159,小石川後楽園(東京)①
先日('07/11/7)行ってきた奥日光では「紅葉はもう遅い!」、とのことで残念に思っていましたが、ある時「東京の紅葉がキレイ」ということを知りました。
こんな事で思い立って '07/12/1 に行ってきたのが「小石川後楽園(東京)」でした。
6時方向にあるのが「水道橋駅」で、「小石川後楽園」は少し左上にあり、入口は一ヶ所で赤丸を付けました。
この周辺は見所が多くあって、散策には好適と思いますので、「後楽園」に入る前に、この近くのご紹介をしようと思います。
10時方向にある「伝通院」には徳川家康の生母お大の方をはじめ、千姫・孝子(家光夫人)などの女性たちを葬る徳川将軍家の菩提寺である。寺名はお大の方の法名伝通院殿によっているそうで、大きな墓石が多くあります。
伝通院の前の道路を挟んである幼稚園の園庭には「せき止め地蔵」。首に唐辛子のレイ?を掛けています。
地図の中央に戻ってくると、「こんにゃく閻魔さま」が安置されている「源覚寺」がありますが、今は立派なお堂が出来ていてその奥に鎮座していますので、残念ですがこの様に近くから拝むことが出来ません。 この境内には、全身が塩で埋もれた「塩地蔵尊」もあります。
12時方向には「樋口一葉終焉の地碑」・・・下谷区竜泉からこの地に明治27年9月より移り明治29年11月死去するまで鰻屋の離れに住んだ。
この地では樋口一葉の代表作である『にごりえ』のほか『大つごもり』『たけくらべ』『ゆく雲』『十三夜』『ゆく雲』など代表作が執筆され、この地で住んだ時期を”軌跡の二年”とも言われているとのことです。
ほぼ中央には「本郷菊坂」があり、ここには樋口一葉の旧居跡があります。一葉の父が亡くなり、母妹と女3人暮らしの借家住まいで、洗い張りや縫い物などの内職を主体にした苦しい生活をしていたが、士族としてのプライドを保っていたという ことです。
同じく「菊坂」にある、樋口一葉が通ったといわれる「伊勢屋質店」・・・一葉一家が生涯通い続けた質屋といわれている。万延元年創立の旧伊勢屋。
昭和57年に質屋業は廃業しているがいまだに当時の面影を残していて、木造店舗跡は登録文化財だそうです。
樋口一葉が幼少時代を過ごしたところで、この「法真寺」のとなりに樋口家の屋敷があったそうです。4才から9才迄住んでいて、屋敷内には大きな桜の老木があり、晩年「桜木の宿」と呼んで懐かしんだそうです。
このお寺の裏には「一葉記念館」があり、予約すれば見せて頂けるようです。
法真寺の前の本郷通りを挟んであるのが「東大の赤門」、そこを入っていくと低くなった所には「三四郎池」があります。
「小石川後楽園」の周辺紹介になってしまいましたが、後楽園のモミジについては、「続き」としてお話ししたいと思います。
【 続く 】
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お薦めの温泉
奥日光の「湯元温泉」 湯からは硫黄の匂いも漂ってきて、まさに温泉!
ここには日光市街の喧噪もなく、冬はスキー、その他のシーズンはハイキングが楽しめます。
投稿 喜多 | 2007年12月 4日 (火) 22時04分