146,日光街道一人旅(一)
'07/10/30~11/6 にかけて 「日光街道」を お江戸日本橋から日光まで 歩いてきましたので、シリーズ物になりますがご覧いただけますと幸いです。
泊まった宿場?は、草加・粕壁(春日部)・栗橋・小山・雀宮・徳次郎(トクジラ)・今市・そして日光(鉢石(ハツイシ)で、7泊して日光へ到着しました。総歩行距離は約150㎞で、1日の歩行距離は19~25㎞/日 くらいでしょうか。
第一回は、「日本橋」から最初の宿泊地である「草加」まで を載せます。
10/31 a.m 9:30 日本橋をスタート
スタートは7時方向の「お江戸日本橋」で、途中にある目ぼしい所に立ち寄り、写真などを撮りながら北上して行きます。
この日のルートは、ブログ「東京ってオモシロイ」で千住までは歩いたことがありますから、わりと歩きやすかったコースだったのですが、それから北方向は未知の土地です。
出発を記念?して、偶々通りかかった方に撮ってもらいました。
江戸の牢屋敷は慶長年間(1596~1615)に、常盤橋外からこの小伝馬町に移転した。そして、明治8年(1875)5月廃止されるまで存続していたものである。
面積は2618坪(8639㎡)あり、これの敷地の四方を堀でめぐらしていた。南西部に表門があり、獄舎は、揚座敷、揚屋、大牢および女牢部屋に分かれ、明暦3年(1657)の収容因人は130人であり、安政大獄(1859)には吉田松陰ら90余名が収容されたこともある。と解説されています。
屋敷跡の今は寺院・小学校・公園になっていまして、公園には吉田松陰の辞世の歌碑もあります。
浅草 「浅草寺の雷門」 浅草寺の説明は省きますが、スタートしてからチョウド1時間かかって雷門を通過しました。
「小塚原刑場跡」に安置されている「首切り地蔵尊」で、南千住駅の近くにあります。 走っている電車は常磐線です。
ここは品川の「鈴ヶ森刑場」と並ぶ江戸時代の刑場跡とのこと。
ここまでの歩行時間は2時間強。
ここまで4時間歩行
「火あぶり地蔵尊」・・・奉公に出ていた娘に母危篤の知らせが届き、主人に暇を願い出たが許されず、主人の家が焼けてしまえば母に会えると火をつけた。娘は捕縛され火あぶりの刑となった。村人は娘を哀れに思い地蔵を建てた という伝説があるそうです。
なお、この場所は処刑場だった とも言われているようです。
約5時間半経過
草加駅前広場にあるもので、「煎餅を焼く「おせんさん」と呼ばれている彫像です・・・昔、日光街道は草加松原の茶店で、おせんさんという女性が団子を売っていました。おせんさんは売れ残った団子の処分に困っていましたが、ある日、侍が「団子を捨てるのはもったいない。つぶして乾かし、焼き餅 として売ってはどうか」とアドバイス。おせんさんが焼くこの餅 は評判を呼び、街道の名物となったそうな。
さすが「草加」は煎餅の町らしく、多くの煎餅店が店を開いています。
15時20分 草加の宿にチェックイン、歩行距離は19㎞弱、時間は約5時間50分(昼食や休憩を含む)
【 続く 】
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/96720/8851769
この記事へのトラックバック一覧です: 146,日光街道一人旅(一):





コメント
微爺さん こんにちわ。
日光一人旅 完歩おめでとうございます。
一日19kmから26kmまで すごーい。わたしも歩くときは10kmくらい
いきますが、それ以上は最近はギブアツプ
毎日の散歩で培われたのかな。体力。お宿はどうですか。毎日歩くキろ数の違いは、宿まで行き着く為?
それとも宿は きままに見つけたところかしら。
歩く距離にあわせて宿が都合よくないと 思いますが。
どうされたのですか。 いずみこ
投稿 いずみこ | 2007年11月24日 (土) 13時02分
いずみこさん、コメントを下さいまして有り難うございました。
たぶん何方でも歩けると思いますよ。
宿は その日に歩く距離や場所を考えて、事前に予約しました。もちろんケチケチ旅ですからビジネスホテルや格安の所ばかり(笑)
贅沢したのは最終日の奥日光のホテルですが、ここも他のホテルを比べれば安い と思っています。
投稿 北村(微爺) | 2007年11月24日 (土) 14時45分