« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月11日 (月)

173,「江戸市中引き廻し」(其の一)

時代劇を見ていると、奉行が「江戸市中引き廻しの上 火焙りを申し渡す」なんていうセリフを聞くことがあります。

この「引き廻し」というのはどの様なコースを歩くのか興味があり、調べてみたら私が持っている安政三年(1856)の地図ソフトに、このコースが点線で載っていましたので これをなるべく忠実に歩いてみることにしました。

Photo この地図が、その「引き廻しコース」を今の地図になるべく忠実になぞったもので、数字はこのコ-スにある主だった場所を表したものです。

①;伝馬町牢屋敷跡  ②;日本橋  ③;新橋駅  ④;田町駅  ⑤;赤坂見附駅  ⑥;豊川稲荷社  ⑦;迎賓館  ⑧;四谷駅  ⑨;神楽坂駅  ⑩;本郷3丁目  ⑪;上野駅  ⑫;浅草駅  ⑬;引き廻しの折り返し地 今戸橋  ⑭;浅草橋駅

P1070487 これが持ち歩いていたルート図の一部で、①~②の周辺地図です

P1070413 スタートは '08/2/5  の浅草橋駅で午前10時に出発、時計回りのコースを歩きます。

浅草橋駅の傍にある浅草橋袂に建っている「浅草見附跡の碑」・・・神田川にかかる浅草橋は、江戸日本橋から奥州路、浅草観音、新吉原へ行く重要な道筋に江戸三十六門の一つで、寛永13年(1636)に作られ江戸防衛の要だったとのこと。

明暦3年(1657)の江戸大火では、囚人の逃走をふせぐために門をしめ切ったため、一般市民の避難路が絶たれ多くの焼死者を出した。

こうした悲しい出来事もあったが、明暦以後吉原が盛んになると、このあたりから柳橋にかけて船宿ができ、船遊びも盛んになり、猪牙舟(ちょきぶね)という粋な二挺櫓の廓通いの舟が出来たのも浅草御門付近だそうです。 今もこの橋から隣にある「柳橋」に掛けては屋形船はたくさん舫って居ます。

P1070415_2 の「伝馬町牢屋敷跡」・・・江戸の牢屋敷は慶長年間(1596~1615)に、常盤橋外からこの小伝馬町に移転した。そして、明治8年(1875)5月廃止されるまで存続していたものである。

記録によればその規模の広大で、面積は2618坪(8639.4平方メートル)あり、さらに、これの敷地の四方を堀でめぐらしていた。南西部に表門があった。

獄舎は、揚座敷、揚屋、大牢および女牢部屋に分かれ、明暦3年(1657)の収容因人は130人であり、安政大獄(1859)には吉田松陰ら90余名が収容されたこともある。
今は「大安楽寺」というお寺・十思公園・小学校などになっています。

P1070414 十思公園の一隅になる「吉田松陰の辞世碑」

『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂』 と彫られていますが字が見えず失敗でした。

10時20分通過

P1070417 風情がすっかり無くなってしまった「日本橋」です。 10時50分通過

なお、私の持っている江戸時代の引き廻しルートでは、この日本橋は渡らずに「江戸橋」を渡っています。

P1070418 日枝神社(茅場町)・・・日枝神社の山王まつりについて、江戸時代から続く伝統のある大祭です。江戸三大祭として多くの人々に知られています。
1週間にわたって繰り広げられるその中でもっとも華麗な王朝絵巻として有名な神幸祭が6月9日(金)に京橋・日本橋にて執り行われます。
午前8:00に神幸祭はスタートし、氏神さまが領地を巡行します。
10日(土)と11日(日)には町会ごとの氏子神輿が繰り出すそうです。  11時00分に通過

P1070421 「京橋」・・・かつて存在した京橋川に架けられていた中央通りの橋である。日本橋より東海道にて京方向に向かう場合、最初に渡る橋が京橋であり、京橋はまさに京方向へ向かう街道の橋であった。 京橋川は1959年(昭和34年)に埋め立てが完了し、京橋も撤去された と説明されています。

当時の京橋の「親柱」が残されています(画像)

