85,東京ってオモシロイ(高輪・泉岳寺界隈)①
江戸周辺の宿場でまだ行っていないのが「品川宿」、そこで品川宿から鈴ヶ森までの散策を決め、快晴の '07/5/21 家を出ました。
しかし電車内で急遽行き先を「高輪・泉岳寺界隈」に変更。理由は簡単、家を出るののが遅かったたからです。
スタート地点は2時方向の「田町駅」、東京寄りに少し戻ると「西郷隆盛と勝海舟会見跡の碑」で、次に7時方向に進むと「高輪大木戸跡の石垣」。
ここから「泉岳寺」は8時方向の近くにあります。 泉岳寺に掲示されていた10時方向の「大石内蔵助切腹の跡」へ行くことに。 更に10時方向の「覚林寺」、5時方向へ下がって「高輪消防署」、「高野山別院」、「東禅寺」を経由して、品川駅に着きました。
慶応4年(1868年)3月9日、山岡鉄舟は西郷との会談で、江戸城開城の基本条件について合意を取り付けることに成功した。その後も山岡鉄舟が会談をセットアップし、勝が単身で薩摩藩邸で西郷と交渉、同年4月11日、江戸城は無血開城されることとなたわけです。 この碑の場所は薩摩藩邸の在った所で、後ろは直ぐ海だったようです。
「高輪木戸跡」 最初芝に造られたものが1724(享保9)年に現在地に移されました。 高輪大木戸は、江戸の南の入口として旧東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていました。
江戸の入口であるから大木戸と呼ばれたのです。 伊能忠敬が測量の起点としたのがここだそうで、都の指定史跡になっています。
蛇足; 四谷にも大木戸がありましたが、今は石柱だけが建てられていて、この石垣のようなものを含めて何もありませんでした。
「泉岳寺山門」 説明によると・・・この門は天保3年(1832年)34世大道貞釣(だいどうていきん)和尚代に再建されたものです。二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめ込まれています。「泉岳寺」の額は、晋唐の墨蹟研究者であった大野約庵による書 とのことです。
「泉岳寺本堂」 説明によると・・・現本堂は戦災後の昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。 ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが納められています。 正面に掲げられている「獅子吼」の額は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを指す とのことです。
この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門で、明治時代にここへ移築されたものだそうです。
と言うことは、先日歩いた「佃島・築地界隈」で見た屋敷跡(聖路加病院傍)にあった門だったとは、何故か身近に感じてしまいます。 《 続く 》
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