう この場を借りて宜しくお願い申し上げます

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’14-01 ’14 の初散策(湯島天神から神田明神へ)

’14/1/14  初詣には遅すぎますが、湯島天神から神田明神まで、寄り道をしながら散策してきました

Bmp散策ルートは、2時方向の「京成上野駅」をスタート
左下の「湯島天神」、左に向かって「麟祥院」、さらに左へ「かねやす」「喜之床」
ここで「かねやす」まで戻り、南下して「水道歴史館(水道公苑)」
左に行き、「水道橋由来」
そこから右に向かい「神田上水懸け樋跡碑」
さらに「お茶の水碑」を過ぎ、「湯島聖堂」「神田明神」へ

帰りは「天神下通りを北上し、スタート地点の「京成上野駅」へ

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左:湯島天神の男坂の下にある「心城院」

右:心城院の境内にある「柳の井」
江戸名水の一つ「柳の井」と呼ばれている井戸この井は名水にして、女の髪を洗えばどのように結ばれた髪もはらはらほぐれ、垢落ちる、と言われていた
これは水道ではなく、本物の湧水とのことです

Dscn4744_2Dscn4742左:湯島天神を正面から
この大鳥居は、 1667(寛文7)年に建てられたもので,都有形文化財に指定されています

右:撫で牛 
合格甘酒を売っているオニイサンに聞いたら
「これは初代らしくいつ頃のものかは知らないが、今では代替わりしたものが近くに置かれている」
とのことでした

Dscn4748Dscn4751左: 「麟祥院山門」

右:「本堂」

「春日局」は徳川三代将軍家光の乳母として知られている
春日局は、幕府の恩恵に報いるために、本郷湯島に寺院を建立しようと思い立った
これを知った将軍家光は、願いをかなえさせるために本郷湯島の土地を寺地として贈った

寛永元年(1624年)、春日局の隠居所として創建
春日局の法号をもって「天沢山麟祥院」と号するようになる
寛永20年(1643年)に死去、享年64

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墓石の真ん中に穴が空いてますが、これは春日局が
「死後も江戸の様子を見守れる墓を作って欲しい」
という遺言に従って作られたものだそうです

Dscn4756Dscn4758_2左:「モナカの壺屋」・・・ここは寛永年間(1624~1644)創業の菓子店。
明治維新の際には「長い間徳川様にお世話になったのだから」と大店がつぎつぎとやめていった時に、勝海舟から
「市民が壺屋の菓子を食べたいと言っているから続けるように」
と言われ、店を再開し暖簾を残すことにしたそうです

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壺屋の店内には、上のような「勝海舟直筆の書」が飾られています
「神逸気旺」
はてなんと読むのでしょうか?
検索してみると
「シンイツ キオウ」
「カミイツニシテ キサカン」などとなっています
 「物事は神頼みしないで 自分の気力で成し遂げろ」 
という意味だそうです

右:「江戸あられの竹仙」・・・戦前から此処で煎餅を焼き、売り続けているそうで、店内の造りも棚も入れ物も戦前のまま とのことです

Dscn4767Dscn4768左・右: 「かねやす」
店を開いたのは初代・兼康祐悦(カネヤス コウエツ)で、京都で歯医者をしていた

徳川家康が江戸入府した際に従って、江戸に移住し、歯医者をしていた。
元禄年間(1688~1704)に、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ、大いに人気を呼び、それをきっかけにして小間物店「兼康」を開業する

「乳香散」が爆発的に売れたため、当時の当主は弟に暖簾分けをし、芝にもう一つの「兼康」を開店した

それと共に同種の製品が他でも作られ、売上が伸び悩むようになると、本郷と芝の両店で元祖争いが起こり、裁判となる
これを裁いたのはTVでお馴染みの大岡越前であった。大岡は芝の店を「兼康」、本郷の店を「かねやす」とせよ、という処分を下した。本郷の店が ひらがな なのはそのため
その後、芝の店は廃業した

享保の頃に大火事が起こり、復興する際、大岡忠相は本郷の「かねやす」があった辺りから南側の建物には塗り壁や土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じ、瓦で葺くことを許した
このため、「かねやす」が江戸の北限として認識されるようになり
「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」
の川柳が生まれた