P1070420 「京橋大根河岸青物市場跡の碑」・・・寛文の時代(1661~1673)、元は数寄屋橋にあった青物市場が火災に罹災し、水運の良い京橋川付近に移設されました。当時、大根の入荷が多かったとか。以来、明治・大正と長年にわたり繁栄を続け、関東大震災後には問屋68軒、仲買人105人を擁する大規模市場だったようです。
昭和10年「中央卸売市場法」の実施に伴い、築地へと移転したそうです。

11時25分に通過

           【 続く 】

                              

| | コメント (0) | トラックバック (0)

174,「江戸市中引き廻し」(其の二)

P1070422 田町駅の傍にある「西郷隆盛と勝海舟の会見之地 碑」・・・解説によると、明治維新前夜慶応4年(1868)3月14日幕府の陸軍総裁勝海舟が江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩藏屋敷跡の由緒ある場所です。

この蔵屋敷(現在地)の裏は、すぐ海に面した砂浜で、薩摩藩国元より船で送られて来る米などは、ここで陸揚げされた そうです。

12時30分に通過

南下してきた「引き廻しコース」は、田町からY字路を今度は北上して行きます。

P1070427 北上しながら暫く歩くと左側に「慶応キャンパス」・・・説明によると、福澤諭吉が1858(安政5)年築地鉄砲洲に一家塾を開き、芝新銭座を経て、三田の現在地に移転したのは1871(明治4)年でした。

入口にいた若いガードマンに「中に入って写真を撮りたいのですが、良いですか?} と声を掛けたら、「どうぞごゆっくり 石段が多いですから気を付けて」 ヤハリ慶応ボーイは違うなぁ~

P1070423 キャンパス内のスナップですが、あまりのオシャレにただただ驚くことばかり。

12時50分に通過

P1070429 慶応のすぐ隣にあったのが「春日神社」・・・天徳2年(958年)建立
江戸府内唯一の春日社として、徳川将軍をはじめ江戸城登城の諸大名の崇敬も厚かった そうです。

P1070432 春日神社の隣にある「龍生寺」の境内には「史蹟 渡邊之綱 産湯之井戸」が残されていました。

頼光四天王(よりみつしてんのう)の1人で、源頼光と伴に活躍した4人の家臣のこと。 渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)の4人で、大江山の酒呑童子退治のほか数々の鬼退治伝説で知られています。

13時00分に通過

P1070435 前の方には快晴の中「東京タワー」が目前に

P1070434 「赤羽橋の親柱?石灯籠?」

この辺りは筑後久留米藩二十一萬石有馬考五郎の上屋敷の跡地でした。  猫三大話と言われた「有馬の猫騒動」も伝説としてあるようです。

町名の由来は、赤羽橋からとも赤羽川(今の古川)に沿っているからとも言われています。

13時15分に通過

   【 続く 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

175,「江戸市中引き廻し」(其の三)

Tokyomap (其の二)まで来ましたが、場所は8時方向にある「東京タワー」の下にある交差点(赤羽橋)です。

ここから更に北上しますがすでに昼過ぎ、どこかで昼食をと思いますが、私好みの一膳飯屋がありません。まぁどこかコンビニで握り飯でも買い、神社かお寺の境内にお邪魔しそこで食べることにしましょう。

P1070436 麻布台に在る「八幡神社」。正式には「西久保八幡神社」ということです。

この境内を借りて握り飯を頬張りました。

13時40分に昼食

P1070438上の地図で7時方向にある「谷町」を左折し、「汐見坂」を登り、アメリカ大使館の前を通り直進すると「山王溜池」に出て、正面に見えたのが我等が期待の首相さまの官邸 らしい。

14寺10分に通過

P1070440「山王日枝神社」・・・ この鳥居は「山王鳥居」といって「日枝神社」特有の形だそうです。

なお ここは古墳ではないかという説もあるようです。

14時20分に通過 お詣りしようと思いましたが時間のことと、疲れも出てきていたのでそのまま通過しました。

P1070441 豊川稲荷・・・「名奉行」とうたわれた大岡越前守忠相が自宅にまつったのが起こりとされ、明治に現在のような形になったそうです。
愛知県にある豊川稲荷を勧請したとされ、大岡越前がずっと信仰したと云われています。

P1070443 豊川稲荷社の境内にある「大岡越前守忠相の墓」・・・将軍徳川吉宗が進めた享保改革を支え、江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、地方御用や寺社奉行を務めた。 越前守だったことや、『大岡政談』や時代劇での名奉行としてイメージを通じて、現在では大岡越前として知られています。

