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2008年7月30日 (水)

234,新井薬師・沼袋界隈(その1)

7/26の夜半、NHK・TVを観たら、「さだまさし in 徳島(真夏の夜も さだまさし)」 というライブ放送がありました。

その中で、沼袋(東京)の「百観音・明治寺」で「献灯会(ケントウエ)」が行われるという説明がありました。 放送によると '08/7/27 の一晩限りとのことで、野次馬の私はさっそくこの日に出掛けました。

この界隈も、先日行った「洗足池界隈」と同様 私にとっては初めての場所ですが、どうせ行くのなら ということで足を延ばしてきたのは勿論です。

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スタートは4時方向にある西武新宿線の「新井薬師前駅」。そこから7時方向の「新井薬師」、1時方向に北上して「哲学堂公園」、9時方向にある「沼袋氷川神社」、10時方向の「禅定院」、そして目的地の「百観音・明治寺」というコースで、帰りは最寄りの「沼袋駅」がゴールです。

P1100222_edited 沼袋商店街に貼られていた「百観音献灯会(ケントウエ)」のポスターです。

「百観音」とは、近畿一円に広がる西国三十三観音と、関東地方の坂東三十三観音、それに秩父の周辺に広がる秩父三十四観音の札所を総称したものです。

この庭園に立ち並ぶ観音石像は、その百ヶ寺におまつりしてあるそれぞれの観音様方、例えば聖観音や千手観音、十一面観音 等々のお姿をいただいて石に刻んだもので、現在のところ百八十体以上になっています。

そして毎年7月最後の日曜の夜にその観音像に蝋燭をお供えする「献灯会」が行われる。(明治寺の資料をお借りしました)

P1100217_edited 境内に安置されている石仏群

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私がお灯明をあげた「観音さん」です。

『いまだに飢えや病気や恐怖の中で生きなければならない子どもが後を絶ちません。せめて年に一度はこのことを思い出して、灯明を500円で買っていただき、浄財をユニセフ協会に寄付したいのでよろしくお願いします』 との主旨があるそうです。

P1100214 この日('08/7/27)はあいにくポツリ・ポツリと降り始めましたが、大降りにならなければ という思いです。

明治45年、明治天皇の病気の回復を祈念して建立されたというから,歴史はそんなに古くないようですが、山門を持つお寺が多い中で、このお寺はこの様にシンプルな「門標」があるだけです。

境内もそれほど広いという感じもなく、本堂前の庭に「石仏群」が安置されています。

 「献灯会」 詩・曲 さだまさし
   遠ざかり行く蝉時雨
   心細げな夕まぐれ
   あなたを想う数ほどに
   明かりを灯します
   百観音の献灯会
   あなたを想って灯します
   南無観世音あの人を
   お守りくださりますように

散策順序が逆になってしまいましたが、(その2)からは「新井薬師」から順を追ってお話しするようにします。

      【 続く 】

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235,新井薬師・沼袋界隈(その2)

P1100182_edited 新井薬師の石標・・・ご本尊の薬師如来は、子育薬師、治眼薬師(眼の薬師)として信仰され 、かつては浅草の浅草寺と並ぶほど有名だったそうです。

毎月8の日の縁日 は、大勢の人でにぎわい露店が並び、今や少なくなった縁日の風情を味わうことが出来る とのことです。

P1100171_edited 「新井薬師の山門」ですが、この日は「盆踊り」があるようで、参道や境内にこの様な出店が並んでいました。

「新井薬師」・・梅照院(ばいしょういん/新井薬師)のご本尊は、薬師如来と如意輪観音のニ仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)の御尊像です。
この御尊像を安置するために新たにお堂を建立したのが、梅照院の始まりです。

不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、その後、広く深く信仰されました。特に、二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ、あるいは第五世玄鏡が元和3年(1617年)に如来の啓示によって、秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれて、今日まで大変多くの方に、篤く信仰されております (以上は新井薬師の資料をお借りしました)。

P1100173 「本堂」・・開山は天昇14年(1586)

境内には「本堂」の他に「薬師堂」「不動堂」などがあるのですが、調べた範囲ではこれらの由緒など判りませんでした。

P1100179_edited_2「薬師堂」

P1100172_edited_2 「不動堂」

P1100183_edited_2 参道にあった屋台の「射的」では、子供たちが楽しんでいました。

境内には盆踊りの櫓も組まれていて、これから夜にかけてこのオヤジサンも忙しくなることでしょう。

   【 続く 】

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236,新井薬師・沼袋界隈(その3)