Dscn4771 石川啄木は1908年釧路を離れて上京
その1年後、新井家経営の理髪店「喜之床」で、二階二間は石川啄木が函館から 母かつ、妻節子、長女京子を迎えて東京ではじめて家族生活をした新居

啄木はそこで文学生活をしながら東京朝日新聞社校正部に勤めていた
明治43年(1910)9月にはそこに本籍を移し、そして12月に出版したのが歌集「一握の砂」である

その頃から母も妻も啄木も結核になり、二階の上り下りも苦しくなって2年後の明治44年(1911)8月7日小石川(地下鉄・茗荷谷駅近く 東大植物園)の小さな平家建の家に移った

その1年後、明治45年(1912)3月7日にはそこで母かつが死に、翌4月13日には啄木もまた母の後を追うように27歳の薄倖の生涯を閉じたのである
そこには「啄木終焉の地碑」が建てられている

その「喜之床」の建物は、現在犬山の「明治村」に移築されている。
そしてこの散髪屋は今もその子孫が同じ場所で営業している

Dscn4777 Dscn4778 左・右:この水路は、昭和62年(1987)から平成元年(1989)にかけて発掘された神田上水幹線水路の一部を移築復元したもの

聞くところに依ると、後楽園遊園地前の「白山通り」の地下鉄工事の時に発見された「地中樋」とのことです

ただ、左は新しく造ったように見えますが・・・

これらは「水道歴史館」の裏手にある「水道公苑」に復元されています

Dscn4779Dscn4781左:「神田上水懸け樋」の模型
下に流れているのが、現在の「神田川」  
左下に四角な物が見えてますが、これが「地中樋」なのでしょう
この懸樋が架けられたのは、一般には1660年(万治3年)頃の仙台藩による神田川拡張の頃、と考えられているそうです

右:江戸時代の井戸の断面模型
オカミサン達の賑やかな話し声が聞こえてきそうな気がしませんか?

Dscn4790 Dscn4793 左:この場所に「上水懸け樋」があったという「神田上水懸け樋跡の碑」

明治時代になると相次ぐコレラの流行によって、改良水道の建設が必要となった。
改良水道の工事が開始されたのは1892年(明治25年)で、1901年(明治34年)6月に神田上水の給水は完全に停止し、廃止されるに至った。
明治初期の陸地測量部の地図には、まだこの懸け樋が載せられています

右:「水道橋由来のプレート」
この下流に水の道の橋があったから「水道橋」と名付けられたようです

Dscn4796 徳川家康が江戸に来た当時は、北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていた
2代将軍徳川秀忠の時代に、水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が形成された。(これが現在の神田川)

同じ頃、その北側にあった高林寺に湧水があって、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が御茶ノ水と呼ばれるようになった と言われています

Dscn4798 Dscn4801 左:湯島聖堂の「入徳門」・・・1704年に建てられたものがそのまま残っていて、1922年に国の史跡に指定

右:湯島聖堂(大成殿)・・・儒学を学んでいた5代将軍徳川綱吉が,儒教の教えを説いた孔子を祀っている

Dscn4809 Dscn4807 左:神田明神の「随神門」

右:神田明神 社殿
だいこく様・・・別名は大国主命
えびす様
平将門様
をお祀りしてあるそうです

正式には「神田神社」と言うそうです

Dscn4803神田明神の入口にある、甘酒で有名な「天野屋」
創業は弘化三年(1846) 創業来167年
今の店主が六代目ということで、こんな言い伝えが・・・

京都・丹波出身の侍であった天野新助よりも弟が先に江戸へ出て千葉道場で腕を上げていたが、妬まれて暗殺され、弟の仇討ちのために兄の新助が江戸に出てきた
当時の神田明神は江戸の名所で、ここに居れば仇に出会えるだろうと 茶店を出した。
仇討は出来なかったが、どぶろくを作る技術は持っていたので、甘酒などを売る茶店を家業とし、今に至っているそうです

 【長編にお付き合い下さいまして 有り難うございました】

 

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’13-44 羽州街道を歩く その9

『嬉しいご案内』

或る会社のHPに私のこのブログをリンクさせて頂けることになりました
会社のHPと言っても、その中にある1つのカテゴリーなのですが、そこに書かれているのが     『元気の出るブログ・愉快満載の百科店」 となっていて、内容は「いつだって街歩き」「パソコンよろずマニュアル」「満点デジカメライフ」「錦町世情研究所」などがあって、ここの私のブログを転載させて頂けることになったのです
 