P1070444 稲荷社だけあって「オキツネサマ」がたくさんありましたが、この様な親子キツネもいて 子宝に恵まれる とも言われているとか。

14時30分に通過

   【 続く 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

176,「江戸市中引き廻し」(其の四)

P1070446 「迎賓館の和風別館 東門」・・・解説によると、江戸時代のここは「紀伊和歌山藩 紀伊中将慶福(後の徳川 家茂?(とくがわ いえもち)の屋敷でしたが、明治天皇の皇太子殿下・嘉仁親王(後の大正天皇)の御成婚後の新居として、 1899(明治32)に着工し、10年の歳月をかけて建造されました。
ネオバロック様式の華麗な洋風建築で、緑青の屋根、花崗岩の外壁、各種の装飾類等の調和がとれた、 片山東熊の傑作です。
その後、1969(昭和44)年から5年にわたり村野藤吾により改修され、 1974(昭和49)年より国の迎賓施設として使用されています。 年に一度(8月頃)一般に公開される そうです。

14時40分に通過

P1070448四谷駅前 

14時50分に通過

15時10分市ヶ谷駅を通過

15時35分に「神楽坂の袖擦坂」通過

P1070449 神楽坂の「善福寺」・・・江戸中期の寛政4(1792)年に移転してきた日蓮宗池上本門寺の末寺で、神楽坂の中心として親しまれて続けている そうです。 

15時40分に通過

P1070450 金比羅神社  この神社は後楽園遊園地や水道橋駅の近くにありました。

16時20分に通過

本郷3丁目交差点を16時40分に通過

P1070452 湯島にある「麟祥院」 ここには「春日局の墓」がありますが、時間が遅かったのでしょうか門は閉まっていました。

「春日局」・・・天正7年(1579年)~ 寛永20年9月14日〔1643年10月26日〕)は、安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。  「春日局」とは朝廷から賜った称号で、本名は齋藤 福(さいとう ふく)。 江戸城大奥の礎を築いた人物 と説明されています。

16時40分に通過

P1070458夕焼けの 「上野不忍池」・・・縄文時代ごろ、この辺り一帯は東京湾の入り江であった。その後海岸線の後退とともに取り残されて、紀元数世紀ごろ池になったと考えられる。15世紀頃には既に「不忍池」という名で呼ばれていた のだそうです。

P1070454 「上野不忍池と弁天堂」

17時55分に不忍池 通過

17時05分に上野駅 通過  上野駅を過ぎると夕焼けも終わり、周りは写真を写せる状態ではなくなったので、カメラはザックにしまいました。

17時35分に浅草駅 通過

17時50分に折り返し地である今戸橋を折り返し

18時40分スタート地の浅草橋駅に到着

これで安政3年(1856)の江戸地図に書かれている「江戸市中引き廻し」を歩いた訳ですが、歩いてみての感想は「これは本当だろうか?」という疑問が残りました。 スタートが午前10時、一巡して来たのが午後6時40分、約8時間40分掛かった訳で、イヤァ~疲れました

【今回もお付き合い下さいまして 誠に有り難うございました。そしてお疲れさまでした】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 8日 (金)

172,照る日・曇る日・雪降る日

'08/2/3 は私が住む千葉にも雪が降りました。いつもは2月末から3月に掛けて雪の降ることがあるのですが、今年は降るのが早いのでしょうか?

P1070357 これは午前中に撮ったものですが、ちょっとした「墨絵」の世界。

けれども止んだ後の雪掻きが憂鬱です。

P1070359 せっかく咲き始めた椿にも容赦なく降り続けています。

P1070366 翌日(2/4)は無風・快晴で、麗らかな陽ざしが眩しい一日。

仕舞い忘れた水仙も被害がないようで一安心です。

P1070370

健気に咲いていたのでズームアップで褒めて上げましょう。

P1070369 「万両」も何とか無事に雪を凌いだようです。

P1070374 同じ日の夕方、近くにある神社へ「夕焼け」を撮りに出掛けました。

これは途中にある川ですが、川面に夕陽が眩しく反射していました。

P1070385 神社から見た夕焼けの風景

P1070404 同じ場所からの夕焼け風景

【 今回は私の周りの画像を載せてみました 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »