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339,寄り道・手抜きの中山道 (木曽福島から木曽御岳&日義へ )

11/3 (火) 快晴

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きょうは「骨休め」 というわけで福島駅前からバスとロープウエイで「御嶽山七合目」まで行きます。そして下りてきてから宿泊地の「日義」まで歩きます。

駅前のバス停に着くと「今日は強風でロープウエイは止まっていて、動くかどうか様子見」とのこと。これは困った。
これからどうやって時間潰しをしようか 困った。
駅前をブラブラしていると運転再開の放送があり、これで一安心です。

Photo_7 定刻の9時を少し遅れましたが、バスはロープウエイ駅を目指して発車しました。乗客は数人だけで席を独り占め。

これは車窓からの眺めで、暫くはこのような紅葉の中を走りましたが、じょじょに雪が見えてきました。

Dscn2434

ロープウエイはこのような循環式?で、始点の標高が1570㍍、終点が2150㍍、標高差580㍍を14分で行くことが出来ます。

Dscn2421 これが「木曽御嶽山」の主峰で、標高3067㍍です。初めて眺めましたが形は「八ヶ岳」のように峰々が連なっていてます。

Dscn2391

パノラマにしてみましたが、左が主峰で、右の頂が隠れてしまいました。

Dscn2405 ここからは木曽谷を挟んで遠くに「木曽駒ヶ岳2956㍍」も見ることが出来ました(御嶽山と駒ヶ岳の直線距離は約32㎞)

Dscn2406

Dscn2429

木曽駒ヶ岳と御嶽山ロープウエイ

Photo_8 下りのバスが発車するまで約3時間あるので、ロープウエイ駅から30分ほど登ってみましたが、路はこのような森林地帯の中ばかり。
マァ久し振りの雪道を歩けただけでも良かった という思いのひと時でした。

冷たい風に吹かれた七合目でしたが、何故か清々しい。それにこのバスも明日(11/4)からは冬期運休に入るとのこと、こんなラッキーなことが続くと後が恐ろしい・・・

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福島に下りてきてから町の中を通り、今夜の宿の「日義」に向かいました。

左は福島の古い町並み、右は「高札場」です。

 【明日へ続く】

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340,寄り道・手抜きの中山道 (日義から奈良井へ ① )

11/4(水) 快晴

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きょうの行程は「日義」から「奈良井」までですが、奈良井の近くには難所といわれている「鳥居峠越え」が控えています。

今回この街道歩きを計画した時の裏話ですが、「木曽観光連盟」に資料送付依頼とこの峠越えについてメールしたところ、
「『馬籠峠越え』『鳥居峠越え』ともに京都方向からが容易と考える」
とのご返事を頂けたので敢えて京都スタートとした という経緯があるのです。(このアドバイスの結果については追ってここに書きます)

Dscn2479 朝、部屋の窓から外を見ると霜が降りていました。京都をスタートした時は汗まみれの毎日だったのに・・・

Photo_11 「原野・道の駅」には『中山道中間之地』が建っています。以前は旧中山道(下)の画像のような「掲示板」に所にあったようなのですが、道の駅が出来たので移設したのだそうです。

けれどもここがまだ中間地点、お江戸日本橋まではほど遠い。下諏訪までで上出来と思いましょう(苦笑)

Dscn2492 怖ろしい顔の石仏、何時の世も気に入らないことが多いのでしょう(苦笑)

Photo_12一方、 このような風景の中をたった一人で歩くというのは 何と贅沢なのでしょう。

Photo_13 ここは「巴淵」の少し手前にある「徳音寺」・・・仁安3年(1168)に義仲が病没した母小枝御前[さえだごぜん]を弔うために建立された一族の菩提寺。

左上が「鐘楼門」、説明によると・・・享保八年(1723)に建立されたものです。
弘化2年(1845)と、平成8年(1996)に修理はされているが、木曽における江戸時代中期の楼門建築を代表するものとして見事な姿をとどめています。

右上・・・境内には義仲の墓を中心に 右に小枝御前、左に巴御前の墓碑があります。(以上は日義村教育委の説明の抜粋です)

下は巴御前の彫像で、黒馬に跨って颯爽と と言いたいのですが、たまたま木陰になっていて馬だけが黒くなってしまいました。

Photo 「巴淵」・・・義仲の側室であり、ともに戦った女武者・巴御前はここに住む竜神の化身した姿だ とか、巴御前がここで髪を洗ったとかなど伝説として残っているとのこと。

ここも鉄道が直ぐ傍を走っていますから車窓から見えるかも知れません。

Dscn2540

巴淵の少し先にあるのが「山吹トンネル」、私はトンネルの中を歩くのが嫌いなので、トンネルが出来たため廃道になっているところを歩きました。

Photo_3 人里離れて見る紅葉もまた趣があります。

私は「落葉松」が好きで、芽生え時の淡いみどりや黄色くなった時が堪らなく良いもの と思っています。それと「白秋の落葉松」。

Photo_2 紅葉の見事さばかりではなくて、高い空もまた美しいものと知りました。

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国道の法面にに造られている「巨大壁画?」。この2枚の間には遠く「木曽御嶽山」があるのですが、これを撮るのを忘れてしまいました。

  【続く】

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341,寄り道・手抜きの中山道 (日義から奈良井へ ② )

Photo_6 「薮原宿」に入ってきましたが、ここで目に付いたのがこれらの家で、左は「そばまんじゅう」の洒落た看板。右は「お六櫛」の店構えです。
「お六櫛」・・・実物は見ていませんが説明によると、お六櫛の歯数は約3cmに29~42本と細かく、普通の鋸でこれだけ細かい歯を挽くことはできないので、歯を挽く「歯挽き鋸(ハビキノコ)」も全て職人が時計のゼンマイを削り自分で作るそうです。
櫛の歴史は、江戸時代享保の頃からで、「みねばりの木」を使って作るそうです。