Photo 7時方向の「新井薬師」から1時方向の「哲学堂公園」へ移動します。

「哲学堂公園」・・・哲学堂公園は、明治39年に東洋大学創立者井上圓了博士によって精神修養の場として開設されました。哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園といえます。(中野区の資料から抜粋しました)

P1100189_edited「摂理門」・・・哲理門(妖怪門)。普通だったら中に仁王様がいるところですが、この妖怪門の中には、向かって右に天狗、左に幽霊の像が入っているそうですが、よく見えませんでした。
横にある解説板によると、「天狗と幽霊は、この地に天狗松と幽霊梅があったことにちなむとともに、前者を物質界、後者を精神界に存する不可解の象徴とみなしたものである」・・・私のような凡人にはとても理解出来ません。

P1100191_edited 「六賢台」・・・解説板によると、「ここに東洋六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真、
中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅を祀っている」

P1100193_edited「四聖堂」・・・これも解説板によると、「本堂に東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの
世界的四哲人を奉祀している」

P1100194_edited 「宇宙館」・・・解説板によると、「哲学とは宇宙の真理を研究する学問であって、その講話または講習を開かんがために設けられた講話室である」

P1100195_edited 小高い丘?の上にある「三学亭」・・・解説板によると、「日本的なものとして建築された円柱3本で正三角形をつくる平屋のあずまやです。碩学を重視し、平田篤胤(神道)・林羅山(儒道)・釈凝然(仏道)の三者を祀るものです」

以上のような建造物が広場を囲むように建てられていますが、解説板を読むだけで疲れます。

哲学堂公園を出て、9時方向に向かい「沼袋・氷川神社」「禅定院」そして「百観音・明治寺」へと歩きます。

P1100203_edited「氷川神社社殿」・・・神社の由緒によると、南北朝時代九十七代後村上天皇の正平年間(1346~1370)に武蔵国一の宮である氷川大社(さいたま市鎮座)より御分霊を戴き、当地に奉祀する。
文明九年(1478) 太田道灌が豊島一族と合戦の折、戦勝祈願し道灌杉を奉納するなど、その御神徳の威光は強く、現在も「厄除ひかわ」と親しまれ、厄除祈祷に訪れる人は後を絶たない。

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「神楽殿」

P1100208_edited「禅定院 山門」

解説によると・・・禅定院は南北朝時代の中期、貞治元年(1362)の開創と伝えられる寺院です。ご本尊は鎌倉時代後期の作とされる不動明王立像 だそうです。

P1100209_edited「禅定院 本堂」

【今回もお越し下さいまして有り難うございました】

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2008年7月23日 (水)

223,光り輝けるか

8月に入ると 人並みにやっと? 「後期高齢者への仲間入り」 となりますが、この「後期」という言葉には抵抗があるので、「高貴」を考えていましたが これは「オソレオオイ!」(笑)。
そこで「光輝」という言葉を使うようにしたいと考えています。

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そして、これを機会に次のことに取り組むつもりです。

1,車は廃車にした
 ● ゴルフへ行く時は クラブの送迎バスを利用する
 (仲間がいれば乗せてもらう 笑)
 ● 旅行へ行く場合は「パック・ツァー」を多用する

2,運転免許証は廃棄する
 ● 代わりの身分証明は何にしよう?

3,散策は自分の体力と相談しながら これからも続ける
 ● 体力劣化の自覚症状は なるべく考えない
 ● 散策範囲は東京以外の場所も考える

4,健康第一だが あまり神経質にならない
 ● サプリメントのお世話にならないよう心掛ける

5,神仏には「ポックリ」を心を込めて祈願する
  そしてその時、もしも意識が有れば「お前のお陰で良い人生だった」と言えれば・・・
 ● 怖いのは「認知症系」の病い

6,「老いらくの恋」の願望は常に持ち続ける
 ● 実現するに越したことはないが 夢のまた夢だろう

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まぁこんな事をしながら これからを「光り輝いて精一杯生きられれば」が夢です。

付録;ブログの更新もストレスを感じない程度で行う
 ● 多くの方に見て頂きたいのですが、この更新が思うように行かない

添付画像は、上はまさに「黄昏迫る」。下は光輝高齢者では「日の出の勢い」とは言えないので、「ゆうずき」を載せました。

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2008年7月19日 (土)

221,西巣鴨界隈(その1)