  その名は 『サンキyou広場
どうぞ この広場にもお越し下さいますようお願い致します

   ~~~~~~~~ 

『後編』 ( その8-1 からの続きです)

’13/11/4  月曜 晴れ 午後2時頃一時雨

Bmp

今日の行程は、昨日の誰も通らない所とは正反対で、車の騒音で騒々しい国道13号線を一路北上するだけ

十文字駅付近で国道を離れて歩きましたが、車があまり通らないことだけで、特長といえるものは無さそう

  今日の道は 変化ない道 疲れる道


事前に測った歩行距離は約20キロくらいなので、ヒトカラに行けるだろう と思って検索したら、横手駅から徒歩12分 とのこと
そんなに遠い所まで歩いて行く気になれず、カラオケはパス(笑)

タブレットについて知りたい事があったので、横手ドコモショップへ寄り道
今日の 総歩行距離は  24.6 キロで、予定を遥かに? 越えてしまいました

健康状況は
 東海道の時のような血尿現象はありません
 足の裏がビンビンとしてます
 靴擦れはカット絆を貼ったので痛みはなくなりました
 持病?の左膝は、湿布薬を貼りサポーターで固定してます

疲れていると思うのですが、翌日になると平常になるのは「若さ故」でしょうか(笑)
こんなことで、もう少し頑張れそうです

Dscn4470Dscn4469左右:途中にあった「両関」という酒蔵
表に回ると直売もしてるようですが、下戸の私には関係が無さそうです

Dscn4471 Dscn4472 左:何処で撮ったのか場所が判りません(苦笑)
ただ、黄葉が水面に映っていて静かな雰囲気を感じたので パチリ をしたのだと思います

右:石塀に囲われた庚申塔らしいものと、傍に立っている木柱が気になりました
木柱には
「成沢では 白犬飼わぬ 理由(ワケ)悲し」
と書かれていました
「成沢カルタ」 となっていますが、どのような意味を持つカルタなのか検索して判りました

成沢カルタは郷土カルタで、白犬のことはこんな言い伝えがあるそうです
『宝暦7年の或る夜のこと、時ならぬ物音に村人が飛び出してみると、湯沢の侍2人が或る家の白犬を切り殺してしまった
怒った村人は侍の一人を殺してしまった
届けにより秋田で裁きがあり、村人二人は「磔」、村の長二人は「打首」。
村ではこの後白犬を飼わなくなった』 のだそうです

この郷土カルタは、殆どの都道府県にあることが判りましたが、私は初めて知りました

Dscn4474Dscn4473Dscn4473_2左右:家族総出で柿の収穫

 
「一つ私に下さいな」 とは言えませんでした(笑)

Dscn4475Dscn4476左:名もない野仏群

右:見事な枝ぶりの紅葉があったので パチリ

20131104_121139001 Dscn4477 左右:十文字の町外れにあった「梨木公園」
朱色の橋が目立っていたので池を一周、池では家族連れが釣りをしていたので、「何が釣れるの?」 と聞いて、答えてもらったのですが、その答えを忘れてしまいました(爆)

Dscn4483 Dscn4488左:たわたに実っているリンゴ
「一つ下さいな」は、なかなか言えないものですね(笑)
 

右:リンゴの収穫 今はこのようなリフトを使っているようです
このリフトで思いだしたのが甲州街道を歩いた時のこと ブドウの産地で有名な勝沼でも、このようなリフトを使って剪定などをしていました

Dscn4481 Dscn4490 左:歩きながら眺めた風景

右:JR北上線の踏切
「羽州街道」と書かれているだけで嬉しくなってしまうのは 私も相当な単純人間なのでしょうね(笑)

ここまで来ると 横手はもう直ぐです

きょうの言葉遊び
  何のために こんなことをしてるのか と人が問う
     答られず 苦笑いで誤魔化す

  予算は?と 問われてギクリの 歩き旅
    そんなこと 考えたら 何も出来ねぇぞ

  誰となく 意地張って歩くと 冷たい風
  角館 という標識を見て 秋田に来てる
  ベンチに座れば 落ち葉が まとい付いてくる
  アキアカネ 飛んでいて 羽がキラリ
  陽が陰ると 冷たい風となって アワダチ草揺れる
  腰を伸ばす ことばかり多くなり 風が痛い

きょうの歩行距離 約24.6km

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’13-45 羽州街道を歩く その10

’13/11/5  火曜 晴れ

Bmp_3

いくら街道歩きだからと言って、駅前旅館ではチョットねぇ
