'12-4 節分会(豆まき行事)見物
昨日('12/2/3 金)は節分会が色々なところで行われるらしいので、その見物を兼ねてまた遊び歩いてきました。

散策ルートは・・・
スタートは2時方向の「四ツ木駅」。
駅から少し下った「木根川薬師」にお参りし、木根川橋を渡り、「玉の井」商店街を抜け「首塚地蔵」「木母寺」、そこから隅田川沿いに下って「白鬚神社」で豆まき見物。
更に下って「言問団子屋」から「浅草寺」で豆まき見物、そして西方向の「京成上野駅」までの散策でした。
左 木下川薬師・仁王門・・・説明によると 『仁王尊(金剛力士像)は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。胎内(胸の内側)に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主の大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したことが分かります。
右 木下川薬師堂・・・説明によると 『本尊は、宗祖伝教大師最澄が東国の地に教えを広めようと発願し、一刀三礼して自ら彫刻なされたお薬師さまで、今日に至るまで千百五十年余年にわたって衆生済度の光明を照らし続けておられます。
江戸時代は徳川将軍家祈願の折だけご開帳が行われていました。』
(木下川と書いて 「キネガワ」 と読みます)
「さだまさし」によって有名?になった「木根川橋」(左)
荒川河川敷にある「草野球場」(右)・・・ここで野球を愉しんでいる風景を見ながら詩を書いたのかも知れません。
「木根川橋 歌詞」(さだまさし)
木根川薬師の植木市の日には
今でも必ず雨が降りますか
もんじゃ焼きのコツ 忘れちゃいませんよ
カルメ焼き冷やすより易しかったもの
あの頃チャリンコ転がして行った
曵舟、押上、浅草の
不思議な胸の高鳴りと
荒川土手の忘れちゃいけない
毎度毎度の 草野球
http://youtu.be/nD5j3XwNUvs
「木根川橋」(さだまさし歌)を添付します
「玉ノ井商店街表示」と「何の店か判らない店」
「玉ノ井」・・・戦前・戦中の玉の井は、吉原のように公娼の集められていた「遊郭」ではなく、私娼の集まっていた私娼窟(私娼街)である。
地元の人々は「めいしや」(銘酒屋)と呼んでいた。いわば、モグリ営業の売春宿が軒を連ねていたわけだが、当局は黙認していた。
統計によれば、1933年(昭和8年)には、この街にあった銘酒屋(早く言えば売春宿)の数は497軒、そこで働いていた女性の数は1,000人いたという。だが、実際にはこれよりもずっと多かったという説もある。
永井荷風以外にも、徳田秋声、檀一雄、太宰治、高村光太郎、武田麟太郎、サトウハチローなど、この街を訪れる文士が多くいた。また、尾崎士郎は「人生劇場(残侠編)」の中に玉の井を登場させた。高見順は、小説「いやな感じ」の舞台を戦前の玉の井に置いている。
第二次世界大戦中は、軍需工場の工員や兵隊たちで賑わったが、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で街のほとんどが焼失した。
時間がないので商店街を通り過ぎただけですが、路地に入るとまだ当時の面影が残っていると言うことです。
「首塚地蔵」・・・天保四年(1833年)洪水の危険を防ぐための隅田川橋場附近の浚渫工事の際に、川床よりたくさんの頭骨が発掘されました。
そこで、ここに合葬し碑をたてて「首塚」といったと伝えられています。
この縁で、首から上の病に効験がある そうですよ。

