« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月26日 (水)

186,巣鴨・駒込界隈(その1)

'08/3/23 墓参で「巣鴨」へ行きましたので、帰りは巣鴨から「染井の里」を通り抜け、駒込まで散策してきました。

Photo スタートは6時方向の「巣鴨駅」、10時方向にある「真性寺」で墓参。 そのまま北上し「とげ抜き地蔵」「庚申塚」まで行ってUターン。

真性寺から1時方向に向かうと「染井通り」になって、この界隈を散策して、4時方向の「駒込駅」がゴ-ル というルートです。

なお、青字で「本妙寺」となっていますが、ここには「遠山金四郎」や「」の墓がありますし、その右隣の「染井霊園」には多くの有名人の墓があります。

P1080199_2 「真性寺本堂」・・・この寺の創建年代等については不詳であるが、江戸時代に入り元和年間(1615~1624)に中興されている。江戸時代にはこの寺に江戸六地蔵のひとつが安置され、また江戸幕府8代将軍徳川吉宗もたびたびこの寺に立ち寄ったとされる。

「江戸六地蔵」・・・正徳4年(1714)に建立された真性寺の江戸六地蔵尊。像高268cm

P1080198 境内にある彫像

P1080204 「とげ抜き地蔵境内」・・・説明によると、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺は、約400年前(慶長元年=1596年)江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移りました。明治24年、区画整備のため、当地(北豊島郡巣鴨町)に移転し、今日に至ります。御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵尊 とのことです。

P1080207_2

説明によると、江戸時代から中山道の休憩地として賑わったそうで、地名のまでなった例は珍しいそうです。

庚申塔には明暦3年(1657)の文字が見えるそうです。

Photo_2

「江戸名所図絵」で、「巣鴨庚申塔」となっていて右端に庚申塔の所在が記入されています。(あるサイトのものをお借りしました)

P1080212 この「庚申塚」の傍には都電も走っていて、停留場の名前も「庚申塚」です。

なお、現在東京を走っている都電は、この「三ノ輪橋」から「早稲田」までの1路線だけになっています。

   【続く】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

187,巣鴨・駒込界隈(その2)

ここ巣鴨界隈は「お年寄りの原宿」とも呼ばれていて、年間を通してお年寄りで賑わっています。 ここではその賑わいぶりをスナップでご紹介します。

P1080205 P1080219

P1080216 P1080220 

P1080217 P1080223

P1080218

巣鴨商店街を歩くと衣類店が多いのですが、中でも目立つのがこの「赤パンツ」。 けれども商品を見ると下着全般で、男性用のトランクスもあります。そして「干支とすがも」という文字が刺繍されています。

P1080201 巣鴨にしては珍しく卒業式帰りの若いお嬢さんが・・・

   【 続く 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

188,巣鴨・駒込界隈(その3)

Photo_3 巣鴨を離れて、ルート図の上にある「染井」へ移動します。

7時方向の「真性寺」から1時方向に行き、「染井通り」にある「十二地蔵」、「1」から1時方向の「2」を経由して「西福寺」「染井稲荷神社」、そして「3」を経由してゴールの「駒込駅」に向かいます。

P1080227 「十二地蔵」・・・染井霊園の入り口の近くに「十二地蔵」があります。(左に見える車の先が「染井墓地」です)

舟形の石に6体の地蔵が二段に刻まれたもので、珍しいものだそうです。
高さは、約1.7㍍で文字は彫られていないということですが、江戸中期のものと推定されています。
石碑の上部には火や煙のような絵が描かれていて、これは享保15年(1730年)の大火による犠牲者を供養するために 近在の人々が建てたものだと伝えられているそうです。

P1080228_2 上の列の6体をアップしてみました。

P1080235 ルート図で「1」としてある所に建てられている「大師道」の石柱。 この石柱について調べてみましたがどの様な物なのかサッパリ判りませんでした。

P1080236 伊勢の津藩主「藤堂家」の下屋敷裏門 と言われているようです。

P1080237 この門の傍に建っている「庚申塔?」。これについても詳しいことは全く判りません。

P1080240 西福寺境内に建っている「染井吉野の里碑」

西福寺・・・説明によると、創建年は不明。真言宗。染井の植木屋の菩提寺として知られる。日本最初の総合的園芸書「花壇地錦抄(かだんじきんしょう)」シリーズで園芸技術の普及に努めた植木屋伊藤伊兵衛の墓がある そうです。

P1080243 西福寺の隣にある「染井稲荷神社」で、説明によると・・・350年前に染井稲荷を記載した石碑が発見されているので建立は江戸以前と考えられ、保食神として220年前に作られた11面観音石像を祀る となっています。

P1080246染井通りの児童公園前にあった 「花咲か 七軒町 植木の里」で、碑の上ではキツネが気持ちよさそうに昼寝をしていました。

庭の手入れをしていた人に聞くと、「この石碑には由緒はない」ようで、「奇特な方が創ったものらしい」 と説明してくれました。
P1080247 駒込駅近くにある「駒込妙義坂子育地蔵尊」という名前で、寛文8年(1668年)駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立したそうです。

     【続く】

| | コメント (2) | トラックバック (0)

189,巣鴨・駒込界隈(その4)

ここでは「染井の里」で見たサクラのスナップを載せることにします。

「染井吉野」とは・・・「おおしまざくら」と「えどひがん」 の種間交雑種で、名前は幕末の頃、東京染井村の植木職人が「吉野」の名称で販売したことに由来 するそうです。

P1080245_2

「ど根性サクラ」・・・チョット見にくいのですが、地面に出ている根から 蕾が

P1080234 だいぶ蕾もふくらんでいます。

P1080241 西福寺境内ですが、サクラかどうか定かではありません。

P1080242 同じく西福寺の境内

P1080244 西福寺前の通りにある「染井吉野」の古木並木ですが、ホンノリと色が付き始めていました。

P1080233

「エドヒガン」はもう満開です。

蛇足ですが、駒込駅の発車チャイムは「♪サクラ~サクラ~弥生の空は~」でした。 が、これは季節限定でしょうね?

【 今回もお越し下さいまして有り難うございました 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月20日 (木)

185,「外斜視」の手術体験

この2~3年の間に目(左目)が大変悪くなってしまったようです。
具体的な症状としては
1,立体感が無くなり階段も平らのように見え、特に下りの段差が良く見えません。
2,距離感が掴みにくい。
3,道で車と擦れ違う時、同じ車が正面から来るものと 1時方向から来る車 の2台が見え、自分の前でV字形に合致します。
4,何かを踏みつける時、狙った場所に足を踏み出しても5㎝ほど横に外れてしまいます。

この様なことで以前から眼科で診察を受けていましたが、3/17 に左目の手術をしました。
病名?は、「左目の外斜視」、マァ早く言ってしまえば「ヤブニラミ」です。

「斜視」を調べてみると・・・【子供に多いそうですが、大人になってから発症する斜視もあります。これは眼筋やそれを支配する神経に異常が起こってのことで、私の場合は眼筋によるのだそうです。

外斜視では眼球を動かす筋肉が緊張しない状態では視線は外開きになっています。筋の緊張によって視線をそろえているわけですから疲れます。老眼と同じで年齢が進めばますます疲れます。
機能的には、片目でものを見ているため、立体感を感じられないし、距離感が掴み難くなるのだそうです。】

さて手術ですが、手術時間はおおよそ45分間で局部麻酔
手術中先生からは「目を左へ、右へ、上へ、下へ」などの指示がありますが、良く聞き取れます。
術後は少しの休憩の後、帰宅OKです。

それと、思っていたより術中の痛みはなく、術後の痛みも今の所はありません。
もちろん左目の違和感は有りますが、PCのキーもこの様に何とか打てています。

成功の暁には、上記のような 「不自然な症状が消え、少しでも元のように若返れば」 と期待していますが、74歳(1933年生れ)では仕方がない老華?現象なのかも知れません。

皆さまに何かの参考になればと思いまして敢えて載せてみました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月12日 (水)

180,亀戸~両国界隈(その1)

今回の「東京ブラブラ歩き」は、梅の季節も終わろうかという時期になってしまいましたが、'08/3/8 に「亀戸・錦糸町・両国界隈」を散策してきましたので、このことについてお話ししたいと思います。

Kameidomap_3 これは前半のルートですが、スタートは4時方向の「亀戸駅」。 ここから北上して「東覚寺」、西方向にルートを変えて「香取神社」、「普門院」、そして「亀戸天神」。  更に北上すると「龍眼寺」があり、西方向に向かって行くと「法恩寺」があります。

P1080075 名所・旧跡ではありませんが、如何にも昔から商っているような風情の店がありましたので パチリ。 「炒り豆専門の店」のようです。

P1080077 「東覚寺・本堂」・・・東覚寺は享禄4年(1531)玄覚法印の創建と伝えられている。
東覚寺の不動明王は、東大寺別当良弁(689-773)の作で、大山寺(神奈川県)本尊と同木同作といわれ、江戸時代より亀戸不動として信仰をあつめてきた とのことです。

P1080086 「亀戸印」の付いた「香取神宮」

昔は「亀戸大根」が名産だったようですが、今では想像することが出来ないほどビルの街になっています。

P1080079_2香取神宮本殿・・・説明によると、香取神社は社伝によれば665年の創建で、藤原鎌足(614-669)が亀の島に船を寄せ、香取大神を勧請し旅の安全を願ったのが始まりといわれ、以来亀戸村の総鎮守として信仰をを集めています。
平安時代の中期、関東で起こった平将門の乱(935-940)を平定した藤原秀郷が、戦勝の返礼として弓矢を奉納した古事にちなみ、毎年5月5日に勝矢祭が行われているそうです。 

P1080081 境内に安置されている「水かけ大黒・恵比寿の像」・・・亀戸の地名の由来である「亀が井」を香取神社境内に再興し、神社に納められている恵比寿、大黒像の二福神に亀が井の水」をかけ福を授かる という仕組みだそうです。

P1080091

「普門院」と、門前にある「伊藤左千夫墓の石柱」

 

P1080089 境内にある小説・野菊の墓で有名な「伊藤左千夫の墓」・・・元治元年(1864)8月18日 ~大正2年(1913)7月30日

説明によると、1898年に新聞「日本」に『非新自讃歌論』を発表。『歌よみに与ふる書』に感化され、正岡子規に師事。子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となって、斎藤茂吉、土屋文明などを育成した。

また、1905年には、子規の写生文の影響を受けた小説『野菊の墓』を『ホトトギス』に発表。夏目漱石に評価される。代表作に『隣の嫁』『春の潮』など  となっています。

    【 続く 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

181,亀戸~両国界隈(その2)

P1080075_2 「亀戸天神」・・・説明によると、徳川幕府は本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてきた となっています。画像は亀戸天神ののパノラマです。

P1080114藤棚と太鼓橋

P1080110 「塩原太助」・・・江戸時代中期から後期にかけて両国で薪炭商を営み、一代で財を築き、その豊富な私財で道路改修や土木工事に投じたそうです。

今では回向院の裏手に「塩原橋」という橋も残っています。その太助が寄進したという石灯籠。

講談などでお馴染みですが、上州から江戸へ出てくる時、大切に飼っていた馬との涙の別れは有名です。

P1080112 境内の太鼓橋からの「社殿」

参道の両側には梅林や藤棚が続いています。

P1080118ここは「くず餅」で有名な 「船橋屋」・・・江戸は文化二年(1805年)、十一代将軍徳川家斉の頃、船橋屋は創業いたしました。初代勘助の出身地は下総国(千葉県北部)の船橋。当時ここは良質の小麦の産地でありました。
勘助は、亀戸の天神様が梅や藤の季節に参拝客でにぎわうのを見て上京し、湯で練った小麦澱粉をせいろうで蒸し、黒蜜ときな粉をかけた餅を作り上げました と説明されてます。

今はくず餅の他に甘味もあって、若い人にも人気があるそうです。

P1080119 龍眼寺の山門と本堂で、応永2年(1395年)創立。江戸の頃、住職が諸国から百種以上の萩を集め、境内に植えてから萩寺とも呼ばれ、江戸の名所となり、多くの文人墨客の来遊するところとなったそうです。

P1080120_2 境内に安置されている「布袋さま」

   【 続く 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

182,亀戸~両国界隈(その3)

Kameidomap_5今回はこのルート図では最も西側(9時方向)の場所の紹介で、「法恩寺周辺になります。

P1080135 「法恩寺」の「山門」と「三重塔の鐘楼」・・・長禄2年(1548)に太田道灌によって江戸城内に開かれた祈願所が始まりで、その後神田の柳原から谷中の清水町へと移転し、現在の場所へ落ち着いたのは元禄8年(1695) とのことです。

P1080127 「法恩寺の本堂」

P1080130 「太田道灌の供養塔」・・・説明によると、室町中期の武将であり、歌人でもある。 名は資長(幼名は鶴千代丸、初名は持資)といったが、1458年には剃髪し、道灌と号した。  

築城(「城取極意」)・兵馬の法(「武経七書」:孫子・呉子・司馬法・尉りょう子・六とう・三略・李衛公問対、足軽戦法)に長じ、江戸城(1457年)を始め川越・岩槻など諸城を築いた となっています。

P1080134境内に建てられている 「太田道灌と山吹の花」の物語のレリーフでして大変見難いのですが、上の方に太田道灌が、そして左下に山吹の花を持った女性が彫られています。

この「山吹の里」については、早稲田(東京)の傍にある「面影橋」の袂に、その碑が建てられています。

P1080133 「三重塔の鐘楼」ですが、珍しいのではないでしょうか。

経石塔(三重塔)は宗祖六百五十年遠忌記念として昭和7年(1932)建立.。
天平風鉄筋造り、当時新様式鐘楼として名高い のだそうですが、空襲に遭わなかったのでしょうか。

P1080129 ここの境内の梅も満開でした。

P1080136

法恩寺の傍に建てられていた「たんぼとけ」の碑(右には小さく「たん・ぜんそく・百日咳守護」となっています)・・・痰に苦むものは一七日の精進をして祈願を籠め、全快する時は御礼として塔婆を上げるのださうだ、寺からは別に御符をくれる・・・この様に明治40年11月発行の新聞に「東京の迷信」として書かれています。 

   【 続く 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

183,亀戸~両国界隈(その4)

Kinnsichoumap (その4)は、2時方向にある「妙見山別院」からで、「大横川親水公園」を歩き、9時方向に向かって「北斎通り」を通り、「江戸東京博物館」の所で6時方向に下り、「両国公園」・「吉良邸跡」・「回向院」からゴールの両国駅までのコースです。

P1080138_2 「能勢妙見山別院」・・・大阪能勢妙見山の全国唯一の別院として、安永3年5月11日の創建です。また能勢筑前守頼直の江戸屋敷であり、屋敷内に妙見堂を建立して摂津ノ国妙見山より妙見尊像を分祀したもの だそうです。

P1080145本堂

P1080142境内に安置されている「勝海舟胸像」・・・勝海舟が九歳のとき、犬に急所を噛まれる大怪我を負った。海舟の父小吉は、能勢妙見堂で息子の回復を祈り続け、海舟は急死に一生を得た。そのことを記念して境内に勝海舟の胸像が創られた とのことです。

小説「父子鷹」や「勝海舟」を読むと、父の子吉は普段からこの妙見山を信仰し、水垢離修行をしていたらしく、今でも毎年2月に水行が行われるそうです。

Photo

「葛飾北斎誕生の地」・・・説明によると、宝暦10年(1760) ~嘉永2年(1849))は、江戸時代の化政文化を代表する浮世絵師の一人である。  森羅万象何でも描き、生涯に3万点を越す作品を発表し、版画の他、肉筆画にも傑出した。  さらに読み本挿絵芸術に新機軸を出したこと、北斎漫画をはじめ絵本を多数発表して毛筆による形態描出に敏腕を奮い、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところが大であった。  葛飾派の祖となり、ゴッホなど印象派絵画の色彩にも影響を与えた。

