298,「甲州街道・一人旅」(その1)

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第1日目 '09/5/5  「新宿3丁目・追分交差点から府中まで」  甲州街道歩破を目指してを歩き始めました。
スタート時刻は 10:35  「府中駅」到着が 17:45  歩行距離は約 24 キロ、所要時間 7時間45分(食事やコーヒーブレイクを含む)、歩数は約 34400 歩。 
例によって途中にある神社・仏閣なども立ち寄ってきましたが、思ったより長い時間を歩いていて自分自身が驚いています。

スタートは2時方向の「新宿3丁目・追分交差点」で、後は国道20号沿いにひたすら9時方向へ。
途中には赤点以外の見所がありますが、ここには載せ切れませんでした。また国道20号から外れる「旧甲州街道」も歩き、このルート図に表示しましたがほぼ重なってしまいました。

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P1140665 スタート地点にある「追分交番(新宿3丁目交差点)」で、角には「伊勢丹デパート」があります。

この交差点は「甲州街道」と「青梅街道」の分岐点ですが、「追分」と名が付いているのはこの交番と、新宿通りを挟んで商いをしている「追分だんご」だけです。
甲州街道は国道20号線と名前を変え、甲府を経由し下諏訪で「中山道」と合流します。

P1140668「新宿3丁目付近」で撮ったもので、正面の緩い登り坂が「甲州街道」で、坂の上が新宿駅になります。

P1140673 新宿駅を過ぎると国道20号(甲州街道)の上には首都高速道路が重くのし掛かってきて、「上北沢駅(京王線)」付近まで約8㎞続きます。

P1140680 京王線「幡ヶ谷駅」近くにある「牛窪地蔵」で、「道供養塔」が同じ場所にあります。・・・かってこの辺は「牛ヶ窪」と言われた窪地で、交差する道は「中野街道」、昔は結構行き倒れが多く、通行の安全を祈って供養碑が建てられたらしい。道そのものの供養碑は珍しいとか。
またこの辺りに刑場があり、極刑の際には二頭の牛に別々に両足を引かせて股裂きにしたので「牛ヶ窪」の名が残ったという ことでそうです。

P1140685 和田堀廟所」にある「樋口一葉の墓」
この墓には幾人かの戒名が彫られていますが、その戒名の中に「邦」と彫られていて、これは一葉より2歳年下の妹の「邦子」ではないかと思っています。

この「邦子」のことを調べていたら次のような解説がありましたので、これをお借りしたいと思います・・・『姉と違い邦子は大柄の色白でした。ほがらかで人あしらいもうまく、竜泉寺町(浅草の傍)で荒物屋を始めた時、店番は邦子が担当しました。

一葉の死後邦子が相続戸主となり、姉の残した負債も引き受けましたが、「日記は焼き捨てよ」との遺言にそむき、姉の残した原稿や小説の草稿、反古紙にいたるまで一枚も粗末にせず、姉の業績の保存・整理・浄書に努めました。
近代作家の中でも樋口一葉の研究が量と質で突出しているのは、邦子の存在あってのことです。

明治31年、父の代から親戚付き合いをしていた西村釧之助の世話で吉江政次を入り婿として結婚。翌年には釧之助の文房具店礫川堂を譲り受け、店の経営をしながら六男四女を産み育てましたが、大正15年7月1日、52歳で亡くなりました。』

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「芦花公園駅」の近くで国道20号と「旧甲州街道」は一旦分離しますが、これがその地点です。右は国道20号で、左は旧街道ですが車の数も少なくなり、ホッとします。

P1140701 京王線「つつじヶ丘駅」近くにある「金龍寺山門」
境内の右手には大きな「閻魔さま」の像が安置されていて、四方を見渡していました。
この周辺ののことを調べていたら、下記のような記録を見付けました・・・『世田谷区からわずか180メートルの場所にあった疎開児受入れ施設です。俳優の仲代達矢氏も疎開児として来ていました。』都心から歩いて行かれる場所に、私も経験した学童疎開をしていたとはとても信じられません。

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  旧街道の風景

P1140738 「調布駅」の近くにある「西光寺の鐘楼」・・・開山は応永年間(1394~1428)で、本堂には多くの彫像があり、なかでも三十三応現身像には江戸時代の最高級の彫技を見ることができる のだそうです。

この西光寺山門の左には「近藤勇(新撰組組長)の座像が有りますが、これは彼が調布の出身だからだそうです。

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府中駅に近づく頃に見付けた「燃料店」ですが、薪がうずたかく積まれていましたが、これも懐かしい風物でした。

第1日目の記録・・・歩数 34400 歩、歩行距離 約24 キロ 正味歩行時間 約

【 続く 】

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299,「甲州街道・一人旅」(その2)

第2日目 きょう 5/6 の行程は 「府中から高尾まで」 
天候は曇、今にも降り出しそう でしたが、歩き出すと直ぐに霧雨、そして本降りとなってしまい、仕方なく傘をさしての「甲州街道歩き」です。

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P1140843 府中駅前にはこの様な見事なケヤキ並木が南北に走り、その南端に「大国魂神社」が鎮座しています。

平安時代(1000年代半ば)に源頼義・義家父子が奥州安倍一族の乱を鎮圧するために祈願成就の御礼として、苗木千本を寄付したと言われています。これに由来するのでしょうか、並木通りには「源義家」の銅像が建っています。

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「大国魂神社」の大鳥居の右にはこの様なケヤキの大木がありましたが、注連縄で飾られていると言うことは「ご神木」なのでしょうか。

P1140858 ここは大国魂神社の近くにある「高安寺」
歴史的にも由緒があるようですが、お寺全体が素晴らしい雰囲気に包まれています。
この楼門・本堂・鐘楼は東京都選定歴史的建造物に指定されているそうです。

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ここは普通のお宅のようですが、この様な立派な門構え。

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と思うと、この様な門構えのお宅もありました。

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「谷保天満宮 社殿」・・・神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん

と狂歌師の「大田蜀山人」に詠まれた天神様は、菅原道真が太宰府に流され三年後にその死を伝えられた三男の道武が、父道真の像を刻みここに祀った。
しかし、その出来が今ひとつ良くなかったため谷保天(野暮天)と呼ばれるようになった とか。

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多摩川土手の傍にある「日野渡し場跡」のモニュメント。

日野市の解説によると・・・貞享元年(1684)、甲州街道は青柳より上流の柴崎から日野渡船場で多摩川を渡り、日野宿に至る道筋に改変された。
これに伴い、日野の渡しは府中宿と日野宿を結ぶ正式な渡しとなり、日野宿の経営となった。
渡し賃は人と馬で別々に徴収されたが、武士、僧侶、宿の人々は無料で通行できた。
明治維新後も日野渡船場の経営は日野町へ受け継がれるが、大正十五年(1926)日野橋の開通によって渡船は廃止となった とのことです

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「日野宿本陣」日野市の説明によると・・・日野宿本陣は瓦葺の建ちの高い大屋根と入母屋玄関を持ち、本陣建築として意匠的に優れている。
建物の保存状態も良好であり、甲州道中のみならず都内に遺る唯一の本陣建築として、歴史的、建築史的価値が非常に高い となっています。

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これが本陣の建物で、お願いすると説明もしてくれるようです。

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八王子を過ぎたY字交差点に建っている 甲州街道と陣馬街道との「追分道標」

話によると、石柱の中央部が継ぎをされているようになっていますが、これは空襲により破壊され、その後この中央部分を造って継ぎ足し、復元したとのことです。

今日の歩数 約36300歩 歩行距離 約24㎞

 【 続く 】

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300,「甲州街道・一人旅」(その3)

