221,西巣鴨界隈(その1)
'08/7/10 墓参で「巣鴨(東京)」へ行きましたので、帰りに「西巣鴨」まで足を延ばしました。
スタートは5時方向にある「巣鴨駅」で、10時方向に向かいながら「真性寺」・「とげ抜き地蔵」・「庚申塚」まではいつも歩いているコースです。
今回は少し足を延ばして「庚申塚」を右折し、都電に沿って北上すると「お岩通り商店会」になり、直ぐにあるのが「盛雲寺」で、「妙行寺」・「善養寺」と続きます。
巣鴨駅への帰りは5時方向のルートで「總禅寺」を経由しました。
都電の 「庚申塚停留場」。 前方方向は「大塚」を経由して、終点の「早稲田」に向かいます。
最盛期の都電は41系統が存在し、総延長は213kmに及んだ。
しかし自動車の増加による運行の困難と交通局の経営悪化によって1967年から1972年にかけて181kmの区間が廃止となり、都営バスや地下鉄に転換されたそうです。
そして今ではこの荒川線(三ノ輪橋~早稲田)の約12㎞のみが運行されています。
ルート図で「庚申塚」を右折し、白山通りを横断すると道は「お岩通り商店会」となります。
賑やかな「巣鴨地蔵通り商店街」を歩いてきた者にとっては、チョットした異空間です。
蛇足ですが、高齢者が都電に乗ると、必ず席を譲ってくれます。
盛雲寺境内にある「新門辰五郎の墓」・・・1800年(寛政12年)~ 1875年(明治8年)は、江戸時代後期の町火消、鳶職、香具師、侠客、浅草・浅草寺門番である。
娘は江戸幕府15代将軍徳川慶喜の妾となる。また勝海舟とも交流があったと言われる。
「妙行(ミョウギョウ)寺」の山門横に立っている石碑で、左は「忠臣蔵」の浅野家ゆかりの墓として、浅野内匠頭の祖母、高光院殿と弟大学長広公夫人蓮光院殿のお墓がある。「浅野家夫人の名前の中に瑤泉院供養塔」、そして右の石柱には「お岩様之寺」と彫られています。
妙行寺・本堂・・・寛永元年(1624年)四谷で創建され、明治42年(1909年)に現在地に移った。
墓地には四谷怪談のお岩さんの墓があることで有名。
ほかに忠臣蔵の浅野家の墓や浅野内匠頭夫人で大石内蔵助を陰で支えたといわれる瑶泉院の供養塔、魚河岸の魚などを供養する「魚河岸供養塔」や「うなぎ供養塔」があります。
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