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321, 「出羽三山歩き」と「鉄道の旅」 (月山登山 ① )

'10/10/22 (金) 晴
いよいよ「月山(1984m)」への登山が始まります

Photo_24 コースは6時方向の「志津温泉」を出発し、2時方向の「月山山頂」を目指します。
次は横方向に歩きながら「湯殿山神社」を経由し、「湯殿山ほてる」(ルート図には入っていません)が今日の最終目的地になります。
(数字はそれぞれの標高です)

なお、宿のご厚意で「リフト乗り場」まで車で送って頂いたので、お陰様で距離と時間を稼ぐことが出来ました。

Dscn6026 出発するときに撮ってもらった旅館「ゆきしろ」の明るくて心やすい奥さんとの記念すべきツーショット 
「どうもお世話になりました」
独り言:自分では若いと思っていましたが、これではねぇ~
(奥さんにはブログに載せることの了解を頂いてあります 念のため)

宿泊したときの食事は「キノコづくし」で、これがまた美味かったなぁ~~

Dscn6027 「姥沢小屋」
リフト乗り場の近くにある(標高はだいぶ高くなっているのに紅葉はまだのよう)

Dscn6037 リフトに乗りながら撮ったブナ林、ガスがかかっていて幻想的

Dscn6044 リフトに揺られて約15分
登り始めるとさっそく木道があり、これが頂上近くまで続いているのだろう・・・

Dscn6045 「リフト降り場」
を振り返って俯瞰。
あまり多くはないが登山者の姿が見え隠れしている。

Dscn6058 「姥ヶ岳(1670m)」
を過ぎると、前方に月山山頂(1984m)が見えてきた。
と同時に、想定外のアップダウンの連続に
「オイ !   歩けるか?」

Dscn6061 「志津方面と湯殿山方面」の分岐点。
前方はいま登ってきた「姥ヶ岳」で、左の石段?を下ってきたわけです。
帰りは画像には出ていませんが、ここから右に下って行く予定

Dscn6065 途中での風景(その1)
庄内平野・日本海方面を撮ったつもりですが・・・

Dscn6075 途中での風景 (その2)

Dscn6082_2 登山道?
中央の岩に赤い矢印が書かれているが、これを辿って行けば良いはずだろう。
それにしてもこれは自然なもののではなく、人の力で整えられたのではないだろうか?
それほど整然(ではないが)と階段状になっているのだ。
気が付いたこと・・・ここまで来て、「木道」はスッカリ姿を消していた。

Dscn6090 雲が湧く稜線 
などというとカッコ好いが、足元が覚束ない私にとっては脅威そのもの。

Dscn6099 正面が月山山頂の「月山神社」
この辺りの積雪は多いらしく、5月頃までスキーが可能だそうだ。

Dscn6101 月山山頂の「月山神社(1984m)」に辿り着いた。
この頂上は神域のため、三角点はずらせて立てたそうです。

宿を出発したのが 8:35
リフトを降りたのが 9:10
姥ヶ岳が 10:08
分岐点が 10:24
頂上着が 12:16

 【 続く 】 

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322, 「出羽三山歩き」と「鉄道の旅」 (月山登山 ② )

月山登山の続きで、ここからは湯殿山への下りになります。

Dscn6113 途中で出会った新潟から来たという若い人たちで、何しろ足が速くて付いて行くのが精一杯。
私のほうが年上だからということだろうか、直立不動の姿勢でパチリと収まってくれました。(この人たちにはブログに載せる了解を得てあります)

Dscn6062 新潟の若い人たちと別れ、私は左に見えるルートを下ってゆくことになります。

Dscn6116 彼等は登り、私は下る。

Dscn6122 もう月山の頂上も何処にあるのやら判らない。

Dscn6135 「湯殿山神社」
を俯瞰。
中央に湯殿山神社の駐車場が見えるが、けっこうな急斜面を下ることになりそうで ヤバイ

Dscn6131 遂に名物?の「鉄梯子」が出てきました。
下りなから数えてみると90段近くあったような気がする。
鉄梯子はココだけではなく、この後も数ヶ所あった。
感想・・・これは思っていたより楽だし、愉しめる。