代表作に「富嶽三十六景」「北斎漫画」などがある となっています。

P1080151 「北斎通り」・・・ここ両国本所で「葛飾北斎」は生まれたとのことで、町興しということなのでしょうか「北斎通り」と名付け、活性化に一所懸命のようです。

この道路標識や、街路灯には北斎の絵が多数飾られています。

P1080152 北斎通りにある「野見宿弥神社」・・・角力の始祖である野見宿弥を祀る神社です。境内には横綱の碑があって歴代の氏名が刻まれています。

P1080156 両国公園にある「勝海舟生誕の碑」・・・公園付近に男谷(オタニ)精一郎の屋敷があった。勝海舟の父小吉は幕臣男谷家から勝家に養子に入った人物であり、男谷家に居候していたときに麟太郎(海舟)が生まれた。 男谷家当主の精一郎は直心影流の名人であり、自宅で道場を構えていたほか、幕府が設立した講武所でも教えた。  碑の揮毫は西郷吉之助(西郷隆盛の孫)である。

P1080158 「吉良邸跡」・・・忠臣蔵の討ち入りの舞台になった所です。

P1080166 「回向院の山門」

この正面方向が「両国駅」で、歩いて数分です。

P1080162 境内にある「鼠小僧次郎吉の墓」・・・寛政9年(1797) ~天保3年(1832)は江戸時代後期、化政時代に出没し大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名、次郎吉(じろきち)。合わせて「鼠(ねずみ)小僧次郎吉」と称される事もある。  本業は鳶職であったと言われ、義賊として有名な人物  はご存知の通りだと思います。

江戸市中引き廻しの時には美しい着物を身に付け、薄化粧をして口紅までしていたという。処刑は小塚原刑場にて行われた。 享年36。

墓石は割られて持って行かれてしまうため、墓石前には割っても好いような代理墓石が安置されています。この代理墓石も当初は戒名など彫られていたそうですが、今では面影がありません。

                                   【 続く 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

184,亀戸~両国界隈(スナップ編)

今回の散策の途中で撮ったものを、「スナップ編」としてまとめてみました。

P1080084 亀戸の香取神社

P1080109 亀戸天神

P1080125_2 「ウサギに話し掛ける子」という彫像ですが、誰かがイタズラをしたのでしょうか、この様なイデタチでウサギに話し掛けていました。

P1080146 孫と一緒に

P1080148 水温む

P1080149 特訓・・・今の子供は靴を履いて竹馬に乗るのですが、これは至難の業と言えるでしょう。

P1080155_2 知ってか知らずか、「勝海舟生誕の地」の両国公園で元気に遊ぶ子供達。(左奥にその碑が建っています)

「後書き」
図らずも今回散策した界隈は、 '45/3/10 未明の「東京大空襲」で大打撃を受けた場所でした。

この空襲の日、偶々学童疎開先から東京の我が家に一時帰宅していた私は、東から南の空が真っ赤に燃えていることや、探照灯(サーチライト)に照らされたB29の大きな機体を、物干し台から眺めていました。
今では怖かったのかどうかの記憶はありませんが、多分その当時は「怖いもの見たさ」だったのでは と思います。
この後もB29の爆音を何度も聞いていますが、普通の飛行機の「ブ~~~~ン」という音と違って、「ブ~ン・ブ~ン」という波状的な音は今でもハッキリと憶えているから不思議です。

散策している限り、今ではその痕跡を見ることは出来ませんが、それでも多くの橋の袂には、焼死や溺死した多くの方々のための「慰霊碑」が建てられていました。

 【今回もお越し下さいまして 有り難うございました】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 9日 (日)

179,「腰痛手術」体験記(その8)

投稿する機会がなかった「腰痛手術体験記」ですが、やっと念願であった「ゴルフが出来るようになった」ので、このタイトルでの投稿は今回の(その8)で終わりにしたいと思います。