薮原で昼食を済ませたのが13時20分、これから「鳥居峠越え」が始まります。道標に従って歩き出しましたがイキナリの登り道です。
今回の歩き旅で感じたのが住宅地であってもアップダウンの連続で、歩きながら思いだしたのが「熱海温泉(静岡県)」で、ここも坂の多いところでした。

Photo_7 峠路に差し掛かると、このような静かな山道のなりました。

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25分も歩くと「熊除けの鐘」。
この峠にはこのような鐘が3ヶ所あって、薮原側に1ヶ所(上)、奈良井側に2ヶ所(下)ありました。

熊除けの鈴を買うことにしていたのですが、これもスッカリ忘れてしまったので、「火事の半鐘」ではありませんが、ここぞとばかり何度も鳴らしました(笑)

Dscn2588_240分ほど歩くと落葉松の間に いま通ってきた「薮原」の町並みが俯瞰出来ましたが、人間の足って大したもの と自画自賛。

Dscn2594 「鳥居峠頂上(標高1197㍍)」に建っている石仏です。ここまで約1時間、思ったより早く着いたのでホッとしました。それでも時刻は14時20分 暗くならないうちに「奈良井宿」に入りたいものです。

Dscn2598静かな峠道です。

Photo_8峠道と「伝説」・・・『昔この穴に捨て子があり、子に恵まれぬ薮原の人が育て幸せになったことから、この栃の実を煎じて飲めば子宝に恵まれる と言い伝えられている』

Photo_9 登り道ではあまり気が付かなかったのですが、下りに入るとこのような水場が所々にあって、これがまた美味い !!  とうとうペットボトルのお茶は飲みませんでした。

Dscn2617この石仏は峠から50分ほど歩いたところに埋もれるように建っていましたが、何か微笑んでいるようです。

このような石仏に会うと嬉しくなってしまうのは 「お迎えが近い」からだろうか。

Dscn2604峠から20分ほど下ると展望台があり、ここから「奈良井」を俯瞰することが出来ました。(この風景はTVなどでもよく紹介されたと思います)

Photo_11 「奈良井」へは殆ど下りですから、このような風景を眺めながら快調そのもの。

Dscn2627奈良井の集落に入り、峠を振り返りましたが どこが峠なのか?? 
この時の時刻は15時40分 「鳥居峠越え」の総距離は約6㎞、所要時間は約2時間20分 マァ明るい内に「奈良井」に着いたから自分で自分を褒めて上げたい とは聞いたようなセリフです。

 【続く】

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342,寄り道・手抜きの中山道 (日義から奈良井へ ③ )

Photo

奈良井宿場通りですが、馬籠や妻籠に比べると落ち着いた雰囲気が漂っています。

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今は酒よりもコーヒーが飲みたい ので喫茶店に入りましたが、ここは全部が座敷で椅子席がありません。
私は腰椎手術の所為と思っているのですが、正座やアグラが苦手なので退散。(旅館でも座布団を何枚も丸め椅子のようにして失礼していました)

Dscn2659窓の格子の飾り付けに余念がありません。
このように奈良井だけではなく馬籠も妻籠も、明日来るだろう人への思いやりが感じられます。

Photo_4宿場通りのスナップですが、チラホラと灯りがつき始めていました。

Photo_9 「奈良井大橋」・・・ 美しい総桧造りの太鼓橋で、橋脚を持たない橋としては日本有数の大きさ(長さ33m)とのこと。

Dscn2641宿場通りを眺め歩きながら「奈良井駅」まで来てしまいましたが、駅から先には何もないようなので「駅前喫茶」に入ってコーヒーブレイク。
店の女性オーナー?といろいろ話しをし
「きょうはどこへ泊まるのですか?」 「I 旅館です」と答えると
「一人なのに良くあの宿に予約出来ましたね。あそこは奈良井でも評判の良い宿で有名ですよ」
とのこと。 これを聞いて今夜が楽しみになりました。

Dscn2681

大宝寺の「マリア地蔵」・・・説明によると、このマリア地蔵尊は、1932年(昭和7年)の夏に、地元の人が藪の中になかば埋もれていたところを掘り出して、ここへ安置したと伝えられている。
マリア地蔵尊には頭がない。これはキリシタン禁制だった江戸時代に頭部を壊されてしまった という悲しい歴史からだ。
当時、『子育て地蔵』という名を借りていたが、正体が『聖母子像・・・(子供を抱いているが、その手にもった蓬華の先が十字になっており、隠れキリシタンがマリア像を祀ったものではないかといわれている)』 だったことが役人にバレて壊されたということらしい とのこと。

Photo_5今夜(11/4)お世話になる宿と宿のご主人 とは言えないほど若い。(この旅館のHPに私のことも写真入りで紹介してくれました)

  【明日に続く】

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343,寄り道・手抜きの中山道 (奈良井から塩尻へ )

11/5(木) 快晴

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きょうの行程は「奈良井から塩尻まで」で、事前に調べた距離は、今回の街道歩きではこの区間が一番長くなっています。

このルート図に二つの小学校が出ていますが、これについては画像の中でお話ししします。

Photo_6今日も例のように「早朝散歩」です。

Dscn2699 奈良井を出ると直ぐにあるのがこの「楢川(ナラカワ)小学校」で、木造の素晴らしく見事な校舎です。

画像が前後しますが、この先には「贄川(ニエカワ)小学校」(下)があり、この校舎も美しい木造校舎です。そして今、この二つの学校は合併して「楢川小学校」になっています。

Dscn2737

この贄川小学校校舎は、現在「信州リハビリテーション専門学校」として活用されています。

Dscn2727「贄川関所跡」説明によると・・・尾張藩の領地最後の宿場。
宿外には福島関の補助的な関所が置かれ、特に檜、杉などの木材の持ち出しを禁じた「白木改め」や「女改め」を厳しく行った となっています。