第3日目 きょう  5/7 の行程は「高尾から上野原まで」

なのですが、朝から雨 この雨の中の「小仏峠越え」は難儀しそう。
半ば諦めていた時 宿の女将さんの一声  「もし途中で転んで怪我でもしたらどうします? 小仏峠ならいつでも来られますよ」。
これで思い切れました。 これが一人旅のいい所で気持ちは晴れ晴れです。

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と言うことで高尾駅から電車で相模湖駅まで行き、そこから「小仏峠」からの合流地まで戻って傘を差して歩き始めました。

折り返し点の近くにあるのが「小原本陣跡」。ここから国道20号と旧甲州街道を交互に歩きながら3時方向の「上野原」に向かいます。

蛇足;今まで色々な所を歩き回りましたが、このような雨降りのなかを長時間歩いた経験はありません。

P1140885 高尾駅構内のスナップですが、高尾山の象徴「天狗さん」が、気の毒そうな顔?をして外人を見下ろしていました。

P1140888 「小原本陣跡」普段ですと中を開放して説明もしてくれるようなのですが、朝が早かったせいか閉門。
『与瀬村に属していた小原宿は、江戸より16里、14番目の宿場として設置されたそうで、建物も既に200年は経過しているのでは ということです。神奈川県の重要文化財に指定』

P1140889 これが本陣跡の正門?です。

P1140890 国道20号沿いには、このような「供養塔」が。

これから先もこのような供養塔が幾基も建てられていましたが、多くの人たちが道中で亡くなられたのではないでしょうか。

P1140892 国道と旧街道はこのような分岐を繰り返しながら 付かず離れずで続いています。

左が国道で、右がこれから行く旧道です。

P1140897 旧道の途中で眺めた 「雨に煙る相模湖」

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上と同じ

P1140902 「上野原」の古い町並みですが、このような家が続いている訳ではなくポツン・ポツンと点在しています。

今日は終日雨。 歩数 24100歩 歩行距離 約16㎞ 正味歩行時間 約3時間15分

小仏峠越えをしなかったので、午後2時には上野原に着いてしまい、それからの時間潰しが大変でした(苦笑)

 【 続く 】

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301,「甲州街道・一人旅」(その4)

第4日目 きょう 5/8 の行程は「上野原から大月まで」
今日も朝から雨、それも昨日よりも大振りの雨です。

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上野原からは国道を離れ旧街道を歩きますが、中央高速道に沿うようになります。

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国道から旧街道に入ると様子は一変して、道幅は狭くなり車は殆ど通らず、雨のせいか人も歩いていません。

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木柱に「大椚(オオクヌギ)宿発祥の地」とかかれています。が、甲州道中四十四次には無い宿場なのだそうです。

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こんな場面にも遭遇しました。 事故直後の写真 ではありませんが、それでもまだ最近のもののようです。

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「西光寺」・・・ここの住職さんは木板に思い付いたことを書くのがお好きらしく、境内だけではなく周辺にも立て掛けられていました。

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多くの方が甲州街道歩きのことをサイトに載せていますが、どなたもが言う吠えることで有名な犬のようです。

私も吠えられましたが、声を掛けるとポーズ?を取ってくれました。

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途中で眺めた風景ですが、下に「中央高速道」が見えています。

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「恋塚一里塚」・・・江戸から数えて21番目の一里塚跡で、山梨県上野原町の史跡に指定されているそうです。

そしてこの近くには「君恋温泉」という嬉しい名前の一軒宿が有り、泊まりたかったのですが時間が中途半端になってしまうので諦めました。

この「恋塚」から「鳥沢」までは やや急な下り坂が続き国道に合流しますが、ここまで雨の中を歩いてきて、いささかゲンナリ。
予定を変えて電車で「猿橋駅」に途中下車しながら河口湖まで行くことにしました。

