141,歩行トレーニング ①
前回「日光街道一人旅」を考えているということと、この為の歩行トレーニングをしていると申し上げました。
そのトレーニングルートは下図の「サイクル&遊歩道」なのですが、毎回同じ道を歩いていては飽きてしまうので、少しルートを変えて歩いてみました。
すると東京と同じように 千葉にもオモシロイ所がありそうなので、時間があったら「東京ってオモシロイ」と同じように散策したい と思うようになっています。
これがその散策ルート(黒線)で、1時方向の「子安神社」、下がって「大賀ハス種発見の池」、7時方向に下がって「検見川神社」。
4時方向に移動し「最後の清国皇帝薄儀(ふぎ)の弟 愛新覚羅薄傑(アイシンカクラフケツ)の旧居、その近くにある「神谷伝兵衛の元別荘」。
次は8時方向の「見浜園」、海浜幕張駅を過ぎ、1時方向の「昆陽神社」に寄って散策は終わりました。
なお、私の家は1時方向ですが地図には入りませんでした。
千葉風土記によると・・・室町時代、千葉介21代幕張城主馬加睦奥守平康胤氏の奥方が妊娠し11ヶ月になっても兆しがなく心痛し日頃崇敬している船橋三山の二宮神社、畑の子安神社、武石の三代王神社、幕張の子守神社、四社の神主を呼び寄せ幕張の浜で安産祈祷した処、間もなく奥方が無事に男子を安産し時に西暦1445年(文安2年)9月16日であった。 康胤はじめ家臣、領民が欣喜し四社の御神徳に報ゆる為の祭りを安産の御礼として拳行した、この行事を知って新たに菊田、大原、時平、八王子、高津比め神社の五社が参加し九社のお祭りとなる。時に西暦1727年享保12年(八代将軍吉宗)の頃から七年目毎に行われる大祭となっる。(千葉市風土記)
社殿の裏になりますが、ここは古墳だそうで、神社の口伝では桓武時代に子安古墳を神体としたのが始めという、とのことらしいです。
神社の近くではサツマイモの収穫をしていましたが、「大きすぎて美味くないだろう」と言っていました。
このような旧家?がこの付近に散在しています。
昭和26年(1951)3月、千葉検見川東京大学グランド地下より発見された3粒の蓮の実は、蓮の権威者大賀一郎博士により、約2000年前のものと鑑定され、その年の5月発芽し翌年7月18日見事に開花した。 この池から種が発見されたそうです。
その後、千葉公園など各地に移植され、毎年薄紅色の美しい花を開いている。 また、ここから世界各地にも送られ、友好親善を深めている とのことです。
【続く】
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