それにしても巧い具合に電車が来てくれました(笑)

Photo_10上の画像は関所陸橋?の上から撮ったのですが、この橋の「欄干模様」です。

Dscn2750「是より南 木曽路」の石碑。この時12時25分。
これで二度と来ることが出来ない「木曽路」ともお別れかと思うと なぜか感無量

Dscn2752この碑の裏面には全面は見えませんが
『歌ニ繪ニ其ノ名ヲ知ラレタル 木曽路ハコノ櫻沢ノ地ヨリ神坂ニ至ル南24里ナリ』
と彫られています。

Dscn2774歩く両側に迫っていた峰々もいつの間にか拡がり、行く先の視界が拡がってきているのに気が付きました。

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「平出遺跡」・・・解説によると、日本三大遺跡に数えられる大きな遺跡。
縄文時代から平安時代にかけての大集落で、1950年(昭和25)から発掘調査が続けられていて、現在まで199軒の住居が発見され、土器・石器など約2万点の出土している とのことです。

Dscn2789 4時過ぎになってしまいましたが、塩尻駅近くから眺めた「穂高連峰」です。

  【明日へ続く】

江戸時代尾張藩の北の番所となっており、木曾桧材をはじめ、漆器など藩の重要産物の他藩への持ち出しを厳重に取り締まる役目を果たしていた。

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344,寄り道・手抜きの中山道 (塩尻から下諏訪へ )

11/6(金) 快晴

Photoきょうの行程は「塩尻から甲州街道合流地(下諏訪・秋宮)まで」で、塩尻峠を越え、秋宮にある「甲州街道との合流地(ゴール地点)」へ向かいます。
そして今回の街道歩きの最終日でもあります。

Photo_6「堀内家住宅」(国指定重要文化財)・・・ 説明によると・・・文化年間(19世紀初頃)下西条の川上家よりこの家を移築したと伝えられ、構造手法から18世紀後半頃(宝暦~天明)建築と見られています。(昭和48年国重文指定) だそうですが、今も住んでいるようで予約すれば家の中の見学が出来るとのことです。

Dscn2821 笑亀酒造店舗兼主屋・笑亀酒造造蔵・笑亀酒造穀蔵の3件が、国の登録有形文化財になりました。蔵は大正時代の建物で、当時の酒造りが現代にも引き継がれております。・・・と言うのを知らなかったので建物の画像はありません(苦笑)

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(上)「永福寺」説明によると・・・木曾義仲の末孫が義仲の菩提を弔うため、義仲が信仰していた馬頭観音を本尊とする観音堂を建てたのが始まりという。

(下)「観音堂」・・・安政2年(1855)立川流の二代目和四郎富昌の作だそうで、塩尻市の有形文化財に指定となっています。

Photo_5塩尻から下諏訪に掛けて気が付くのが、この屋根飾り。
たまたまこの飾りのある家の方がいたので聞いてみると
「『雀おどり』というもので、中信地方に多く、屋根の飾りで特別な意味はないし そして決まった形もない」 とのことでした。

Dscn2839少しずつ道が登り始めた所で振り返ると、遠くに「穂高連峰」が。

Dscn2843これがズームアップした画像です。(デジタル24倍の威力でしょうか? それに三脚なしで撮りましたが、まだ身体にフルエは来ていないようです 笑)

Dscn2868途中、一里塚や石仏がある峠道を登ると「塩尻峠(標高1012㍍)」で、11時50分着。

これは展望台から撮った諏訪湖方向で、左「八ヶ岳」、右「南アルプス方面」。
中央に富士山が見えるはずなのですが・・・

Photo

こんなに無風快晴では秋霞?のため仕方がない と思いましたが、ズームアップしたものに冨士が薄く写っていたので、これを画像修正して載せます。右は「南アルプス」だと思います。
北アルプス方向は というと、高圧電線が幾本もあって邪魔をしているだけで写真を撮るのを止めました。

Dscn2875

塩尻峠を過ぎると、道は岡谷IC近くまで一気に下ります。

今回のルートで経験した「峠越え(馬籠峠・鳥居峠・塩尻峠)」の結論・・・「木曽観光連盟」のアドバイスが大正解。
もし逆コースを歩いたら、途中でギブアップしたかも知れないほど差がありました。

Dscn289614時56分 両街道の合流地点にゴール。

帰りの列車時刻は17時過ぎなので周囲を散策したり、新鶴本店でカミサン用の「塩羊羹」を買いなどしながら時間潰し。

Dscn2918京都の「誠心院」と、可児から細久手に向かう途中の「御嵩」でも「和泉式部の供養塔」を通りましたが、下諏訪にもこのような供養塔があります。

Dscn2923

だいぶ日も傾いたので、そろそろ「下諏訪駅」に向かいましょうか・・・

 【これで全編の終わりです】

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345,寄り道・手抜きの中山道 (まとめ )

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あまり人と出会うこともなかったのですが、印象に残った人のことを載せます。
①,オジイチャン・オバアチャンと一緒で芋掘りをしていた母子で、イッチョマエに軍手をはめて愉しそうでした。
②,東京から京都に行くのだそうで、お互いにエールを交歓して別れました。
③,オバチャンが持っているのは「ナツメの実」で、初めて食べました。
「♪庭にひともとナツメの木・・・のナツメですか?」「そうですよ」
このオバチャンもこの歌を知っていると言うことは若くないのかも・・・(失礼)
④,蕎麦の刈り取り中で「赤花蕎麦」だそうで、普通の蕎麦よりも実は小さい とのことです。

次に今回の「中山道歩き」の纏めをします。

内容は日付・歩行区間と 1,出発と到着の時刻 2,歩行距離 3,歩数、 4,正味の所要時間。
1,はメモとして記録したのでこれを書き、2,3,4,はケイタイに記録されたデータを書きました。