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「猿橋駅」で途中下車して眺めた「雨の猿橋」です。

説明では・・・国の三奇橋の一つで国指定名勝。橋は溶岩を侵食した深い絶壁に架けられ、水面からの高さ31メートル、長さ32メートル、幅3.3メートルあり、1本の支柱も使わず、両岸から長く斜上に突き出された四段の刎木(はねぎ)が橋脚のかわりをしている

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猿橋駅で偶然出会った少年ですが、「村田望留(ミル)クン」という子で下記のような経歴の持ち主でした。

『2008年8月9日に東京武道館にて行われた第8回全日本少年少女空手道選手権大会(形競技)の速報です。
【6年生男子】 優勝:村田望留(山梨)・・・後略』

彼には「インターネットに載せるけど」と話し、OKを貰いました。

今日の歩数 約23300歩 歩行距離 約15㎞ 正味歩行時間 約3時間25分

きょうのルートは小刻みなアップダウンが続き、昔の人は難儀続きだったのではないでしょうか。

 【 続く 】

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302,「甲州街道・一人旅」(その5)

第5日目 きょう 5/9 の行程は「鳥沢から初狩まで」
昨日「河口湖」に泊まったので電車で「鳥沢」まで戻り、そこから歩き始めました。

今日の天候は晴れ、久し振りの快晴です。

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先ずは昨日から今日に掛けて撮った富士山を2枚載せたいと思います。

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夕方の冨士ですが、雲が輪を描いていて見事でした。

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朝のホテルから撮った「河口湖の逆さ冨士」

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「鳥沢」の国道沿いに建っている家並み

P1140945 改めてみた「猿橋」の木組み

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「新猿橋」のらんかん模様

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猿橋の一里塚跡

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大月を過ぎると丁字路になりますが、ここにあるのが甲州街道と冨士山道との追分碑・・・ 甲州街道と冨士道との追分で、富士道(富士山参詣道)は、大月宿が起点となる。
小さな広場には中央の祠の右に道標が3つ立っていて、左から順に
「左富士街道 右甲州街道」、「左ふじのみち 右甲州道中」、「左富士の道 右甲州道中」と刻まれている そうですが、私にはよく読めないし先を急がなくてはなりません。

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「花咲本陣跡」大月市の案内によると・・・江戸時代の本陣建築の性格を伝える貴重な建築物として知られるのが花咲本陣跡「星野家住宅」(国重要文化財)です。嘉永5年頃の建築とされるそうですが、今でも生活の場になっているとか。

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初狩に近付いた時見付けた「たかが道標 されど道標」の100キロ標識

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初狩駅の傍で偶然出会ったシンガーソングライターの「みなみらんぼう」さん、早速サインの貰いました。

らんぼうさんは仲間と登山し、これから電車で帰るとのこと。私は初狩駅前の旅館に泊まります。

今日の歩数 約32970歩 歩行距離 約22㎞ 正味歩行時間 約4時間15分

【 続く 】

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303,「甲州街道・一人旅」(その6)

第6日目 きょう 5/10 の行程は「初狩から笹子峠を越えて勝沼まで(その1)」 
天気は快晴です。

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初狩を出ると直ぐにあったのが「小林本陣跡」で、ここには明治天皇が立ち寄ったという石柱(左端)が建っています。

今回此の街道を歩いていて気に掛かったのが、「明治天皇」が行かれたという場所が多いのに驚いたこと。
例えば、休んだとか、水を飲んだとか、田植えをしたなどが石碑として残っています。

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旧道を歩いていると由緒有りそうな家があり、家のオバァチャンが仕事をしていたので「家の写真を撮らせて」と頼むと、快くOK。

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更に家の中に案内してくれて、「この柱も古いもの」とのこと。
柱は古いかも知れませんがその太さに驚いてしまいました。

後で、この柱の傍に案内してくれたオバァチャンに立ってもらえば良かったなぁ と思いましたが後の祭り。

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笹子に近付くと「笹一酒造」という造り酒屋があり、その広場にはこのような大太鼓が置いてありました。

この太鼓は、直径 4.8m、長さ 4.95mで「世界一」の大きさだそうです。

この広場はドライブインになっていたのでコーヒー・ブレイク。久し振りのコーヒーです。

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国道にある「笹子餅屋」・・・若い頃、中央線に乗って山歩きをしたことがあり、その帰り「笹子駅」でこの「笹子餅」を買った記憶がありますが、今の駅は無人駅なので駅での販売はどうなのでしょうか?