'08/7/10  墓参で「巣鴨(東京)」へ行きましたので、帰りに「西巣鴨」まで足を延ばしました。

1 スタートは5時方向にある「巣鴨駅」で、10時方向に向かいながら「真性寺」・「とげ抜き地蔵」・「庚申塚」まではいつも歩いているコースです。

今回は少し足を延ばして「庚申塚」を右折し、都電に沿って北上すると「お岩通り商店会」になり、直ぐにあるのが「盛雲寺」で、「妙行寺」・「善養寺」と続きます。

巣鴨駅への帰りは5時方向のルートで「總禅寺」を経由しました。

P1100046都電の 「庚申塚停留場」。 前方方向は「大塚」を経由して、終点の「早稲田」に向かいます。

最盛期の都電は41系統が存在し、総延長は213kmに及んだ。
しかし自動車の増加による運行の困難と交通局の経営悪化によって1967年から1972年にかけて181kmの区間が廃止となり、都営バスや地下鉄に転換されたそうです。
そして今ではこの荒川線(三ノ輪橋~早稲田)の約12㎞のみが運行されています。

P1090837 ルート図で「庚申塚」を右折し、白山通りを横断すると道は「お岩通り商店会」となります。

賑やかな「巣鴨地蔵通り商店街」を歩いてきた者にとっては、チョットした異空間です。

P1090842 「お岩通り」を左折し、都電の踏み切りを渡ると「盛雲寺」。

蛇足ですが、高齢者が都電に乗ると、必ず席を譲ってくれます。

P1090838 盛雲寺境内にある「新門辰五郎の墓」・・・1800年(寛政12年)~ 1875年(明治8年)は、江戸時代後期の町火消、鳶職、香具師、侠客、浅草・浅草寺門番である。

娘は江戸幕府15代将軍徳川慶喜の妾となる。また勝海舟とも交流があったと言われる。

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「妙行(ミョウギョウ)寺」の山門横に立っている石碑で、左は「忠臣蔵」の浅野家ゆかりの墓として、浅野内匠頭の祖母、高光院殿と弟大学長広公夫人蓮光院殿のお墓がある。「浅野家夫人の名前の中に瑤泉院供養塔」、そして右の石柱には「お岩様之寺」と彫られています。

P1090847_edited妙行寺・本堂・・・寛永元年(1624年)四谷で創建され、明治42年(1909年)に現在地に移った。

墓地には四谷怪談のお岩さんの墓があることで有名。

ほかに忠臣蔵の浅野家の墓や浅野内匠頭夫人で大石内蔵助を陰で支えたといわれる瑶泉院の供養塔、魚河岸の魚などを供養する「魚河岸供養塔」や「うなぎ供養塔」があります。

  【 続く 】

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222,西巣鴨界隈(その2)

(その2)では、妙行寺・善養寺を巡り、巣鴨駅への帰り路、途中にある「總禅寺」に立ち寄りました。

P1090848 墓地内にあった「お岩さんの由緒」。 

左下に配置が書かれていますが、お岩さんと瑤泉院供養塔が並んでいます。 この二人は夜な夜などの様な話しをしているのでしょうか? 興味がありませんか

P1090854_editedお岩さんの墓・・・夫・田村伊右衛門との折り合いが悪く病身となり寛永13年に亡くなった。それ以来田村家には色々な災いが続き、妙行寺の住職の法華経により一切の因縁が取り除かれた そうです。

お岩さんに同情し、信仰すると自分の不遇が救われる、という法華経の功徳が,当時江戸中の評判となった。

四百年近く経つ今日でも,悪縁切りや怨敵退散、家庭和合、心願成就などの祈願に訪れる人が絶えない のだそうです。

P1100041「忠臣蔵」の浅野家ゆかりの墓で、浅野内匠頭の祖母、高光院殿と弟大学長広公夫人蓮光院殿のお墓だそうです。

左端が「瑤泉院の供養塔」。

P1090851 浅野内匠頭の正室「瑤泉院」が永代供養料として金三十両を納めたという寄付を記念した「供養塔」が建立されたそうです。

この日('08/7/10)も、シニアの団体さんがお参りしていました。

P1090858妙行寺の右隣にある「善養寺」の本堂で、中には「閻魔大王」が鎮座しています。

825年(天長2年)上野山中に慈覚大師によって創建。1624年~1644年(寛永年間)下谷善養寺へ移転。
1972年(明治45年)現在地へ移転したそうです。

P1090866 堂内に安置されている「閻魔大王」で、本堂にお参りすると、高さ3mのえんま大王像には光で照らされ迫力満点。

閻魔大王はお地蔵様の化身といわれ、閻魔大王が検察官・裁判官、お地蔵様が弁護士のような関係 だそうです。
巣鴨はとげぬき地蔵尊・江戸六地蔵尊のひとつ真性寺の地蔵尊があるお地蔵様の町。