1,10/18(日) 京都市内観光 11:10~17:20(6時間10分)
16.7㎞ 27900歩  3時間50分

2,10/19(月) 京都~瀬田唐橋 8:25~17:35(9時間10分)
27.8㎞ 43700歩 6時間27分

3,10/20(火) 瀬田の唐橋~野洲 8:10~16:15(8時間5分)
22.6㎞ 36100歩 4時間53分

4,10/21(水) 野洲~近江八幡 8:10~16:40(8時間30分)
18.8㎞ 31800歩 4時間14分
「近江八幡観光」
この日の午後 武佐駅から近江八幡駅まで電車

5,10/22(木) 近江八幡~彦根 8:05~17:30(9時間25分)
23.9㎞ 37300歩 5時間
「彦根観光」
この日の朝 近江八幡駅から武佐駅まで電車
夕方は、高宮駅から彦根駅まで電車
その他としてアクシデントがあり、途中で約2時間半のブランク

6,10/23(金) 彦根~柏原 8:15~18:00(9時間45分)
25.8㎞ 40700歩 5時間30分
この日の朝 彦根駅から高宮駅まで電車
夕方は 柏原駅から彦根駅まで電車

7,10/24(土) 彦根~美濃赤坂 7:50~17:25(9時間35分)
22.4㎞ 37600歩 5時間27分
「大垣城見物」
この日の朝 彦根駅から柏原駅まで電車
夕方は 美濃赤坂駅から大垣駅まで電車

8,10/25(日) 美江寺~岐阜 8:30~16:45(8時間15分)
23.1㎞ 38100歩 5時間17分
「岐阜観光」
この日の朝 大垣駅から美江寺まで電車

9,10/26(月) 岐阜~犬山 8:10~17:35(9時間25分)
23.3㎞ 36800歩 4時間46分
降雨と犬山城見学のため 六軒駅から苧ヶ瀬駅まで電車

10,10/27(火) 犬山~可児 8:15~16:40(8時間25分)
18.4㎞ 31900歩 4時間47分

11,10/28(水) 可児~細久手 8:30~16:40(8時間10分)
19.6㎞ 32900歩 5時間00分
今日の後半からアップダウンが続く

12,10/29(木) 細久手~恵那 7:40~16:50
23.7㎞ 38300歩 5時間19分

13,10/30(金) 恵那(中津川)~馬籠 8:30~17:10(8時間40分)
18.2㎞ 30600歩 3時間53分
この日の朝 恵那を散策し、恵那駅から中津川駅まで電車

14,10/31(土) 馬籠~妻籠 8:45~15:40(6時間55分)
16.9㎞ 28300歩 3時間

15,11/1(日) 妻籠~池の尻 8:15~15:30(7時間15分)
21.7㎞ 35200歩 5時間12分
この日は「池の尻」から「寝覚め」までバス

16,11/2(月) 池の尻~木曽福島 9:30~16:45(7時間15分)
22.3㎞ 35400歩 4時間50分
この日の朝 「寝覚め」から「池の尻」までバス

17,11/3(火) 福島~御嶽山~日義 8:00~16:50(7時間50分)
11.8㎞ 20200歩 2時間16分
福島から御嶽山は、往復ともバスとロープウエイ

18,11/4(水) 日義~奈良井 8:40~16.55(8時間15分)
19.6㎞ 32800歩 4時間32分
鳥居峠越え

19,11/5(木) 奈良井~塩尻 8:20~17:10(8時間50分)
31.0㎞ 47700歩 6時間16分

20,11/6(金) 塩尻~下諏訪 8:50~16:40(7時間50分)
19.9㎞ 33500歩 4時間18分
ゴールの後、下諏訪周辺散策し時間を潰す

総歩行距離 427.3㎞

この他に自分自身の感想など載せたいところですが、今回はこれで締めくくることにします。
長い話しにお付き合い下さいまして本当に有り難うございました。

P1160128_2

番外ですが、「御嵩」で記念として買った「陶磁絵」で、「御嵩宿」の浮世絵が描かれています。

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333,寄り道・手抜きの中山道 (恵那から馬籠へ ① )

10/30 (金) 快晴

昨日ホテルに着いてから、あのアップダウンの連続を思いだし疲れを感じていました。
それにきょうの行程は地図の上では約24キロとちょっとシンドイ。それに馬籠に入る手前からあの周辺をジックリと歩き回りたいという考えが浮かんできて、即決断。
恵那の町を散策したら中津川まで歩く(赤点線)のを止めて、電車で「中津川駅」までショートカット(赤実線)することにしました。

Photo_4

その考えを纏めたのがこのルート図で、赤実線を電車で約10分 (歩くと地図上の距離で約12キロ)。
これでだいぶ時間の余裕が出来て「馬籠」でユックリ出来そうです。

Photo「恵那(大井宿)」の町並みと家々で、それぞれ標識に名前が書かれていますが・・・

手抜きをして中津川から歩き始めましたが、市街地や住宅地なのにアップダウンの連続、住んでいる人はこれでは難儀でしょう。
特に 雪でも降っていたら と思うと怖ろしい。

Photo_2中津川にある「桂小五郎の隠れ家跡」で、説明によると・・・ 文久二年(1862)6月、長州藩士桂小五郎(木戸孝充)は、京都に向かう藩主毛利慶親公の行列を待つ間、幕吏の目をのがれて中津川の平田門人間秀矩(はざまひでのり)や市岡殷政(しげまさ)の好意で、密に料亭「やけ山」(この家)に隠れ待機した。
やがて「中津川会談」三日の結果、桂の主張によって長州藩は、尊王倒幕へと決断した。
明治変革の秘史を物語る場所である。
 (中津川市観光協会の解説による)