この店を見ながらチョット気になりました。

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笹子を過ぎると「普門院」というお寺があり、その門柱のところに 『江戸日本橋より二十五里という「一里塚」』という標識がありました。

これは新しく造られた標識でしょうが、やはり見ると昔はどうだったのだろう と想像してしまいます。

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お寺のところから「笹子峠」方向を眺めた画像ですが、どこが笹子峠なのかは判りません。マァあっちの方向なのでしょうが・・・(苦笑)

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「笹子鉱泉跡」 以前は宿泊が出来たようですが、今は残念ですが閉鎖してしまったようです。

ただ入浴だけならOK という話も聞いたことがあります。

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写真の撮り方が悪いので判りづらいのですが、ここが「国道と旧道の分岐点」です。右へカーブしているのが国道、左直進が旧道です。

ここで問題発生 !!   この分岐点に「コンビニがある」という情報があって、そこで昼飯を買えばよい と考えてここまで来ましたが、閉鎖 休日ではなく閉鎖でした。
これで昼飯を食わずに笹子峠を越えなくてはなりません。

このようなことは富士山麓でも経験したので、非常食?としてスニッカーというチョコバーを持っていますから これが昼飯代わりです。

初狩からこの分岐点までは、それほど急な勾配ではありませんが登り坂の連続でした。

       【 続く 】

 

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304,「甲州街道・一人旅」(その7)

「初狩から勝沼へ の後半(その2)」です。
(その1)の国道と旧道の分岐点から、 「笹子峠」への登りに入ります。

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笹子峠唯一の名所と思われる「矢立の杉」・・・樹高28㍍、根回り14.8㍍。幹が損傷し、空洞があり空が見える。
樹齢一千年におよぶ甲州街道きっての杉の大樹で、県の天然記念物。

鎌倉時代、源頼朝が富士の巻狩りで矢を立てた物語や、五〇〇年前には武田氏の里から岩殿城に出向した武士達が
「岩殿山で国みれば国恋し矢立の杉がみえ候」などとうたわれ既に名木であったことが伺える。
武家社会の頃、戦陣に向かう武士達はこの山中巨木の生い茂る中に超然として他の大木を従えて立ち、まれに見る強い生命力を堅持するこの大杉を神霊と仰ぎ、戦勝とまた無事にこの大杉の前を意気高く凱旋できることを祈って一番矢を射立てたといわれる。

右下に空洞が見えますが、最近根回りのロープを張り、空洞内どころか傍にも近付けないようになっていて、樹木の保護のためには良いことだと思いました。

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旧街道の笹子トンネル・・・1938年(昭和13年)に開通 長さ240㍍

1998年(平成10年)1月 文化庁の登録有形文化財(第19-0022号)に登録されているとのことですが、風格ある姿が魅力的です。

「古道」はこのトンネルの右手から登るようですが、私はショートカットでトンネルを歩きました。

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トンネルを抜けて「古道」を歩きましたが、沢には地元のかたのご尽力でこのような立派な丸太橋が架けられていました。

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峠越えが終わり、国道に戻って勝沼を目指しますが、途中で見掛けた「朽ちた吊り橋」です。

もちろん通行禁止ですが、近隣に住む人には重要な橋だったのではないでしょうか。

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大善寺の手前に何故か「近藤勇(新撰組)」の石像が・・・慶応4年(1868)柏尾の大善寺付近で近藤勇を隊長とする幕府側の新撰組と、これを迎え撃つ官軍との戦いが展開した。
近藤勇は江戸を発ち甲州街道を進軍、しかし、新撰組は300人余り、官軍は1000人を超える部隊。新撰組は1日であっけなく敗走する。

とのことですが、これを記念?した石像なのでしょうか?