という訳で、コースから外れてしまいますが、萎びた温泉地を探してたのです

今日も相変わらず国道を北上するだけ

名所旧跡は探せば有るのでしょうが、歩きが目的? ですから横道に入りません(今までは(笑))
それでも街道筋に 一里塚跡 という標識がありました

きょうは少し? お疲れぎみで歩いていても鼻音楽は余り出ず、下らない愚痴っぽいことばかりを考えていたようです

きょうもヒトカラはダメでした(笑)

Dscn4496 Dscn4498 左:きょうも濃霧の中を歩き始めました

右:歩きながらの風景

Dscn4500 Dscn4499_2 左右:歩きながらの風景

相変わらず山の名前は判りません
人に聞こうとしても誰も居ないのです

Dscn4501_2 Dscn4502_2 左:見事な紅葉だってので 思わず パチリ

右:地蔵尊ですが、この様な円筒形のものが下がっています
触ってみるとあまり柔らかな物ではありません
何のためなのか気になったので、やっと行き会った人に聞いてみました
一人目「そんなお地蔵さんがありましたか?」
二人目「あれは子供が生まれるとお供えする物で、何故なのかは判りません、何で出来ているのかも判りません」
とのことでした

けれども色々な風習があるのですね

Dscn4504Dscn4506左右:歩きながらの風景

 

 

Dscn4508Dscn4509_2 左:「庚申腰元」となっていましたが、庚申塔の一種だと思うのですが、腰元 はどんな意味を持ってるのでしょうか?
調べてみましたが、判りません

右:「野荒町一里塚跡」江戸から何里なのか、などを調べてみたのですが判りません

Dscn4510Dscn4514左:或お宅の庭にリンゴの大木?があったので、撮らせてもらいました

樹齢など聞こうとしたのですが、その時には家の奥へ行ってしまい 後の祭り

右:これも一里塚跡ですが、大きな木があって如何にも一里塚 という雰囲気

道路を渡るのが 億劫になっていてそのまま素通り
いま思えば、数メートル行けば判るのにですが、これも後の祭り

Dscn4516

この橋を渡れば 大曲 です

きょうの歩行距離は 約24.km

ここで一人だけの鳩首会談? それは、明日泊まるのが駅前旅館 今までチョウ豪華ホテル宿泊だったので駅前はチョット寂しい
それに温泉でユッタリとしたいし
ということで、急遽 宿泊地を変更

決めてのは「ユメリア」という日帰りと宿泊を備えた施設です

 

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’13-46 羽州街道を歩く その11

’13/11/6  水曜 晴れ

Bmp_4今日の宿泊場所「ユメリア」は、昨日探した今流行りの日帰りと宿泊が出来る温泉施設です
場所は 刈和野から北へ3キロほど緩かに登ったところにありました

今日 歩き始めた頃から体が重く感じ、背中に痛みがあります 
疲れが溜まったのでしょう
何しろすぐに腰を下ろして休みたくなってしまうのです

周囲の風景に変化がないのも辛く感じます
車がビュンビュン通るのも頭にきます
2メートル以上の歩道に私一人だけ歩いてるのも頭に来ますし、疲れます(人もチャリも通らないのに、何故こんな広い歩道を造るんだ! ) 

  意地張って 歩いても 山は元の位置
  躓いて よろめいて歩いても 真っ直ぐな道
  晩秋の陽が 疲れを呼ぶか 真昼どき
  コスモスが まだ咲いていて 長い秋だ

    バカにされ 無視されても歩く 一人旅
      試しに一緒に 歩きませんか?



明日の行程は、明日になってから考えることにしました
と言っても留まることは出来ないので、得意の手抜きで前進を考えるつもりです

Dscn4518 Dscn4519 左:広い河川敷がありますが、大曲は花火で有名の場所
この河川敷で打ち上げるのでしょうか?

右:川を挟んだ向かい側にはピラミッドのような山が・・・

Dscn4526Dscn4528左右:八幡神社

社殿は既に雪囲いにしっかりとガード

右は本殿ですが、太陽光を撮ってみました

Dscn4529「秋田飴売り節」のステンドグラス
『神宮寺しんまて 日暮れに通ったば』 
となってるようで、江戸末期から明治の中頃、飴売りによって唄い広められた民謡だそうで、今でも飴売り節コンクールがある とのことです

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Dscn4533 左右:福乃友酒蔵