この「隠れ家」は中山道から少し離れていました。

Dscn1769「落合宿」の通りですが、左にあるのが「善昌寺」で、寺の松が道に張り出している形が気に入りました・・・この松は、創建当時の山門を覆っていたことから門冠(かぶり)の松と呼ばれている。
道路新設拡巾・寺の移転等で根が痛めつけられて来たのか、凡そ450年の年を経ているといわれているが、さほど大きくなく宿場の入口に格好の風采を添えている・・・『落合まちづくり推進協議会』 の解説による

Dscn1781落合宿から馬籠に向かう途中で秋の空を撮ったものですが、正面の山は「笠置山(1128㍍)」というらしい。

Photo_3 いよいよ「落合から馬籠」への石畳になりますが、 昨日からの石畳に少しは歩き慣れたかも知れません。
和宮が降嫁する時は石畳に砂を敷いて歩きやすくしたとか・・・

Dscn1794_2 「是より北 木曽路」の石碑・・・ 1940年(昭和15年)7月、当時68歳だった島崎藤村が地元の要請によって揮毫したもの。
藤村は60歳頃より藤村老人と名乗っていたそうです。
憧れていた「木曽路」、ヤットここまで来ることが出来ました。

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木曽路の碑の前にあるのが「一里塚と新茶屋旅館」で、300年以上前から茶屋を営んでおり、それが地名になったといわれているそうです。

Photo_5 新茶屋から馬籠への途中の風景ですが、周りの紅葉も進んでいるようです。

 【続く】

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334,寄り道・手抜きの中山道 (恵那から馬籠へ ② )

Dscn1813「馬籠宿」の入口ですが、中津川から馬籠に着いたのが2時半頃。馬籠がこんな斜面にあるとは知りませんでした。

そして考え込んでしまったのが宿へのチェックインまで どうやって時間を潰そう 困った。

Dscn1814_2

「水車小屋と桝形常夜灯」、桝形になっている旧道(だと思います)はこの石段のある道で、石段を避ける坂道は常夜灯の右をにあります。

Dscn1846 各家々はいろいろな趣向を凝らして宿場の雰囲気を盛り上げています。

Dscn1822 この子は「水車」が気になるらしく、暫くここを離れようとしませんでした(私もそれを見ていたのですからヒマですねぇ 笑)

Dscn1815 多くの観光客が来ていて、1本きり無いメインストリートは混雑していましたが、この時刻になると下にある駐車場に向かう人が増えています。

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ここは「永昌寺」というお寺で、「島崎藤村一族の墓」があるところです。

「若菜集」を読み耽ったのはいつ頃だったのだろうか・・・

Dscn1859夕方の馬籠宿ですが人通りも殆ど無くなり、この店も戸締まりを始めようとしていました。

Dscn1858暮れてゆく街道筋

Dscn1854 これで何とか夕方になり、時間を潰すことが出来ました。 が、何という贅沢な街道歩きをしているのだろうか、と自分が可笑しくなってしまいます。

蛇足・・・どこの町でも6時?になるとチャイム放送が流れますが、ここ「馬籠のチャイム」は「椰子の実」。やはり島崎藤村ゆかりの地なのでしょう。(因みに「妻籠」のチャイムは「信濃の国」で県歌だそうです)

 【明日に続く】

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335,寄り道・手抜きの中山道 (馬籠から妻籠へ ① )

10/31(土) 快晴

Photo きょうから(実際には昨日からですが)待望の「木曽路」に入りました。行程は「馬籠から妻籠まで」で、下にある「馬籠」から北に向かって「馬籠峠」を越え、「妻籠」へ歩くわけですが、遊歩道のような道が「妻籠」まで続いていました。ただ歩行距離は今回の街道歩きでは一番短いのでは と思っています。

それと、今までの泊まりは経済性を重視してビジネスホテルに泊まることが多かったのですが、木曽路にはこのような施設は無く、旅館のお世話になります。

Dscn1891 馬籠から見た早朝(6時半過ぎ)の「恵那山」。
悪いクセ?で旅に出ると何故か早起きになってしまい、旅館の戸を開けてもらい早朝散歩です。

Photo_2同じく早朝の「馬籠」で、まだ人通りはありません。

2家々の戸が開けられ、挨拶が交わされ、忙しい一日がこうして始まるのでしょう。

Dscn1901馬籠の宿場通りからすこし外れますが、畑の中にポツンとあったのが「菊姫の供養塔」です。
説明によると、7基の五輪塔が立っていて五輪様と呼ばれ、「木曽義仲の異母妹菊姫の墓」と伝えられる。菊姫は源頼朝の妻政子が養女として都に住んでいたが、その威を借りた家臣が乱暴し、菊姫は幕府に捕らえられた。
しかし政子の願いで菊姫は美濃国遠山庄内の1村を与えられ、法明寺を建てて義仲の冥福を祈ったといい、その跡と伝えられている とのことです。

3 宿をチェックアウトし、もう一度「馬籠通り」を歩いていると、喫茶室が開いていたので、さっそく恵那山が見えるテーブルでモーニングコーヒー。(店の姉妹?にはブログに載せることの了解を得ています)

4 「馬籠峠」への道を歩きながら眺めた紅葉です。

右下の十返舎一九の碑には『渋皮の むけし女は見えねども 栗のこわめし ここが名物』 と彫られているようですが、ジックリ読むのが苦手なので・・・

Photo 「馬籠峠の頂上(標高801㍍)」で、このような峠の茶屋が店を開いていました。

7_2 峠を少し下ると「一石栃休憩所」ありました。
ここでは街道杖の販売や焼き印を押しているようですが、ちょうど杖に焼き印を押していました。
休憩所の前にはこのような水場もあり、その水の美味かったこと !!