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「大善寺・楼門(仁王門)」・・・元禄17年(1704年)に創建され、現在のものは、寛政10年(1798年)に再建された ものだそうです。

P1150195 「大善寺・薬師堂(国宝)」・・・甲州ぶどう発祥の地。

『説明によると・・・「大善寺伝説」養老2年(718)僧行基が甲斐国を訪れたとき勝沼の柏尾にいたり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、右手にぶどうを持った薬師如来があらわれたといわれます。
 行基はその夢を喜び、早速夢の中にあらわれたお姿と同じ薬師如来を刻んで安置したのが、今日の大善寺であります。
 以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬のぶどうのつくり方を村人に教えたので、この地にぶどうが栽培されるようになり、これが甲州ぶどうの始まりだと伝えられているそうです』

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やはり勝沼はぶどうの名産地。このような地道な手入れがあるからこそなのでしょう。

P1150221 「ぶどうの古木」根回りは一メートル余り、木肌はカサカサで中央部は空洞、いかにも古木らしい。しかし、目の上に広がる大きな棚に枝を伸ばしています。百年を経た今も現役で、今年も約二百キロの収穫が見込まれるほどたわわに実を結ぶのだそうです。

P1150214 「旧田中銀行」・・・国登録有形文化財で、明治三〇年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられたそうで、大正9年より昭和7年ごろまで山梨田中銀行の社屋として利用された とのことですが、今では甲州街道を歩く人たちへ色々なサービスをしているとか。

この日は遅かったようで扉は閉められていました。

この「笹子峠越え」は今回のハイライトなので、私個人の時間を記録したいと思います。
「初狩」の宿の出発・・・7:20→笹子駅通過9:15→国道と旧道の分岐点9:50→矢立杉10:40(休憩)→笹子トンネル11:30→国道との合流点13:50→大善寺15:10→勝沼民宿着16:10 (後半にはいると休憩時間も増えてきました)
歩数39765歩 歩行距離 約26㎞ 正味歩行時間  約5時間20分

                 【 続く 】

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305,「甲州街道・一人旅」(その8)

第7日目 きょう 5/11 の行程は「勝沼から竜王まで」
余裕があれば「甲州・善光寺」や「舞鶴城(甲府城)」にも寄り道したいと思っています。

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勝沼・旧街道沿いの家並み

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これも旧街道沿いにあった家ですが、由緒を感じさせてくれるようです。

それと屋根の上は「煙り出し」のためなのでしょうか?

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このお宅も上の画像のような形になっています。

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上と同じ形で、このような形をした家が所々に建っていて、勝沼独特の様式なのかも知れません。

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桃畑ですが、まだ梅の実くらいの大きさで、収穫はだいぶ先のことらしい。
出来れば家に送ろうと思ったのですが残念です。

P1150251  桃畑の仕事をしている母娘に挨拶すると、「お茶でも飲んで行きなさい」と声を掛けられ、お茶と漬け物のお接待、遠慮なく頂戴しました。
桃のことを聞くと、出荷は7月頃だそうです。
(このお二人には、良く撮れていたらHPに載せることの了解は貰いました)

P1150265  「遠妙寺・仁王門」・・・文永11年(1274年)に日蓮上人が開いた身延五ヶ寺の一つ。
この寺院は謡曲『鵜飼』の発祥の地として名高い。境内に鵜飼堂、鵜飼天神、勘作供養塔があるがこれは鵜飼いの祖である鵜飼勘作の供養のために建てられたもの と解説されています。