左写真の入口からはいると、売り場につながっているようです

創業は大正2年(1913)、初代当主福田秀一と杜氏高橋友五郎の名前から一文字ずつを取り、「福乃友」と命名したそうです

Dscn4537Dscn4540左:嶽ドーム
市の総合施設だそうですが、これなら雪が積もっても大丈夫でしょう
この日は大勢の人がグランドゴルフを楽しんでいました

右:歩きながらの風景

Dscn4544Dscn4545左右:市の教育委が建てた木柱ですが、観光にも力を入れているのでしょう

ただ、いかにせん人が居ないし通らない

わざわざこれらを見るためにだけ人は来ないでしょうしね

Dscn4552Dscn4553左:刈和野の商店街
「車が来なくてもキチンと横断歩道をわたりましょう」

右:「ユメリア」への緩い登りが続きます

Dscn4555Dscn4558左:傾いて夕陽が木々を染めていました

右:「ユメリア」の外観ですが、内部も立派に整えられています

Dscn4557

ユメリアから眺めた夕焼け
これで明日の良い天気は 約束されたと同じでしょう

きょうの歩行距離は 約19km

 

 

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’13-47 羽州街道を歩く その12

’13/11/7  木曜 終日雨

Photo

オイオイ 昨日の夕焼けは何だたんだ
夜半から雨が音を立てて降ってるのが聞こえたのです

予報では秋田地方には大雨注意報が出ているので、これでは仕方がない きょうは休養日に決めました
それでも宿から刈和野駅まで 3キロほど歩きましたよ(笑)

刈和野から途中の「和田駅」で下車して歩こうと思いましたが、もう一人の私が 「ヤメロ ヤメロ」  結局彼の言うことを聞くことにしました

秋田駅では、歓迎の秋田民謡を聞くことが出来て マァ良いことにしましょうか
これからの午後は ヒトカラで時間潰しきり方法が考えられません(笑)

けれどもこの終日の列車利用で 羽州街道を歩き続ける夢は消えました 
今までも時々列車のお世話になりましたけれどもネ(笑)

列車の中で暇に任せて駄文を

   雨の降る日は メランコリー
   雨音が強く聴こえて 心を塞ぐ
   旅の空では なおのこと
   一人旅では なおのこと
   あなたを想えば なおのこと

メモ帳には、こんな事も殴り書きしてあります
「人間は行動する生き物かも知れない
きょうのように1日中雨に降られ、無為に時間を潰すほど退屈なことはない
かと言って、複数で過ごせばそれは解消されるのか? 私は No, である
自分の気に入らない者ほど邪魔な者は居ないからだ

こんな考えを持つのは私だけだろうか
イヤ違うだろう 多分ガマンしながら付き合っているのだと思う
しかし、それでその人は満足し、愉しんでいるのだろうか?
それが大人の付き合いだ という考えが普通らしいが、これで好いのかな? どうなのかな? 私にはとても我慢が出来ない」

きょう泊まる宿も 秋田市の外れにある 日帰りと宿泊を備えた温泉施設です

朝からの雨中歩き カラオケでの無意味な時間潰し そして宿までの雨歩きなどのためか、どうも風邪に誘い込まれてしまったよう

フロントで風邪薬をもらい、温泉はパス
一日くらい風呂に入らなくても 自分が我慢すればいいでしょう(笑)

秋田の週間天気予報では、雲マークと雪マークが並んでます

天気さんよ~ 何とかしてくれ!

Dscn4562Dscn4569左右:秋田駅での「おもてなし 歓迎民謡」

左:秋田手踊り
青森も手踊りが多いようです

右:歌う時はこの位大きな口を開けて というお手本(写真を撮る事の了解はもらってあります)
Dscn4566Dscn4567_2

 

これで今日の 歩る記 は終わりです(苦笑) 

きょうの歩行距離は 約11キロ

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’13-48 羽州街道を歩く その13

13/11/8  金曜 雨のち晴れ

Bmp

早いもので 米沢から歩き始めてきょうで13日目
  旅ゆくは寂しかりけり
の心境です な~んて言うのは贅沢すぎますね

朝のうちは東の空には青空が、西の空は鉛色
ヤバイなぁ と思いながら歩いていると 案の定です 30~40分ほど雨のなかを傘さして 

けれども、昨日の退屈な全日休養のお陰で 疲れは取れたようです