Dscn6137 鉄梯子が終わると、このような石の階段になるが、これが私には難行苦行。
何しろ足元が覚束ないのだからトン・トン・トンと下りるわけにはいかない。
なので、ここで何度尻餅をつき、転んだしまっただろうか。
最後のほうでは、このまま尻を付けてイザって行かなければダメかも知れない と思ったほど。
それにしても、ここも人の力でこの石段??を造ったのだろう。
雨でも降ろうものなら、ここは滝のような状態になってしまうこと必定

Dscn6140 やっとガレ場のようなルートが終わり ホッ
足を痛めなくて良かった を実感。
万一捻挫でもしたらどうなっていただろう?

Dscn6143 湯殿山神社に到着したが、この時すでに夕陽が沈もうとしていた。
この時の時刻は 16:55

宿まではまだ下らなければならないが、夜道が心配。
仕方なく宿に
「いま湯殿山神社に着いた。これから行くので遅くなる」
と電話をすると
「そこからでは真っ暗になってしまうので、下の駐車場で待っていて下さい、車で迎えに行くから」
これを聞いて心底ホッとしたのは云うまでもありません。

Dscn6151 宿(湯殿山ほてる)は温泉で、その湯口は「湯殿山神社のご神体」と姿や色が似ている と聞いていたので パチリ。

月山出発 12:50
鉄梯子着 15:23
神社着 16:55
宿着 17:15頃

もしもここで遭難していたら、「愚かな高齢者の単独行遭難」と世間様からバカにされたでしょうね。

そこで、「月山神社と湯殿山神社から」 きつ~いコメント
 『月山をば なめたらあかんぜよ !! 』

  【 続く 】

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323, 「出羽三山歩き」と「鉄道の旅」 ( 六十里越旧街道 )

'10/10/23 (土) 晴

今日は「六十里越(ロクジュウリゴエ)旧街道」を歩く予定ですが、昨日の月山登山の後遺症?て両太腿・脹ら脛がパンパンに張っていて痛い。それに左足土踏まずに鈍痛がある。
マァ止めるわけにいかないので歩き出してみようか

Photo_22 5時方向にあるのが昨夜お世話になった「湯殿山ほてる」(何故カタカナを使わないのでしょうか 判りません)

宿からは国土地理院の地図にも載っていないようなルートを歩くが、観光案内所から送ってもらったルート図を頼りに歩いてみると、ルートはシッカリと付いていてこれなら安心して歩けそうだし、途中いろいろな名所?もあるようだ。

Dscn6153 ルートにはこのような標示板もあって、歩く者にとっては有り難い。
けれども擦れ違いは出来ず一方通行(笑)

Dscn6157 「塹壕跡」
戊辰戦争の時、官軍の来襲に備えて掘ったという塹壕跡
解説によると・・・ 『歴史に残る戌辰の役といわれる戦さが慶応四年(1888)の春から秋にかけて奥羽の各地で起った。
会津藩が落ちたあと幕府勢の最後の砦として残ったのが奥羽列藩同盟の主力である庄内藩だった。
庄内軍は自分の領内での戦闘を避けるため、積極的に領外へ進行して秋田・新潟・狩川・六十里越の要所を固めた。

六十里越街道は庄内進行を決定する最も重要な戦略地点であり、薩長軍(官軍)の主力はここに集中した。
最も激しく戦闘が行われたのがこの六十里越と寒河江地方だった。この戦いは春と秋の二回に分けられ、春は庄内勢が他の利をいかして優勢に立ったが、秋には庄内藩は降伏した。
六十里越街道沿線の村人は人足に駆り出され、終戦後も官軍の通行や庄内軍の差し出した武器の輸送にあてられ、村人の負担は非常に大きなものであったという。』

