213, 勝海舟を追って(その1)
今までのブログは、或る特定の場所を散策しながら 「周辺の名所や旧跡を尋ね歩く」 という内容でしたが、今回は東京にある 「勝海舟」の「揺り籠から墓場まで」と、海舟の周囲に居た人たちを含めて訪ね歩いてみましたので、このことについて載せようと思います。 ただ広範囲にわたりますので地図はなく、所在地を記入しました。
と言いましても全てを知っている訳ではありませんから、至らぬところなど多々あると思います。 もしこの他にご存知の方がいらっしゃいましたらお教え頂けますと幸いです。
【 勝海舟は幼名を麟太郎といい、剣は島田虎之助に師事し、蘭学海洋術を学び、万延元年(1860)幕府軍艦「咸臨丸」艦長として太平洋を横断渡米。
慶応4年(1868)3月13日高輪薩摩邸において、大総督付参謀西郷隆盛と会談し、江戸城の開城を決定して、官軍の江戸進軍を中止させ、江戸百万の庶民を戦禍から救ったことはあまりにも有名。
明治32年(1899)1月21日、赤坂氷川町(港区内)の自邸で死去、享年77歳。】
文政6年(1823)1月13日この地、男谷精一郎邸内で生まれました。
男谷家は、精一郎の祖父・平蔵の息子の一人が旗本・勝家の養子に入り、勝小吉(海舟の父親)となった。つまり勝海舟とは従兄弟同志になる。
この碑は、この様に子供達が無心に遊ぶ「両国公園(墨田区両国4-25)」の一隅に建っています。
「勝海舟揺籃の地」碑 (墨田区緑4-11) にあるビルの入口に建っています。
本を読むと、この頃は「岡野孫一郎」の傍に住んでいたようで、江戸時代の地図(1856年)にはこの名前が載っています。
海舟が9歳の時、犬に急所を噛まれ、父親の「小吉」がここへ日参し、水垢離をして快癒を祈願した と言われています。
水行は年中行事になっているらしく、毎年2月に行われる とのことです。
それを記念?して建てられた「勝海舟の胸像」が、境内にあります。
少・青年時代に参禅した 向島・弘福寺の山門(墨田区向島 5-3)
徹夜で剣術の訓練に励んだ「向島・牛島神社跡」で、弘福寺の裏手にあります。
本などでは「王子権現」となっていて、北区の王子権現かと思っていたのですが、ここだそうです。
なお今の「牛島神社」は、もう少し南の墨田公園内に移築されています。
浅草「正定寺(台東区松が谷2-1)」当時の剣術の師匠であった「島田虎之助の墓」
直心影流島田派の剣客で、浅草新堀の彼の道場には勝海舟も通った
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