Dscn1954 更に下ると「雄滝・雌滝」に着くわけですが、その少し手前にあったのが この「道祖神」。

「双頭一身像」の道祖神ですが、道祖神は村の辻などにたてられ魔障や災厄を遮り追い払う。或いは行路の人の安全を守る神とされている。こうした石像の姿から、転じて男女和合の縁結びの神にもされている。のだそうですが、この石仏がその「双頭一身像」かどうか判りませんが、嬉しいものの発見でした。

 【続く】

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336,寄り道・手抜きの中山道 (馬籠から妻籠へ ② )

Photo_2 ここも観光スポットで、バスの駐車場が近くにあって観光客がけっこう見に来ていました。 左が「雄滝」で落差12㍍、右が「雌滝」の落差は10㍍だそうですが、正確なことは?です。

Photo_3 中山道からは少し外れますが、「県宝・藤原家住宅」という標示があったので寄り道してみました。

解説によると・・・間取り・構造・仕上りから17世紀半ばまでさかのぼる古い建築であることが判明し(庭で仕事をしていた家の人の話では、350年前のものらしいが詳しいことは判らない とのことでした)、昭和63年に復原修理されました。長野県内の民家でも最も古いクラスに属するもので、長野県宝に指定されているとのこと。

Photo_5「大妻籠」・・・ 説明によると、この辺りは妻籠地区「重要伝統的建造物郡保存地区」に含まれる大妻籠集落で、卯建・出梁造りの民家・民宿が小規模ながら軒を並べています。

Photo_6 いよいよ妻籠宿に入ってきました。
土産物屋を覗くとやはり木材を使った  まな板・菅笠・輪っぱ製品などが多いようです。

P1160121_2通りを歩いていると土産物屋の奥が喫茶室になっていたので、コーヒーブレイク。が、この店のコーヒーはカップ込みの値段なのです。
この中にやや大きめのマグカップがあったのでこれで注文。飲み終わるとそのカップを洗って紙にくるんでくれました。
夕方、自分用だけでは気が引けるので夕食前にまたこの店へ行き、カミサン用の小さなカップでコーヒーをもう1杯(それが上の画像です)

2所々の店ではこのような実演もしていて、菅笠・木彫りの木曽駒・輪っぱ加工・コヨリでの木曽駒 などが傍で見ることが出来ます。

Photo_6 妻籠で見た風景。

Photo 妻籠の夕景で、馬籠のようではありませんが多くの人たちが歩いていた通りも、家々の外灯?が灯ると閑散としています。

Dscn2099 今晩お世話になる「妻籠の宿」で、低い格子戸を引くと暖かい空気が流れてきた宿で、女将さんとお嬢さんの二人で切り盛りしているようですが、皆さん親切でスッカリ気に入りました。

 【明日に続く】

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337,寄り道・手抜きの中山道 (妻籠から池の尻へ )

11/1 (日) 曇のち雨

Photo_4 きょうのルートは「妻籠から池の尻まで」で、このルートも雨の中を歩きながら急遽変更したのです。

事前に調べていたのが
1,「須原駅」から「上松駅」まで電車利用し、上松駅から「寝覚め」の宿まで戻る。 
2,「池の尻バス停」からバスで「寝覚め」まで行く。ただし、これは歩く距離がだいぶ多くなってしまう欠点があります。

Photo_7例によって早起きし、散歩をしてきました。これらはまだ誰も歩いていない6時半頃の妻籠です。

Photo_8歩いていると、犬と散歩のオバチャンに会いましたが、「この子はここへ来ると食べ物が貰えるので動かないのよ」。
この犬とオバチャンでは体力的には敵わないでしょうね。

Photo_9「柿其(カキゾノ)橋」からの木曽川ですが、「南寝覚め」と呼ばれているとか。

有名な「寝覚ノ床」は、これから向かう「上松」の手前にあります。

Photo_10雲が低く垂れ込めていて、イヤなものが今にも落ちてきそう。

2時頃になると とうとう雨。それも本気のようで、急いでレインウエアを着て 傘を差しての街道歩きです。

Photo_11 「岩出観音」のご本尊(上)と、雨中の観音堂の全景です。説明によると・・・『一度火災に遭い文化10年(1813)に定勝寺19代住職にり再建され、昭和58年に大修理が行われ今日に至る。
堂内には六十余点の絵馬が所狭しと掲げられている、絵馬はやはり馬の絵が三十五点と最も多いが、他にもいろいろな絵馬があり当時の暮らしや文化を伝えている。(この絵馬は気が付きませんでした)
英泉の風景版画「木曽街道・伊那川橋遠影図」に描かれている京都の清水寺に似た崖屋造りに特徴があります。』

「須原駅」に着いたのが2時45分頃、途中にある名刹「定勝寺」や「須原宿」も雨の中なので素通りです。
電車にはあと30分の待ち時間。
「池の尻」のバスは3時50分発車。
まだ1時間あるので「池の尻」まで歩くことにしましたが、駅に着いてスッカリ気が緩んでいたので気合いを入れなければなりません・・・

  【明日へ続く】

 

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338,寄り道・手抜きの中山道 (池の尻から木曽福島へ )

11/2 (月) 晴

Photo_4 きょうの行程は、昨夜泊まった「寝覚」からバスで「池の尻」まで戻り、改めて歩き出し木曽福島まで行きます。(赤線がバスで戻った区間です)

Photo_14上の2枚は朝早く宿から見た雲ですが、何か不吉なことでも・・・

下は歩き始めた時に見た雲ですが、あの高い山はどこなのでしょう

Dscn2253

中山道は「倉本駅」の手前から少し東方向に登るのですが、地元の人が「ここから30分ほど奥に行くと『乗鞍岳』が見える」と教えてくれたので、街道からは外れるのですが登ってみたのがこの画像で、雲があって見ることは出来ませんでした。

Photo_16

「小野の滝」地元観光協会の説明によると・・・「小野の滝」は広重・英泉の合作による「中山道六十九次」にも浮世絵として描かれています。
滝の落差はおよそ20m、姿は昔から変わっていませんが、中山道は国道へと変貌し、明治43年には滝の上に鉄道が架けられました。この橋脚も表にはコンクリートなどを最小限にとどめ、石積みを用いて風情を となっていますが、右の画像が鉄道と滝を撮ったものです。