秋田駅前のカフェで珈琲ブレイク
この後 秋田城址(千秋公園)を散策
この城には 天守閣と石垣が無かったことで知られている のだそうです

駅に戻って昼食
再度同じカフェで珈琲ブレイク
店の女性から「ご旅行ですか?」 
「ハイ そうです」
まさか米沢からここまで歩いてきた とは言えません

   もう流れてる クリスマス音楽が 珈琲の上に

昨日の手抜きのお陰で予定を変えましたが、いずれも予約してなかったのでなんとか調整もでき、今夜は秋田市の北にある「土崎」というところに泊まります

歩行距離は 16.3 キロ

なお、明日からは終着地である青森まで予約してあるので、休養日を作ることは出来ません

   遠くから 汽笛響いて 紅葉の城あと
   わくら葉を 吹き集めたか 城あとの坂

秋田市内を横断するように歩きましたが、アゲンストの風は強く・冷たい

20131108_113341001 20131108_114056001 左右:千秋公園(秋田城趾)に再建された御隅櫓(オスミヤグラ)と呼ばれているらしい

「市制100周年を記念して平成元年に復元された千秋公園のシンボル。
内部には歴史資料が展示されており、展望室からは市内が一望できる」

20131108_11274700120131108_112527001

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20131108_130809001

秋田駅前広場(珈琲ブレイクしていた店からガラス越しに撮りました)

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土崎の宿からの夕焼け
(この間のような夕焼けに誤魔化されないようにしなくては 笑)

きょうの歩行距離は 約16km

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’13-49 羽州街道を歩く その14

’13/11/9  土曜 晴れ 風穏やか

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今日の行程は、土崎駅から大久保駅まで電車利用をし、大久保駅から歩き始め、鹿渡(カド)までが目的地です

この辺りは八郎潟干拓地だと思いますが、左側は全て刈り取られた田圃が続いています
もしもこんな所で風雨にさらされたら どうなるのでしょうか?  考えただけでゾッとしてしまいます

この様な所ですから道はほぼ直線、アップダウンもありません
途中に二ヶ所「一里塚跡の碑」が建てられていて、江戸から百五十里と説明されてました
もちろん古いものではなく、最近建てられたものです

  五能線 直通の列車に 鼻歌が追う   
    遠くの山が 真横に来ても 道は続いてる
  耳鳴りの 音きり聴こえない 一瞬の静けさ
  
  私の影が 刈田の中に 伸びている

一昨日の全日休養のせいか 今日は疲れなし

Dscn4587Dscn4591左:大久保駅の近くにあった「東伝寺・本堂」ですが、黄葉が見事
住職さんに挨拶すると
「裏山も綺麗ですから行ってご覧なさい」
時間の都合でパスしてしまいました

右:一里塚跡碑
まだ真新しいもので、 実感が湧きません

Dscn4589Dscn4593左右:大久保の町を抜けると 徐々に視界が広がってきます
というよりも、広過ぎる~

右の写真で、遠くに見えるのは「男鹿」の山々でしょうか

Dscn4592 Dscn4595 左:アクセントになる山があったので パチリ

右:由緒がありそうな祠
(右の立て札に由緒が書かれていましたが 読むのが億劫 苦笑)

Dscn4594Dscn4598左:これもアクセントの一つ(笑)
何しろ平坦で、左側はズ~~と 刈田が続いています

右:名もない場所でしたが、これも大事なアクセントです

Dscn4599Dscn4600左:羽州街道の標識

矢印のほうを見ると、小高い所には墓地がありました
国土交通省が建てたものらしいですが、この矢印の本当の意味を知りたくなってしみます

右:先ほど見た一里塚跡碑よりも古いようです
ここに 江戸から百五十里 と彫られていたのです

Dscn4601Dscn4602左右:鹿渡(カド と読みます)の町に入るとあったのが「松庵寺」

2枚載せたのは意味があるわけではなく、画像枚数が 切りが良かったためです(苦笑)

きょうは一日 無風快晴 これがこれからも続きますように・・・