P1090869 本堂の左奥にある「尾形乾山の墓」・・・尾形乾山は1663年(寛文3年)京都の呉服商尾形宗謙の三男として生まれました。
兄は有名な尾形光琳。
1731年(享保16年)69歳の頃に輪王寺宮公寛法親王を頼って江戸に下り、入谷に窯を築いて陶器や絵画の制作に手腕を発揮し、晩年をおくりました。
1743年(寛保3年)81歳で没 と説明されています。

P1100025_2 「總禅寺の山門」で赤門とも呼ばれているようです。

このお寺の由緒などは判りませんが、この山門は風格があります。

P1100030總禅寺にある「手塚治虫」の墓で、説明によると本名:手塚 治(1928年~1989)は、日本の漫画家、アニメーター、医師。大阪府豊能郡豊中町(現在の豊中市)に生まれ、兵庫県宝塚市育ち。医学博士の学位を持つ。

戒名は伯藝院殿覚圓蟲聖大居士。血液型はA型。 日本のアニメの先駆者。漫画の神様とも呼ばれている そうです。

との事ですが、私は本もTVも殆ど読んだことも、観たこともないのです。

P1100028 墓石の左にあるモニュメント?で、いかにも「手塚治虫」らしいものです。 

   

 【 今回もお越し下さいまして有り難うございました 】

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2008年7月14日 (月)

219,ほおずき市(浅草・東京)その1

昨年が「ほおずき市」の初体験でしたが、今年も '08/7/10 にお参りしてきました。

台東区の解説によると・・・ 『毎年、7月9日.10日は浅草観音の 「四万六千日(シマンロクセンニチ)・ほおづき市」 である。
このどちらかの日に観音様にお詣りすると、四万六千日もお参りした功徳があるのだそうだ。

四六時(一日)の千日分が四万六千だという説や、お米の一升は四万六千粒にあたり、この日にお参りすると一生無病息災になれるのだという説、また源義朝が石橋山の合戦で敗れ、浅草寺境内に陣したのが七月十日で、その時に集まった軍勢が四万六千騎あったという説など色々ある。

四万六千日の縁日にあわせて立つのが、ほおずき市。観音境内の空き地に約250軒のほおずき店が並ぶ。よしず張りに裸電球がぶらさがり、ガラス風鈴つきの「千成ほおずき」が売られる。
「千成りほおずき」は、栽培が難しく、その出来不出来は天候に左右されるといい、殆どが江戸川区鹿骨(ししぼね)町で作られている。』 

P1090835 「浅草観音境内」(パノラマ)です。

実際は人や店が多いのですが、それが写せなくて残念です。

P1090892店頭風景と「ほおずき娘さん」たち

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220,ほおずき市(浅草・東京)その2

(その2) では浅草寺境内のスナップを載せました。

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P1090876_2 浅草名物「雷おこし」の製造実演&直売。

メーカーの「常盤堂の解説によると・・・浅草寺誌によりますと、徳川十一代将軍‘家斉’(1787~1836)が浅草寺の総門・雷門(慶応年間火災で焼けたもの、広重などの錦絵に出てきます)を再建した寛政七年(1795年)頃の記録に出ておりますので、約二百年前から作られ、売られていたと思われます となっています。

 【 今回もお越し下さいまして有り難うございました 】

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2008年7月 8日 (火)

216,成田山新勝寺「祇園会」(その1)

「成田(千葉県成田市)で 祇園祭 が行われている」 というTVを観たので、さっそく  '08/7/6 に行ってきました。

千葉に住んでいながら、成田でこの様な祭りがある ということを初めて知ったのですから、何ともはや情けない千葉県民です。

先ずはじめに「成田山新勝寺」を画像で簡単にご紹介したいと思います。

Photo 「成田山新勝寺境内」の配置図ですが、山の斜面に建物が建てられています。

6時方向にあるのが最近完成した「総門」。そして12時方向に登りながら「大本堂」「額堂」「「光明堂」そして「平和の大塔」へと続いてゆきます。  (お断り;この配置図は新勝寺のパンフからお借りしました)

P1090750 「総門」 ・・・開基1070年記念事業として2006年に竣工。  総欅造り、高さ15m、桁行14.m、梁行6.m。  

2階部には不動明王や千手観音、大日如来など8体の木製仏像が安置されている そうです。

P1090679 「仁王門」・・・国の重要文化財。  参道から大本堂へ至る急な階段の途中に建つ。入母屋造の八脚門で、文政13年(1830年)の建立。

P1090812 「大本堂」・・・本尊の「不動明王像」を安置する。 入母屋造り二重屋根の鉄筋コンクリート造で、規模は間口95.4m、奥行59.9m、棟高32.6m。1968年建立