Photo_17 「小野の滝」から中山道はまた旧道に入り、暫く歩くと有名な?「寝覚めの里」で、多くの方がこの写真を撮っています。

上が二軒一緒に撮ったもので、左側が蕎麦屋、右側が民宿です(あるいは「だった」のかも知れません)。
左下を見ると女性が居ますが、私が挨拶をすると、この方が蕎麦屋の大女将?で、「国道に新しい店を開いたのでここでは営業はしていない。隣の民宿も今は営業していない」とのことでした。

Photo_18 上松駅の北にあるのが「桟(カケハシ)」。昔の中山道が今の国道付近を通っていた頃、この辺りは断崖絶壁が続く命がけの難所で、木曽川の絶壁に沿って丸太を立て、その上に横板を並べ桟道とした。
その桟道は高さ13m、長さ101mの石積みをし、長さ15mの橋を架け、1648年に完成した。
時々修理や改修がされましたが、その後通行人が松明を落とすという事故で焼け落ちてしまったと伝えられています。
それを石垣で造り替えた橋が現在まで残っています。石垣は国道の改良によって覆われてしまったため、対岸に渡って見ることになります(右上)。

左上・下は同じく桟道ですが、ここは木材によって支えられています。

Photo 何の変哲もない画像ですが、よく見ると線路の横に踏み跡が見えると思いますが、ここがこれでも「中山道」なのです。

ここを歩いていると前方に「鉄道保安員」の姿を発見、「ヤバ」と思いながら挨拶し「ここは中山道ですよね?」すると「そうですよ。けれども通らない人が多いようですよ」

この保安員は女性だったので、「写真を撮らせて」と言ったら、「顔はダメ」で了解を貰いました。

Photo_2 眺めた紅葉を纏めてみました。

Photo_3

4時過ぎに「木曽福島駅」に到着。
駅前案内所で古い町並みと喫茶店の場所を教えてもらい、コーヒーブレイク、そして古い町並みを散策し宿に向かいました。

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330,寄り道・手抜きの中山道 (可児から細久手へ ① )

10/28(水) 快晴

Photo きょうの行程は「可児から細久手まで」で、サイトなど読んでみると「御嵩(ミタケ)」から山道に入ることになるようです。
この「御嵩」から先には鉄道やバスもないようなので、「手抜き」歩きが出来ません。

Photo_2 御嵩に近付くと有ったのが「関ノ太郎 首塚」・・・説明によると、 正治元年(1198)の頃、御嵩の東方の奥岩に「関の太郎」という妖怪を使う賊がいて、願興寺界隈に出没しては悪業三昧を繰り返しており、地頭纐纈盛康がこれを討ち取り、「首をこの地内にねんごろに葬った 」のだそうです。

この辺りは 桶縄手 と呼ばれ、 木曾街道膝栗毛 を著わした 十辺舎一九は
『 桶縄手 今もその名を 朽ちさりき 塩づけにせし 鬼の首かも 』  
と詠んでいる と説明されていました。

Photo_3「愚渓寺」 観光案内には・・・境内は5,000坪ほどあり、1428年に義天和尚が開いた愚溪庵が前身となっている。
その後、江戸時代に現在の地に移築された。
京都竜安寺の石庭のモデルになった という美しい枯山水の庭園は一見の価値がある。

となっていますが、「石庭」は手入れがされたなくて淋しい感じ。
境内にあった小さな石像(右)に救われた思いでした。

Photo_4「御嵩の家々」ですが、町を歩いていたらいましたよ。
見たときヒモが落ちているのかな と思いましたが、いきなりニョロニョロ。長さは1㍍くらいの大蛇(右下)

Photo_5御嵩から少し歩くと有ったのが、「和泉式部廟」・・・観光案内には、平安三大女流歌人として名高い和泉式部の廟所で、東山道を旅してきた彼女はこの地で病に倒れたといわれる となっています。

京都の「誠心院」でも和泉式部にはお会いしました。

Dscn1543

「牛の鼻欠け坂」という所で、ここからいよいよアップダウンの連続になりました。

蛇足:道標があるのは有り難いのですが、幾種類もあって紛らわしく思ったのは私だけでしょうか

Photo_6「謡坂(ウトウザカ)」という風情ある石畳の道ですが、私のように足腰が覚束ない者は歩行要注意です。それと雨が降っていたら滑るでしょうね。

Photo_7この「うとう坂」から少し外れると「マリアさま」に会うことが出来ます(道標あり)。

『昭和56年(1981)3月、謡坂地内で道路工事中にキリシタン信仰の遺物が偶然発見されました。
その後の調査で、小原、西洞、謡坂地内で数多くの貴重な遺物(中山道みたけ館に展示)が相次いで発見され、この地に多くのキリシタン信者が居た事が判明し、歴史上大きな資料ともなりました。
幕府の過酷な弾圧の中で発覚もせず、ある期間信仰が続けられたのは一種の奇跡であると考えられます。

こうした例は全国でも非常に珍しく、広く話題を呼び、遠くから多くの人が来訪され、又、東海自然歩道(旧中山道)に沿う地でもあり、関心を寄せる人も多くなりました。

平和の像建立にあたっては、御嵩町観光協会及びその趣旨に賛同された多くの方からの浄財により、当時の幸苦に耐えた先祖の慰霊の意味と人々の幸福と平和を願って、ここに平和の像(聖マリア像)が建立されました』・・・以上は観光案内をお借りしました。

  【続く】

 

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331,寄り道・手抜きの中山道 (可児から細久手へ ② )

