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2008年6月20日 (金)

215, 勝海舟を追って(その3)

Photo_17 50歳の時、静岡からこの屋敷に移る。

その後 朝敵とされた慶喜の赦免や、横浜に旧幕臣を送り込んで横浜港発展に寄与したり、静岡に旧幕臣を送り込んで茶の生産を勧めたそうです。

55歳の時、西郷が西南戦争で死去(49歳)
65歳の時、伯爵を受ける。

ここが 50~77歳までの晩年期を過ごした「勝海舟屋敷跡」で、この銀杏の木は当時からあったそうです。

Photo_18 これが屋敷跡の碑で、「史跡 勝安芳邸址(港区赤坂 6-7)」と彫られています。

ただ この屋敷も妻・妾が同居状態で、これを奥さんの「たみ」は嫌い、同じ墓に入らない と言ったそうで、最初は別々の墓でしたが、その後「洗足池の墓」に合祀されたそうです。

Photo_19「お断り;ここから下の4枚については No,211 と重複していますが、どうぞご理解をお願いします。」

海舟は洗足池の傍に「洗足軒」という別邸を建てたそうで、この地が気に入ったそうです。

いまの屋敷跡は中学校になっています。

P1090413 勝海舟夫妻の墓で、右が海舟で、左が奥さん「たみ」で、大田区南千束 2-3 に在ります。

この墓石の文字は徳川慶喜のものだそうです。

P1090412 西南戦争で隆盛が戦死したとき、その死を悼んだ勝海舟が自費を投じて当時の東京府南葛飾郡の浄光院という寺に碑を建てたものを、大正2年(1913)薬妙寺の移転に伴い勝海舟ゆかりのこの地に移されたもの だそうです。

この碑は海舟の墓の左隣に建っています。

P1090411 上の碑には、左の様な漢詩が書かれているそうで、西郷は沖永良部島流謫の頃から漢詩を作り始めたが、この詩はその頃のもの とのことです。

Photo_20 谷中霊園(台東区谷中 7-2 付近)にある「徳川慶喜夫妻の墓」で、右が慶喜、左が正室です。

海舟と慶喜とはいろいろと確執が有ったようですが、皇室には海舟から助命の嘆願を続けていたそうで、その望みが叶い 慶喜は公爵になって晩年を過ごし、77歳で亡くなっています。

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