P1090695_2 「三重塔」・・・ 国の重要文化財。 正徳2年(1712年)建立の塔。

高さ25mの中規模の塔だが、近くにある大本堂に比較して小さく見える。軒裏には垂木(軒を支える棒状の部材)を用いず、雲文を刻んだ板で軒を支える板軒とする。初層は各面の中央を扉とし、その両脇の柱間には十六羅漢の彫刻を施す。この他、柱、長押、貫などの部材に地紋彫りを施すなど、近世建築らしく装飾性豊かな塔である と解説されています。

P1090705 三重塔の右隣が「一切経堂」・・・享保7年(1722年)に建立された転輪経蔵で、現在は文化財保護のため回すことができなくなってしまいましたが、願い事を唱えながら3回まわすと、不思議に願い事がかなうといわれています。

その右が「鐘楼」・・・元禄14年(1701年)に建立されました。高さ18m、約7m四方の勾欄をめぐらした入母屋造袴腰付の丹塗の建物で、安政と明治の頃に補修が行われています。楼上の鐘は昭和43年(1968年)竣工の大本堂建立にあわせて鋳造されました。鐘は高さ約180cm、口径90cm、重量は1068kg だそうです。

P1090697 「額堂」・・・国の重要文化財。文久元年(1861年)に建てられた入母屋造、全面吹き放し(建具や壁を造らない)の堂で、絵馬を掲げるための建物である。

P1090699 「光明堂」・・・ 国の重要文化財。  元禄14年(1701年)建立。釈迦堂が本堂になる前の旧本堂である。

P1090702 「平和大塔」・・・境内最奥に建つ、鉄筋コンクリート造、高さ58.1mの多宝塔形の仏塔で、1984年の建立。外観は二重塔だが内部は5階建てである。塔の基壇部分にある1階は霊光殿と称し、大塔入口と写経道場のほか、絵馬などの文化財を展示している。2階は明王殿と称し、不動明王を中心とする五大明王の巨像を安置し、昭和曼荼羅、真言宗祖師伝などの絵画で荘厳されている。3階・4階はそれぞれ経蔵殿、法蔵殿と称し、信徒が奉納した不動明王の小像を多数安置している。5階は金剛殿と称し五智如来像を安置する と説明されています。

  【 成田祇園祭へ続く 】

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217,成田山新勝寺「祇園会」(その2)

この「祇園祭」は・・・「成田山祇園会(ナリタサン ギオンエ)」 は奥之院にお祀りされている、ご本尊不動明王の本地仏である大日如来に五穀豊穣、万民豊楽をはじめ 諸願成就を祈願する成田山奥之院の祭礼です。

寺録によると、江戸中期の亨保年間(1716~1736年) にはすでに行なわれていたと伝えられており、成田山と町の人々が一体となって繰り広げる関東でも屈指の夏祭で、成田祇園祭とも言われて いるそうです。

大日如来のご尊体とした御輿が渡御し、合わせて10台の山車(だし)や屋台(やたい)が一斉に町に繰り出す。

町内によっては、見物客でも、法被や足袋を履いていれば山車や屋台を一緒に引いて祭に参加する事が出来る可能性もある。 

そうとは知らず、子供達が山車を牽いていたので私も牽かせてもらいましたが、山車は「子供用」「大人用」の区別はなく、幼児から大人まで一緒になって綱を牽くのが特長かも知れません。

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上の4枚の画像は「山車」を載せましたが、この他にも有るようですが・・・

以下の画像は、山車に関係するようなスナップを載せました。

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P1090779 P1090743_2 

P1090713 P1090784_2 この日の千葉地方の天候は晴れ、気温30℃  皆さん気合いが入っているのでしょうが、それでも暑そう       

                  【 続く 】      

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218,成田山新勝寺「祇園会」(その3)

このページもスナップで纏めてみました。

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子供達の衣装も「イッチョマエ」です。

P1090732 P1090830_2 夏祭りの定番スタイルでしょうか、子供達は「アイスクリーム」、大人達の「カンカン帽」。

P1090674 成田山新勝寺への参道で、正面に見える塔が「三重塔」ですが、この道はやや勾配が急な坂道になっています。

Photo_3稚児行列もこの坂を登ってきましたが、山車との時間調整でしょうか立ち止まりました。

この動作もリーダーの指示通りで、疲れていると思いますが姿勢を崩さないのは立派

P1090822 上の画像とほぼ同じ位置から撮ったものですが、老若男女に牽かれた全ての「山車」が、掛け声と共にこの坂を登ってきます。

この場所は祭りのクライマックスらしく、大勢の見物人やカメラマンが待ち構えていました。

【今回もお越し下さいまして有り難うございました】

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