Dscn1571 こんな山の中で『プ○バンス』という瀟洒な喫茶室を発見。
ここでコーヒーブレイクしたのは勿論です。

Dscn1574

集落に入ると、こんな長閑な道を歩きます。

Photo

集落内ではこんな「商い」もありました。

Dscn1576 「学校は遠いの?」 などとお喋りしながら撮ったものです。

Dscn1588

「津橋」という集落で、ここからまた道は山道になるのですが、地図ではゴルフ場に沿っての道になってます。
私の感覚では、ゴルフ場に沿っての道だからフェアウエイやグリーンが見え、時々は人の話し声が聞こえ と思っていましたが、ここは全く違い、道の両側は深い木立でゴルフ場の雰囲気は少しもありません。

Photo_8

日が傾く頃  『細久手』の集落に着きました。

Dscn1598 細久手宿でただ一軒の宿屋の「大黒屋」。説明によると、最近、奥座敷前で「安政6年(1859)12月6日清七 米9合」の墨書銘が発見され、安政5年(1858)の大火類焼直後に再建された家であることが確証された。
旅籠屋で年代の判明した唯一の例として貴重である とのことです。
が、ご主人はじめ皆さんがフレンドリーで、一人旅の夜を愉しく過ごすことが出来ました。

Dscn1605この旅館での嬉しい出会いです。彼女はカナダから来たそうですが、箸の使い方が上手だし、黒髪なのでなので日本人かと思っていましたが、顔を見てビックリ

記念に写真を撮らせてもらい、ブログに載せることもOKをもらいました。(お断り;彼女の隣は私ではなく、彼女の同僚です)

この宿でもう一つの嬉しいハプニングが・・・
入ると直ぐに宿のご主人が
さんという方が宿に尋ねてきて、それらしい人が着いたらこれを渡して欲しい」
と言いながらお土産を渡してくれました。
宿のご主人は、「それらしい人」は私だと直感したそうです。

さんがどの様に宿のご主人に話しをされたか判りませんが、「その方は日吉出身だそうですよ」
これを聞いて それはあの さんに間違いない と私も直感し、有り難くそれを頂戴しました。
この さんは私のメル友で、お互いHNで交信しているので名前を知らないのです。(その後のメール交換で I さんで間違えがないことが判りました)

  【明日に続く】

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332,寄り道・手抜きの中山道 (細久手から恵那へ )

11/29(木) 快晴

Photo_11 きょうの行程は「細久手から恵那まで」で、昨日の「御嵩」から恵那までは所々に集落があり、石仏や一里塚が点在し、そして山賊が出てきてもおかしくないような山の中を登り下りするコースです。

そしてこの区間には食堂・コンビニはないとのことなので、宿で昼食の握り飯を作ってもらい歩き出しました。

Dscn1611_2 朝の「細久手宿」ですが、静寂そのもので車も人も通りません。

今日は何人の人と出会うことが出来るでしょうか・・・

Photo_13(左) 琵琶峠のすぐ下にある「八瀬沢一里塚」
(右) 琵琶峠頂上にある「和宮の歌碑」で、これには
 『住み馴れし 都路いでてけふいくひ いそぐとつらき 東路のたび』
と彫られているそうです。

この和宮はここだけでなく、今まで歩いてきた所にも、これから歩く『木曽路』にも出てきます。

Photo_14 琵琶峠からの下りの石畳ですが、説明では、この「琵琶峠」を中心とする約1㎞は「八瀬沢一里塚」や馬頭観音などが現存し、当時の面影を残していて、峠を開削した時のノミの跡を持つ岩や土留め・側溝なども当時のまま残されているそうです。

そしてこの画像のような凸凹なので「足元要注意」

Photo_15 琵琶峠の近くにある「二つ岩」で、広川広重の「大久手」に描かれています。

下の2枚の画像に、比較するため私のザック(高さ約50㎝)を置いてみました。

Photo_16 「大湫宿」の通りと、格好の良い家があったのでパチリ。

Photo_17

「尻冷やし地蔵」・・・旅人にとって道中の飲み水は大切でした。
山坂の多い「十三峠」では特に大切であり、ここの清水は大変貴重でした。
この地蔵尊は、そんな清水に感謝してて建てられたものですが、ちょうど清水でお尻を冷しているように見えるところからこんな愛称で親しまれてきた とのことです。

Photo_18ここの中山道は「中仙道CC」の中を横切るようになっていて、偶然ゴルフカートが来たので後を付けて行き、ティーショットを拝見。
ここのカート道路は贅沢?にも石畳でした。

歩いていると、キノコ採りの女性と擦れ違ったので籠を見せてもらったら、何とロストボールも入っていました(笑)

Photo_19「ぼたん岩」・・・地上に露出している直径5mほどもある岩の表面が、薄く層になって幾重にも削られているようになって、牡丹の花のように見えることから「ぼたん岩」と呼ばれている そうです。

Photo_20「首なし地蔵」 こんな伝説があるそうです・・・二人連れの武士が道中、地蔵前でい昼寝をしていたが、一人が眼を覚ますと、仲間の首がない。
怒った武士が「仲間が襲われたのに黙ってみているとは何事」と地蔵の首を刀で斬り落としてしまいました。
それ以来何度地蔵さんの首をつけようとしても付かなかったため、「首なし地蔵」と呼ばれるようになった そうです。

Dscn1710視界が開けると「恵那山」が、そして下に拡がるのは恵那の町でしょうか。

「恵那山」岐阜と長野の県境にあって、木曽山脈の最南端で標高は2192㍍。

Dscn1718「西行塚」・・・解説によると、西行は諸国行脚の後、この地に立ち寄り竹林庵を結び三年暮らしたといいます。
西行は自分の死期を悟り、自分が死んだらこの庵のある中野坂に埋めるよう村人に頼みました。
そして建久9年2月11日(1188年)に亡くなり、村人達は遺言どおりに中野坂の傍らに西行を葬り、五輪塔を建てました とのこと。

Dscn1726 「恵那」の町並みですが、昔は恵那とは言わずに「大井宿」と呼んでいたようです。

  

 ★ 中山道(4,恵那~木曽福島)  に続く】

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