Dscn6162 「砲台跡」
同じく戊辰戦争で官軍を迎え撃つために砲台が設置された跡

塹壕跡も砲台跡も、いつヤッテ来るか判らない敵をこんな所で待つのは心細かろうなぁ

Photo_23 歩きながらの色模様

Dscn6166 「湯殿山神社遙拝所」
からの望遠。
街道を歩く人たちは街道から少し外れるが、この高台に登って遙かに見える湯殿山神社に参拝したのだろう。

Dscn6178 「旧街道」
このU字形の路は、今春歩いた「塩の道のウトウ」と同じなのか?
ここでは少しでも路が平らになるよう削り取った と言われている。
一方の「塩の道」では、ボッカや牛馬が歩いて自然と凹地に変わってしまった となっていたような・・・

Dscn6171 「細越峠」
標高は900メートルだそうだがその様な標識は無かったようだし、視界が開けているわけでもなくそのまま通り過ぎる

Dscn6183 「護摩壇石」
弘法大師がここで火を焚いて祈祷祈したといわれている所で、湯殿山道普請供養塔が建っている。

Dscn6187 「千手ブナ」
と呼ばれているもので、枝が千手観音のように広がっているブナの巨木。
それにしても四方に枝を伸ばしている姿に惹かれる。

Dscn6195 「弘法茶屋跡」
弘法大師が街道越えの途中で休んだ と言われている。
ここにはトイレ(水洗)も有るし、ベンチもあった。(トイレは自主判断だが有料)

Dscn6200 「蟻腰坂の出入口?」
蟻腰坂は急坂のため蟻のように這って上らなければならないことが名前の由来と言われている。
幸いなことに私はここを下ってきたわけで、村道?から蟻腰坂を撮ったもの。
右に小さな小屋があるが、これは登山者名簿を記入し、これに入れるらしい。

Dscn6198 「七ツ滝」
蟻腰坂を下ってきて村道を左に少し登ると「七ツ滝」が良く見えた。
そしてここはもう「田麦俣(タムギマタ)」の集落である。

Dscn6203 「田麦俣番所跡」
田麦俣には内陸から入ってくる者と、庄内から入ってくる者に対する番所が2ヶ所置かれていたそうで、ここがその跡らしい。
が何故時計なのかが判らない。

Dscn6213_2田麦俣の多層民家」
多層民家として有名な田麦俣も、今は2軒を残すのみだそうです。
昔は、このあたりの民家はすべて茅葺だったそうでだ。
いずれも江戸文政年間の築で、当初は寄棟だったが、明治に入って養蚕が盛んになり、かぶと型の屋根に改造された とのことで、1階は住居、2階が下男の住居兼作業場・物置、3階が養蚕作業場で、4層構造 とのこと。