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「石和本陣跡」の碑・・・何故か金網で仕切られています。

P1150278  「善光寺・本堂」・・・長野の善光寺はご開帳で賑わっているようですが、甲州・善光寺では閑散としていました。

P1150306  「舞鶴城(甲府城)跡」・・・説明によると、甲府城(甲斐府中城)は、甲斐の国に存在した唯一の本格的な城郭と言っていいでしょう。
鶴が羽を広げた姿に似ていることから、江戸中期から「舞鶴城」と呼ばれるようになりました。
甲斐の国といえば戦国時代の武田家ですが、甲府城は武田家の造ったお城ではありません。
【武田家の居たところは、甲府城よりも北側の現在「武田神社」となっている躑躅ヶ崎館です】とのことです。

P1150327  竜王のホテルから見た「鳳凰三山への夕陽」  (ホテルの人に聞いたのですが、鳳凰三山には違いないが、山頂の突起が「地蔵ヶ岳」かどうかは判らない とのことでした)

鳳凰山(ほうおうさん)は山梨県の赤石山脈(南アルプス)北部の以下の三つの山の総称で「鳳凰三山」とも呼ばれる。北から順に
地蔵ヶ岳 ( 2,764m)
観音ヶ岳 ( 2,840m)
薬師ヶ岳 ( 2,780m)

今日の歩数 約37600 歩 歩行距離 約24.5 ㎞ 正味歩行時間 約5時間10分

 【 続く 】

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306,「甲州街道・一人旅」(その9)

第8日目 きょう 5/12 の行程は「竜王から日野春まで」
今までは西方向に歩いてきましたが、竜王からは北西方向に向気を変えます。
天気は晴、けれども霞が掛かっているようで周囲の山は良く見えません。

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説明によると・・・名称「竜王新町下宿道祖神場」
道祖神、丸石神体径45cm(銘)衢神、文正文七申極月、氏子中 と彫られているとのことです。

こちらでは「道祖神」にボールのような石を使っているようで、他の場所でにもありました。ただここのように1つだけではなく、数個を積み重ねてありましたが。

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「泣石」・・・天正10年(1582)、高遠城が落城すると武田勝頼一行は完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。
その途中、勝頼夫人はこの地で燃える新府韮崎城を振り返り涙を流したという言い伝えがあり、この裂け目から水が流れていたのでしょうか。

高さ約3.8m、幅約2.7m、奥行き約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまったそうで、とても大きな岩です。

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ここは「泣石」の少し先にある「舟形神社」ですが、ここにも丸石の「道祖神」がありました。

それと変わっているのが、その先にある「鳥居」で、比較する物がないので判りにくいのですが、とても丈の低い物で屈まなくては通れません。

P1150347  蔵が並ぶ旧街道

P1150354  鳳凰三山 だと思うのですが、残念ですが霞が掛かっていてハッキリ見えません。

P1150377  韮崎駅傍にある「平和観音」・・・七里岩の南端に1961年(昭和36)に建てられた観音さまで、台座を加えた高さは 18.3m  だそうです。

これは「大船観音」「高崎観音」と並んで三大観音と呼ばれているとか。

P1150369  これも韮崎にある「雲岩寺」で、七里岩の南端、岩崖絶壁の中段に一大洞窟がある。
洞窟に聖観世音菩薩、弘法大師御尊体、千体地蔵尊のほか数知れず石仏が安置されている。
御堂の建築様式は室町時代のもので岩壁に張り出した舞台作りの珍しい建造物 と説明されています。

P1150389  このお宅も旧道で見たのですが、何か由緒がありそうな門構えです。

P1150400  「徳島堰」・・・この徳島堰は、江戸深川の人「徳嶋兵左衛門」により、上円井(韮崎市)から富士川舟運の起点、鰍沢(南巨摩郡鰍沢町)までの水路を開削し、荒地の新田開発と甲信駿河三国(現在の山梨県、長野県、静岡県)を舟運で結ぶという、遠大な構想から計画され、今から約340年前の1665年(寛文5年)2月に兵左衛門の私財により工事が始められました。