きょうの歩行距離は 約23.5 キロ

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’13-50 羽州街道を歩く その15

’13/11/10  日曜 強風・雨

Bmp 夜半から強風雨、予定では鹿渡から能代まで ですが、これではとても歩けません
ということで、電車で東能代へ直行しました

思い返すと・・・
10/27  に東京駅から米沢に来て、羽州路歩きが始まりました
が、初日から雨に祟られて早速の電車利用

それでも蔵王観光などしながら尺取り虫のように泊まり歩き、時には全日休養もありましたが、きょう(11/10)秋田県の北にある 東能代 に辿り着きました

けれども モウイケマセン
昨日の快晴が嘘のような夜半から物凄い風雨 
週間天気予報によると、これから行く予定の 大舘 弘前など、どの地域を見ても 雨または雪マークが並んでます

  これではいくら物好きな私でも戦意喪失
  体力は残ってますが、気力が失せました

Photo_2

「ヒトカラで一休みしてから 前へ進め」
という励ましをいただきましたが、カラオケのある場所は東能代からだと、大舘、弘前、青森まで行かなくてはないのです
或いは秋田まで戻る などしなくてはなりません

これからの予定ですが、大幅に変更して明日(11/11) 五能線に乗って弘前へゆき、その後 岩木山麓にある嶽温泉で泊まるつもりです

その後は天候と道路の状態などと相談しながら、弘前から青森まで歩ければよいのになぁ と考えています

これで 羽州街道歩きは 能代 で挫折してしまいましたが、このままでは諦めないのが昭和1桁生まれの図々しさ

   挫折をば 英断と言われ 少し和み

せっかくここまで来たのですから、ご当地ソングで有名?な五能線に乗って、弘前へ行くことにしました

こんな事情で写真はありません

きょうの歩行距離は 約3.5km   東能代駅から宿まで歩いただけ(笑)

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13-51 羽州街道を歩く その16

’13/11/11  月曜  霙

Bmp_2 9:25 能代発白神1号 弘前経由青森行きに乗車 の予定でしたが、信号機の故障とやらで30分の遅延
座席は進行方向左側で海岸サイドを確保(笑)

窓一杯に見える日本海は、白波を立てて岩礁やテトラポットに砕け散ってます
列車は暫くこの海岸線を走るのです
♪窓イッパイの日本海~~ の風景が続きます

ところが、どういうわけか列車は減速 
乗務員の話しでは
「レールの上に落ちた落ち葉でスリップして、スピードが出ない この季節になると茶飯事です」だそうです
五能線は単線ですから、当然すれ違う列車も動くことが出来ず、ますます列車の遅れは多くなってしまうのでしょう

鰺ヶ沢駅からは津軽三味線ライブ演奏

右手には 岩木山 が雪化粧で霞んで見えます

こんな五能線の旅でしたが、約2時間ほどの遅れでヤット弘前駅に到着し、昼飯にありつけました(笑)

弘前では雪が降っています 今シーズン初めて見る雪に感動したり、嬉しくなったり

 追記:弘前の人に聞いたら、市内では初雪だそうで、ラッキー!

勿論 こんな天候ですから、会いたかった?岩木山は見えるはずがありません

時間をもて余したので仕方なく?ヒトカへラ ところが重いザックを背負っていたせいでしょうか 声がかすれて歌えないのです

こんな観光気分の五能線の旅でした

   五能線に じょんがら響いて ミゾレ降る
  強風で 雪が舞い踊り 窓を打ってる  
  無意識に 口ずさんでた ♪五能線

Dscn4610

Dscn4617_2 左右:走る車窓から撮った日本海です

(動画もあるのですが、これは出来次第、追加投稿する予定です)

20131111_13461200120131111_134020001左:鰺ヶ沢駅を過ぎると、右手に雪化粧をした「岩木山」が霞んで見えました
それにこの鉛色の雲は雪を含んでいるのでしょうか?

右:鰺ヶ沢駅からは津軽三味線演奏サービスも

Dscn4627Dscn4639左;これは五所川原駅ですが、向かいには「津軽鉄道」の車両が、客待ちをしています

右:車窓から撮ったものですが、雪は本気になって降っているようです

きょうの歩行距離は 0km です(苦笑)

 

 

 

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