Dscn6206 或る1軒を撮ったもの。

 ~~~~~~

ここまで歩いてきたが、どうも両足の脹ら脛と太腿が張っていて痛い。
マァ歩けないことはないが、これから先も距離としては可成りありそうなのでギブアップすることに決めた。
(一人旅はこの様な気楽だから止められない とは負け惜しみ)
なお、この街道では「塩の道」とは違って数人の人と擦れ違いました。

それにしても今春の「塩の道」と今回、続けてのギブアップはナサケナイ !!

 【 続く 】

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324, 「出羽三山歩き」と「鉄道の旅」 ( 鶴岡市内観光 )

「六十里越旧街道」歩きも、途中の「田麦俣」でギブアップし、バスに乗ってしまったので「鶴岡公園」には 14:40頃に到着。
この余裕時間で市内観光をすることにしました。
と言っても事前の知識が全くなくて、ただ右往左往するだけでしょうし、彷徨い歩いた観光地の説明も「パクリ專科」であることをご理解下さい。

Photo_19 バスを降りた場所が6時方向にある「三雪橋」。
そこから「致道館」・「鶴岡公園」・「カトリック教会」・「旧風間家住宅」と歩き、更に「芭蕉乗船地跡」・「富樫蝋燭店」・「日枝神社」と巡り、鶴岡駅近くの宿に到着しました。

(お断り:ここに載せた写真は、翌 10/24 a.m に歩いた所も一緒に載せてあります。)

Dscn6384 「三雪橋」
朱塗りの橋で、昔は三日町橋とよばれていたとのこと。
この橋からながめる鳥海山・月山・金峰山の三つの山の雪が、とても美しかったことから、明治9年に当時の県知事だった三島通庸が名づけたといわれているようです。
また、ここを流れる川は「内川」と呼ばれ、藤沢周平の小説では「五間川」という名で出てくるそうです。

Dscn6231 「致道館」
庄内藩の士風の刷新と、優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805)酒井家九代目藩主・忠徳公が創設した藩校です。
現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っており、国指定史跡として一般に無料で公開されています。

Dscn6230 「鶴岡公園内にある大宝館」
大正天皇の即位を記念して建てられたとのこと。
明治から昭和にかけての時代に、各分野で活躍した鶴岡市出身者、または鶴岡の発展に深いかかわりのあった故人の資料を展示し、その業績を紹介しているそうです。

Dscn6219 「鶴岡公園内にある「庄内神社」
酒井家が庄内藩主として約250年来居城とした「鶴ヶ岡城」跡で、明治10年(1877年)、旧藩主を慕う庄内一円の人々によって鶴ヶ岡城旧本丸跡に創建された神社だそうです。

Dscn6225 庄内神社 社殿

Dscn6222  「藤沢周平 記念館」
神社の左手前にありますが、この鶴岡は藤沢周平&映画製作に熱心なようで、街のアチコチにこれに因んだポスターなどが貼られています。
藤沢周平の小説はあまり読んだことがないのですが、私のお気に入りはTVドラマ「蝉しぐれ(NHK)」で、後半の文四郎?とお福?が欅御殿から舟で脱出したのがあの「内川」を想定したそうで、何か身近に感じました。

Dscn6215 「カトリック教会」
明治36年(1903)、庄内藩家老屋敷跡に建てられた、バジリカ型三廊式とよばれる造りで、塔の高さ23.7メートル。
明治ロマネスク様式建築の傑作として名高く国指定重要文化財となっています。

聖堂内には、世界でも珍しい「黒い聖母マリア像」があるとのことで、これを是非とも観せて頂きたかったのです。

Dscn6243 「黒い聖母マリア」
黒い聖母は明治36年(1903年)献堂記念としてフランス・ノルマンディー州のデリブランド修道院から鶴岡のマリア像は寄贈されました。
この像はデリブランド教会にある黒い聖母像の完全な複製としてフランスで作られた木の芯に石膏を被せたもので、昭和52年(1977年)にフランス国立学術研究所ドベルク美那子女子によって黒い聖母と鑑定されたもので、日本では他に例を見ない聖母像である とのことです。

Dscn6385 「旧風間家住宅」
鶴岡城下で庄内藩の御用商人として発展し、後に鶴岡一の豪商となり産業の振興に力を注ぎました。
約4万個の石が置かれた石置屋根が特徴で主屋を中心に4つの蔵や広大な板の間と大黒柱など、豪商の往時の面影を今に伝える貴重な歴史遺産として国指定重要文化財にも指定。
もし私も財を成せば、このような豪華な暮らしをしてしまうかも知れません。

Dscn6388_2 「松尾芭蕉舟出地跡」
3日間、長山邸に滞在した松尾芭蕉は、屋敷近くにある内川・大泉橋のたもとにある船着き場から川船に乗り、内川・赤川・最上川と下り、酒田に赴いたと言われています。
 「めづらしや  山を出羽(イデハ)の
      初茄子(ナスビ)」

Dscn6390 「富樫蝋燭店の絵蝋燭」
参勤交代で幕府に献上した由緒ある絵ろうそくは花紋燭とも呼ばれ、顔料で描く華やかな色彩と繊細な手描き模様が特徴 だそうす。
「富樫蝋燭店」http://kankolog.jp/shonai/feature/erousoku.html
(お断り:店の方にはブログに載せる了解を頂いてあります)

Dscn6248 「山王日枝神社」
この地方で一番古い社と言われ、出羽国田川郡大宝寺村(現在の鶴岡市)草創以前に既にあったと伝えられているそうです。

Photo_20 「鶴岡駅前のモニュメント」
上の像は稲穂?を担いだ大人と,その脇に小躍りするような少年。
収穫祭がモチーフでしょうか、いかにも米どころ庄内平野らしい。

 【 続く 】

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329, 「出羽三山歩き」と「鉄道の旅」 ( 深浦→弘前→嶽温泉へ )

’10/10/27 (水) 曇
きょうの予定は「深浦駅」から列車で「弘前」へ行き、バスに乗り替えて「嶽温泉」を目指します。

昨夜の風の轟音?は部屋には届かず、グッスリ(といっても自分の家のようにはいきませんが)

Dscn6476_2 部屋から海を見ると、だいぶ荒れているようす