「榎本武揚 銅像」・・・幕末の幕臣、榎本武揚(1836~1908)は、戊辰戦争のとき幕府海軍奉行として函館五稜郭に立てこもって抵抗するが結局降伏し、このとき黒田清隆に助命され、のち明治政府の逓信相、文相、外相、農商務相などを歴任した。
晩年は現言問小学校(墨田区向島)の向かい辺りに居を構え、周辺を馬で散策したという。
こんな縁でここに銅像が建てられたのでしょうか?
木母寺(モクボジ)境内にある
左・・・「梅若塚」 右・・・「梅若念仏堂」
説明によると 『木母寺(モクボジ)は中世の「梅若伝説」ゆかりの寺で開基は古く、平安の中ごろとされています。
平安中期、吉田少将惟房の子「梅若丸」が人買いに拐かされ、関東に下る途中病気になり、隅田川のほとりで
「たずね来て とわばこたえよ みやこどり すみだ河原の露と消えぬと」
の一首を残し、12歳で世を去りました。
来あわせた天台宗の高僧忠円阿闍梨が、梅若のために塚を築き柳の木を植えて供養したといいます。
この悲話は 謡曲「隅田川」、浄瑠璃「隅田川」、長唄などにうたわれ、また、戯作や小説にもなって多く人の涙を誘いました』 となっています。
独り言:この当時の12歳ってどんな子供だったのかなぁ
同じ「木母寺境内」にあった
左・・・天下之糸平 碑で、高さ5メートル、幅3メートルを越す都内一の句碑だそうです。
明治の初め、貿易で成功を収めた田中平八(通称天下の糸平)の石碑で、親交のあった伊藤博文の書だそうです。
右・・・この石仏は何でしょうか? 今まで見たことがないもので由緒も判りません。
「隅田川神社の狛亀?」社殿の前にはこの亀が一対で安置されていました。
また社殿の横にはこの様に祀られた亀もありました。
この神社について墨田区教育委の説明によると・・・
『荒川の下流、鐘ヶ淵を越え大きく曲がったこの地は、隅田川の落ち口(終点)で、かつて鬱蒼とした森が広がっていて、人々からは水神の森とも浮洲の森とも呼ばれて親しまれていました。
昔、ここから入江が始まり、海となっていたことから「江の口」、すなわち「江戸」の語源ともなったといわれています。
水神の森は、『江戸名所図会』にも描写されているとおり、川岸にあった水神社(隅田川神社)の鎮守の森でした。
川を下ってきた人々には隅田川の入口の森として、川をさかのぼる人々にとっては鐘ヶ淵の難所が近いことを知らせる森として、格好の目印となっていました。
その後、震災・戦災にも焼失を免れた森は戦後の開発で失われてしまい、隅田川神社自体も100メートルほど移されて現在地に鎮座しました。』
「水神社」だから亀なのでしょうか?
(左)白鬚神社・社殿 (右)豆まき行事の風景で、いかにも鎮守様の豆まきという光景で親しみが湧いてきました。
(残念ながら私に授かり物は飛んできませんでした)
白鬚神社の由来・・・今から千年余の昔(天暦五年・西暦951年)、近江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊としてお祀りしたことが、東向島鎮座・白鬚神社の始まり だそうです。
白鬚神社の近くにあった「子育て地蔵」
言い伝え・・・この小堂に祭られている子育地蔵は、 文化年間(1804~1817)に隅田川の堤防修築工事の際、 土中から発見されたと伝えられています。
初めは村の子供たちが神輿がわりにこの地蔵をかついでいたそうです。
が、この地に古くから住む植木屋平作方の雇人夫婦が、ある日、田地で殺害されましたが、この地蔵が村の子供の口をかりて犯人をお告げになり、 たちまち犯人を捕えることができました。 この奇跡に驚いた平作は、 当所に地蔵を安置して供養を怠りませんでした。
その後、将軍家斉が当地に鷹狩に来て、 平作方に小憩の際、 地蔵の由来を聞いて感銘し帰城の時にお参りしました。 平作はこれを記念して小堂を建て地蔵を安置したところ、 多くの人々が参詣するようになりました。
隅田公園に近付きましたが、ここでの名物が「言問団子」(左)と「長命寺の桜もち」(右)
「言問団子」は、植木の植木師の外山佐吉が江戸時代末期に創業。
「言問」の名は、在原業平の和歌
「名にしはばいざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」
にちなむもので、この歌の舞台が隅田川沿いと目されていることによる。
この店が著名になるにつれ一帯の別称ともなり、現在は桜橋の下流に架かる言問橋等にその名が見られる。
この店は、TBSアナウンサーの外山惠理の実家でもあるそうです。(このアナウンサーのことは知りませんが 苦笑)
「長命寺の桜もち」の由来は、創業者山本新六が享保二年(1717年、大岡越前守忠相が町奉行になった年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めたのが始まりだそうです。
(左)「弘福寺」(裏手から撮りました)
20歳くらいまで本所で暮らした勝海舟はその間、浅草新堀端の島田道場で剣術修行に励み、同時に禅の修業も怠らなかったのです。この禅の修業をおこなった場所がここ弘福寺だった そうです。
(右)「墨堤常夜灯」
この常夜燈は、1871年(明治4年)に牛嶋神社の氏子たちによって奉納されたものです。対岸の料亭も含めて、料亭29軒、個人50名以上の名前が刻まれています。この中には、当時有名だった料亭の植半・八百松・武蔵屋を始め、現在も続く駒形どぜう・言問団子・長命寺の桜餅なども名を連ねています。建立以降、三度の改築・修繕を経て今日に姿をとどめているそうです。

「浅草・浅草寺の豆まき行事」 豆まきを始める前のセレモニー?が長くて厭きてしまい、ゴールの京成上野駅に向かった歩き始めました。
【今回もお付き合い下さいまして有り難うございました】
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コメント
北村忠三さんのブログ楽しくて結構チェックしてるんですよ(´0ノ`*)実は読者なんです(笑)普段はあんまりコメントとかしないほうなんだけど(照)見てるだけなのもアレかなって思ってメッセしてみました(笑)北村忠三さんに仲良くしてもらえたら嬉しいです(^ε^)一応わたしのメアド載せておくので良かったらお暇なときにでもメールください(^O^)ココログやってないからメールしてもらえたら嬉しいです(´0ノ`*)まってるねえ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
投稿: まりこ | 2012年2月 9日 (木) 13時47分
まりこさん、嬉しいコメントを有り難うございました。
> ブログ楽しくて結構チェックしてるんですよ(´0ノ`*)実は読者なんです(笑)
このように仰って頂くと「投稿していて良かったなぁ」と思いますし、感謝の気持ちで一杯です。
これからもご指摘など宜しくお願いします。
投稿: 北村 | 2012年2月10日 (金) 09時14分