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’13-43 羽州街道を歩く その8(その2)

'13/11/3  (その1)の続きで、(その2)として「院内から湯沢まで」

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及位駅まで来ましたが、これから先はトンネルがあるので電車利用は予定の行動でした

予定は「小野小町堂」へ行くことと、小町堂の近くに「道の駅」があることが判っていたので、昼飯を食べることだったのです


きょう歩いた街道にも昨日と同様 食堂もコンビニも有りませんでした

けれども久し振りに寂しい と言うか 静かな思いをした一日でした

これで秋田県に入ったわけですから、あとは青森県だけが残りゴールが見えてきました(笑)

Dscn4459左右:「小町堂」
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小野小町の伝説・・・
『小野小町は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人です。
クレオパトラ、楊貴妃と並び世界三大美女の一人に紹介されます。

しかし、小野小町は、謎が多い伝説の女性なのです。
小野小町の出生地としては、秋田県湯沢市小野(旧雄勝町小野)、福島県小野町、熊本県植木町などがあり、没地としても、秋田県湯沢市(旧雄勝町小野)、京都市市原の小野寺などいろいろな伝説が残されています。
しかし、生まれは秋田県という説が主流となっており、それは、美人の多い地でもある秋田から想像されたものと考えられています。  

小野の里には、次の伝説が残されています。 
小町は、出羽国福富の荘桐の木田(現在の湯沢市小野字桐木田)の地で、都から赴任してきた郡司小野良実と地元有力者の娘との間に生まれ、13歳で都に上るまでこの地で過ごしました。  
良実の教育と生まれ持った才能により、都でも通用する様々な教養を身に付け、その中でも和歌は特に上達したといいます。
任期を終えた良実とともに上京した小町は、美しい容姿と才能を活かし宮中に仕え、歌人として活躍しました。

しかし、なに不自由なく暮らした20年余りの宮中生活をやめ、突然、小野の里に戻ったといいます。
深草少将との恋物語  京では多くの男性との浮名を流した小町でした。
中でも小町に特に思いをよせていた深草少将が、突然都から姿を消した小町を追って下京してきました。
少将は小町に会いたいと手紙を送りますが、小町はすぐには会おうとせず、芍薬を毎日1株づつ100株植えることを条件とします。  
百日目の夜、約束どおり100本の芍薬を植えた少将は100本目の芍薬を手に喜んで小町に会いに行こうとしますが、その途中で水かさの増した川に流され亡くなってしまいます。
小町は深く悲しみ99本の芍薬に99首の歌を捧げると、人目を忍んで余生を過ごしたと言われています』

Dscn4464 Dscn4460 左右:小町堂へと帰って行く小町さん

   小町さんも 雪囲いされ 京恋し

この小町さんを目の当たりにした私は、歩く気力を奪われてしまい、横堀駅から湯沢駅まで電車利用したことを告白します(笑)

この日 夕方の4時頃から また雨  
天 或いは私は 小町の呪縛に掛かってしまったのだろうか? 全くよく降ります(笑)

きょうの歩行距離 約24.0km
(言い訳:真室川駅から釜淵駅まで電車利用したことは正解 
もしこれも歩いていたら 湯沢 に着くのは暗くなり、雨に降られていたかも知れない)

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