 ~~~~~~~

「車で深浦駅までお送りしますよ」
とのご親切でしたが、約4㎞という話しなので歩くことにしました。

Dscn6492_2 深浦の荒れる海
左は多分「弁天島」と呼ばれる所だと思います。

Dscn6495_2 「弁天島」
弁財天を奉る弁天宮があり、古くから海上の安全航海と豊漁を祈願する神聖な場所として知られています。
北前船交易が盛んだった頃に建立されたと言われています。

Dscn6498_2 「円覚寺山門」

Dscn6499_2 「円覚寺本堂」
坂上田村麻呂が陣中で使ったかけ仏と、聖徳太子の作と云われる十一面観音が安置されたのが起源と伝えられる。
国の重要文化財に指定されている「薬師堂内厨子」や、日本最古といわれる「北国船の船絵馬」等が奉納されているそうです。

Dscn6503_2 「太宰の宿 ふかうら文学館」
太宰治の小説「津軽」にも登場した旅館を改装して文学館としてオープン。
太宰宿泊の間を当時のままに再現したほか、太宰治の間や大町桂月の間、成田千空の間にはそれぞれ独特の作品を展示してあるそうです。

Dscn6505_2 駅へ向かう途中でのスナップで、いかにもサム~イという感じです。

Photo_11 「猿神鼻岩洞門」
猿神鼻岩は猿の横顔(右上の岩で、見る角度で猿の横顔ソックリ)に似ていることから名づけられた大岩で、北前船の風待湊である深浦湊の象徴的な存在で古くから信仰の対象となってきました。
洞門は明治25年から明治39年に行われた能代道改修工事の際開けられたもので、深浦湊への物資が容易になったそうです。

Dscn6510_2 「深浦駅前通り」
垂れ込めた厚い雲のせいでしょうか、車も人も通っていません。
静かと云えば静かですが・・・

Dscn6518_2 「深浦駅」
1934/4 開業だそうで、私よりも1年後輩 老朽化も仕方ないナ(苦笑)

Dscn6557_2 五能線車窓からの「岩木山」
「鰺ヶ沢を過ぎると右手に「岩木山(1625m)が見えてきました。
今夜はこの右裾の裏側にある「嶽温泉」の泊まるが、雪が降ったようで「岩木山登山」はダメかも知れないなぁ

この乗った五能線の列車も、途中で車輪スリップのため約2時間遅れで「弘前駅」に到着。
乗務員の話では、「強風による塩害のために登り坂でスリップするもので、これからの季節はこのような遅れが多くなる」 のだそうです。

Dscn6565_2 弘前駅に停車していた「特急津軽」
最近の列車は格好がいいですねぇ (鉄チャンでない私でも撮りたくなってしまいます)

Dscn6567_3 嶽温泉には雪が(その1)

Dscn6570_2 嶽温泉には雪が(その2)

Dscn6574_2 津軽らしい宿の装飾
「岩木山詣(重要無形民俗文化財)」の彫像とのことです。

 【 続く 】

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