この工事の完成により、豊かな水が流れ、いたるところに美田の開発が進み、地域農民の生活は飛躍的な発展をとげました。この「徳嶋兵左右衛門」の功績を称え「徳島堰」と命名されたとのことです。

驚くのはその水量と流れの速さで、大人でも落ちたらヤバイことになること必定。

今日の歩数 約37600歩 歩行距離 約24.5㎞ 正味歩行時間 5時間10分

    【 続く 】

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307,「甲州街道・一人旅」(その10)

第9日目 きょう 5/13 の行程は「日野春から武智鉱泉まで」
天気は晴、霞も薄くなってきているようです。

Photo_2

P1150426  朝の「鳳凰三山」だと思います。

P1150430  実相寺の「神代桜の巨木」・・・花の色が淡い紅色から開花するにつれ白くなることから「シロヒガン」と呼ばれているそうです。

Photo_3  「万休院」に舞鶴松という見事な松があると聞き、立ち寄ってみました。

しかし残念ながら昨年('08/3)松食い虫の被害で枯れてしまい、やむなく伐採。

樹種はアカマツ  樹齢450年
名称の由来は、傘状の枝が階段状になり、全体の樹形が優美で、ちょうど鶴が舞う姿に似ていることからきているそうです。
全体が約370本の支柱で支えられていて
根元の周囲・・・4.0㍍   樹高・・・9.0㍍  総枝回り・・・74.0㍍ そうです。

上(お借りした画像)が伐採前の松で、下が今年新たに植えた松です。

P1150452  途中、地元の方が整備したという「甲州古道」が数百㍍続いていました。

左下に小さなお地蔵さんが道中の安全を見守っていたのでしょう。

P1150465 古道から旧街道に戻り、少し歩くと有ったのが「酒蔵・七賢」。
中に入ると酒の他にアイスクリームもあって、さっそく吟醸酒入りアイスクリームを食べる。酔うと困ると思いましたが酔うほどではありません。

女子社員が「お酒の試飲も出来ますよ」とのことで1杯頂いたが、コクがあってこれがうまい。買おうと思いましたが荷物になるので・・・

P1150470 七賢の斜向かいにあったのが、和菓子の「金精軒」。ここは「信玄餅」の元祖店らしいが入るのは止めて素通り。

旧街道を歩いていると地元の人が話し掛けてきました。尤も私も地元の人には挨拶をするよう心掛けていましたが。

そして「南アルプスの天然水があるから1本持って行きなさい」、渡りに舟で有り難く頂戴することにしましたが、持ってきたのがナ・ナント 2リットルボトルお接待。お陰でザックの重さは倍になってしまいました。(この画像はありません)

P1150475  時代劇に出てくるような蔵屋敷

P1150484 旧道を歩きながら撮ったスナップ。遠くは南アルプスの甲斐駒ヶ岳・・・甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)は、赤石山脈(南アルプス)北端に位置する標高2,967mの山である。
峻険な 山容をもち、半ば独立峰のような姿勢で屹立する日本アルプス屈指の名峰。
日本百名山、日本百景の一つにも数えられている。 「駒ヶ岳」の名を冠する山は全国に18山あるが、その中ではこの甲斐駒ヶ岳が最高峰である(2位は木曽駒ヶ岳の2,956m) だそうです。。

P1150501  こんな場面にも遭遇。もう燻ってはいませんが、それでも放水用ホースは片付けられていませんから まだ最近の火事なのでしょう。

P1150506  「山口関所跡」の碑・・・ 1546年(天文10)武田信玄が伊那進攻時に設けられたと伝えられ、1836年(天保7)百姓一揆の時、、防がないで開門した罪で番士が解職された という記録があるそうです。

P1150529  「大阪屋本陣跡」・・・蔦木(ツタキ)宿本陣跡と、その江戸末期建築の「本陣表門」ですが、この門だけで裏には何もありません

今日の歩数 約37900歩 歩行距離 約24㎞ 正味歩行時間 約5時間40分

 【 続く 】

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