ここで今までの経過を簡単にまとめますと、このタイトルの1回目の掲載が '06/11/6でした。その時は私の腰痛の症状を書いた訳ですが、同時に 「ゴルフが出来るようになるまでこの体験記を続ける」 と言うことでした。

病名?は「脊柱管狭窄症」というもので、調べてみると「加齢による老化現象」だそうで、症状としては腰から下が痺れて感覚が無いのに、腰と両足の脹ら脛の外側が猛烈な痛みで数十㍍も歩けず、その場に座り込み暫くしてからまた歩き出す の繰り返しでした。

Photo 正常な腰椎の側面で、オレンジ色の部分が脊柱管です。

Photo 或る方の腰椎のレントゲン写真ですが、上の図のオレンジ色の部分が、赤丸内のように潰れているのが判ります。私の場合はこの潰れがもっと大きいもので、先生は「潰れが大きいので造影剤が流れていかない」とのことでした。

 

Photo_2こんな状態で手術のために入院したのが、'06/10/12 。検査や説明などがあって一旦帰宅し、10/16 に手術となりましたが、切開した長さは約13㎝!。退院したのは 11/1 でした。

これが手術後の「腰椎部」で、腰椎はボルトで固定され、脊椎の間にはチタンの円板が入っている「サイボーグ人間」に変身しました。

退院後はリハビリ歩行のみで、先生からは「筋トレなどムリなことはせず、ただ歩くようにしなさい」を守り、体調が良ければ歩くことに専念しました。けれどもリハビリ歩行を始めた頃は直ぐに疲れてしまい、歩いては休みの繰り返しです。

徐々に体力が付き 歩く距離も長くなり 疲れることもなくなった頃、NHKテレビで「日光街道てくてく旅」が放映されていて、女の子が歩けるのだから私も歩けるだろう」という安易な気持ちで「日光街道歩破」を目指しました。

P1060115 出発は '07/10/30 の am.9:30 に「お江戸日本橋」をスタート、11/6  am.11 頃 日光着 で、いちおうの目標を達成。

そして '08/2/28 千葉の某ゴルフ場で、1年4ヶ月ぶりのティーショットを打つことが出来ました。 まぁ スコアは「言わぬが花」と言うことにして下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

177,雲 さまざま(1)

昨年('07)の秋頃から夕焼けの写真を撮り始めたのですが、最近はこれに少し雲がアクセントを付けてくれれば有り難いのになぁ と思うようになりました。

今回は、この様なことを「雲 さまざま」というタイトルでブログにまとめてみました。

P1050276

'07/10/17  に撮った夕焼け(パノラマ)

P1050597

'07/10/28  に撮った夕焼け

P1060459 '07/11/26  午後の空(パノラマ)

P1060495 '07/11/26  の夕景(パノラマ)

P1060699 '07/12/5  の夕焼け

P1060717 '07/12/6  の夕焼け

P1010007

'07/12/15  の夕焼け

P1010022 '07/12/23 の夕焼け 

P1060961 '07/12/31  の夕焼けと冨士

| | コメント (0) | トラックバック (0)

178,雲 さまざま(2)

「雲 さまざま」の続きですが、'08 に入ってからのものを集めました。

P1070032_2 '08/1/2  の夕焼け

P1070049_2 '08/1/6  の夕景

P1070065 '08/1/10  の夕景

P1070111 '08/1/13  の夕焼け(パノラマ)

P1070207 '08/1/19  の夕焼けですが、この日の雲はチョット異様な感じの模様になっています。

P1070215_2 同じ 1/19 に撮ったもの

P1070219_2 同じく 1/19 に撮ったもの

これを或る人は「地震雲ではないか?」とのことでしたので、地震情報を調べてみたら 【同じ日の19時近くですが福島県沖】で地震が起きていました。

この地震雲についての気象庁の見解は、「因果関係は不明」だそうです。

P1070333 '08/2/1  の夕焼け

P1070404 '07/2/4  の夕焼け

P1070468'08/2/11  の夕焼け

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »