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’13-44 羽州街道を歩く その9

『嬉しいご案内』

或る会社のHPに私のこのブログをリンクさせて頂けることになりました
会社のHPと言っても、その中にある1つのカテゴリーなのですが、そこに書かれているのが     『元気の出るブログ・愉快満載の百科店」 となっていて、内容は「いつだって街歩き」「パソコンよろずマニュアル」「満点デジカメライフ」「錦町世情研究所」などがあって、ここの私のブログを転載させて頂けることになったのです
 
  その名は 『サンキyou広場
どうぞ この広場にもお越し下さいますようお願い致します

   ~~~~~~~~ 

『後編』 ( その8-1 からの続きです)

’13/11/4  月曜 晴れ 午後2時頃一時雨

Bmp

今日の行程は、昨日の誰も通らない所とは正反対で、車の騒音で騒々しい国道13号線を一路北上するだけ

十文字駅付近で国道を離れて歩きましたが、車があまり通らないことだけで、特長といえるものは無さそう

  今日の道は 変化ない道 疲れる道


事前に測った歩行距離は約20キロくらいなので、ヒトカラに行けるだろう と思って検索したら、横手駅から徒歩12分 とのこと
そんなに遠い所まで歩いて行く気になれず、カラオケはパス(笑)

タブレットについて知りたい事があったので、横手ドコモショップへ寄り道
今日の 総歩行距離は  24.6 キロで、予定を遥かに? 越えてしまいました

健康状況は
 東海道の時のような血尿現象はありません
 足の裏がビンビンとしてます
 靴擦れはカット絆を貼ったので痛みはなくなりました
 持病?の左膝は、湿布薬を貼りサポーターで固定してます

疲れていると思うのですが、翌日になると平常になるのは「若さ故」でしょうか(笑)
こんなことで、もう少し頑張れそうです

Dscn4470Dscn4469左右:途中にあった「両関」という酒蔵
表に回ると直売もしてるようですが、下戸の私には関係が無さそうです

Dscn4471 Dscn4472 左:何処で撮ったのか場所が判りません(苦笑)
ただ、黄葉が水面に映っていて静かな雰囲気を感じたので パチリ をしたのだと思います

右:石塀に囲われた庚申塔らしいものと、傍に立っている木柱が気になりました
木柱には
「成沢では 白犬飼わぬ 理由(ワケ)悲し」
と書かれていました
「成沢カルタ」 となっていますが、どのような意味を持つカルタなのか検索して判りました

成沢カルタは郷土カルタで、白犬のことはこんな言い伝えがあるそうです
『宝暦7年の或る夜のこと、時ならぬ物音に村人が飛び出してみると、湯沢の侍2人が或る家の白犬を切り殺してしまった
怒った村人は侍の一人を殺してしまった
届けにより秋田で裁きがあり、村人二人は「磔」、村の長二人は「打首」。
村ではこの後白犬を飼わなくなった』 のだそうです

この郷土カルタは、殆どの都道府県にあることが判りましたが、私は初めて知りました

Dscn4474Dscn4473Dscn4473_2左右:家族総出で柿の収穫

 
「一つ私に下さいな」 とは言えませんでした(笑)

Dscn4475Dscn4476左:名もない野仏群

右:見事な枝ぶりの紅葉があったので パチリ

20131104_121139001 Dscn4477 左右:十文字の町外れにあった「梨木公園」
朱色の橋が目立っていたので池を一周、池では家族連れが釣りをしていたので、「何が釣れるの?」 と聞いて、答えてもらったのですが、その答えを忘れてしまいました(爆)

Dscn4483 Dscn4488左:たわたに実っているリンゴ
「一つ下さいな」は、なかなか言えないものですね(笑)
 

右:リンゴの収穫 今はこのようなリフトを使っているようです
このリフトで思いだしたのが甲州街道を歩いた時のこと ブドウの産地で有名な勝沼でも、このようなリフトを使って剪定などをしていました

Dscn4481 Dscn4490 左:歩きながら眺めた風景

右:JR北上線の踏切
「羽州街道」と書かれているだけで嬉しくなってしまうのは 私も相当な単純人間なのでしょうね(笑)

ここまで来ると 横手はもう直ぐです

きょうの言葉遊び
  何のために こんなことをしてるのか と人が問う
     答られず 苦笑いで誤魔化す

  予算は?と 問われてギクリの 歩き旅
    そんなこと 考えたら 何も出来ねぇぞ

  誰となく 意地張って歩くと 冷たい風
  角館 という標識を見て 秋田に来てる
  ベンチに座れば 落ち葉が まとい付いてくる
  アキアカネ 飛んでいて 羽がキラリ
  陽が陰ると 冷たい風となって アワダチ草揺れる
  腰を伸ばす ことばかり多くなり 風が痛い

きょうの歩行距離 約24.6km

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’13-45 羽州街道を歩く その10

’13/11/5  火曜 晴れ

Bmp_3

いくら街道歩きだからと言って、駅前旅館ではチョットねぇ
という訳で、コースから外れてしまいますが、萎びた温泉地を探してたのです

今日も相変わらず国道を北上するだけ

名所旧跡は探せば有るのでしょうが、歩きが目的? ですから横道に入りません(今までは(笑))
それでも街道筋に 一里塚跡 という標識がありました

きょうは少し? お疲れぎみで歩いていても鼻音楽は余り出ず、下らない愚痴っぽいことばかりを考えていたようです

きょうもヒトカラはダメでした(笑)

Dscn4496 Dscn4498 左:きょうも濃霧の中を歩き始めました

右:歩きながらの風景

Dscn4500 Dscn4499_2 左右:歩きながらの風景

相変わらず山の名前は判りません
人に聞こうとしても誰も居ないのです

Dscn4501_2 Dscn4502_2 左:見事な紅葉だってので 思わず パチリ

右:地蔵尊ですが、この様な円筒形のものが下がっています
触ってみるとあまり柔らかな物ではありません
何のためなのか気になったので、やっと行き会った人に聞いてみました
一人目「そんなお地蔵さんがありましたか?」
二人目「あれは子供が生まれるとお供えする物で、何故なのかは判りません、何で出来ているのかも判りません」
とのことでした

けれども色々な風習があるのですね

Dscn4504Dscn4506左右:歩きながらの風景

 

 

Dscn4508Dscn4509_2 左:「庚申腰元」となっていましたが、庚申塔の一種だと思うのですが、腰元 はどんな意味を持ってるのでしょうか?
調べてみましたが、判りません

右:「野荒町一里塚跡」江戸から何里なのか、などを調べてみたのですが判りません

Dscn4510Dscn4514左:或お宅の庭にリンゴの大木?があったので、撮らせてもらいました

樹齢など聞こうとしたのですが、その時には家の奥へ行ってしまい 後の祭り

右:これも一里塚跡ですが、大きな木があって如何にも一里塚 という雰囲気

道路を渡るのが 億劫になっていてそのまま素通り
いま思えば、数メートル行けば判るのにですが、これも後の祭り

Dscn4516

この橋を渡れば 大曲 です

きょうの歩行距離は 約24.km

ここで一人だけの鳩首会談? それは、明日泊まるのが駅前旅館 今までチョウ豪華ホテル宿泊だったので駅前はチョット寂しい
それに温泉でユッタリとしたいし
ということで、急遽 宿泊地を変更

決めてのは「ユメリア」という日帰りと宿泊を備えた施設です

 

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’13-46 羽州街道を歩く その11

’13/11/6  水曜 晴れ

Bmp_4今日の宿泊場所「ユメリア」は、昨日探した今流行りの日帰りと宿泊が出来る温泉施設です
場所は 刈和野から北へ3キロほど緩かに登ったところにありました

今日 歩き始めた頃から体が重く感じ、背中に痛みがあります 
疲れが溜まったのでしょう
何しろすぐに腰を下ろして休みたくなってしまうのです

周囲の風景に変化がないのも辛く感じます
車がビュンビュン通るのも頭にきます
2メートル以上の歩道に私一人だけ歩いてるのも頭に来ますし、疲れます(人もチャリも通らないのに、何故こんな広い歩道を造るんだ! ) 

  意地張って 歩いても 山は元の位置
  躓いて よろめいて歩いても 真っ直ぐな道
  晩秋の陽が 疲れを呼ぶか 真昼どき
  コスモスが まだ咲いていて 長い秋だ

    バカにされ 無視されても歩く 一人旅
      試しに一緒に 歩きませんか?



明日の行程は、明日になってから考えることにしました
と言っても留まることは出来ないので、得意の手抜きで前進を考えるつもりです

Dscn4518 Dscn4519 左:広い河川敷がありますが、大曲は花火で有名の場所
この河川敷で打ち上げるのでしょうか?

右:川を挟んだ向かい側にはピラミッドのような山が・・・

Dscn4526Dscn4528左右:八幡神社

社殿は既に雪囲いにしっかりとガード

右は本殿ですが、太陽光を撮ってみました

Dscn4529「秋田飴売り節」のステンドグラス
『神宮寺しんまて 日暮れに通ったば』 
となってるようで、江戸末期から明治の中頃、飴売りによって唄い広められた民謡だそうで、今でも飴売り節コンクールがある とのことです

Dscn4531

Dscn4533 左右:福乃友酒蔵
左写真の入口からはいると、売り場につながっているようです

創業は大正2年(1913)、初代当主福田秀一と杜氏高橋友五郎の名前から一文字ずつを取り、「福乃友」と命名したそうです

Dscn4537Dscn4540左:嶽ドーム
市の総合施設だそうですが、これなら雪が積もっても大丈夫でしょう
この日は大勢の人がグランドゴルフを楽しんでいました

右:歩きながらの風景

Dscn4544Dscn4545左右:市の教育委が建てた木柱ですが、観光にも力を入れているのでしょう

ただ、いかにせん人が居ないし通らない

わざわざこれらを見るためにだけ人は来ないでしょうしね

Dscn4552Dscn4553左:刈和野の商店街
「車が来なくてもキチンと横断歩道をわたりましょう」

右:「ユメリア」への緩い登りが続きます

Dscn4555Dscn4558左:傾いて夕陽が木々を染めていました

右:「ユメリア」の外観ですが、内部も立派に整えられています

Dscn4557

ユメリアから眺めた夕焼け
これで明日の良い天気は 約束されたと同じでしょう

きょうの歩行距離は 約19km

 

 

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’13-47 羽州街道を歩く その12

’13/11/7  木曜 終日雨

Photo

オイオイ 昨日の夕焼けは何だたんだ
夜半から雨が音を立てて降ってるのが聞こえたのです

予報では秋田地方には大雨注意報が出ているので、これでは仕方がない きょうは休養日に決めました
それでも宿から刈和野駅まで 3キロほど歩きましたよ(笑)

刈和野から途中の「和田駅」で下車して歩こうと思いましたが、もう一人の私が 「ヤメロ ヤメロ」  結局彼の言うことを聞くことにしました

秋田駅では、歓迎の秋田民謡を聞くことが出来て マァ良いことにしましょうか
これからの午後は ヒトカラで時間潰しきり方法が考えられません(笑)

けれどもこの終日の列車利用で 羽州街道を歩き続ける夢は消えました 
今までも時々列車のお世話になりましたけれどもネ(笑)

列車の中で暇に任せて駄文を

   雨の降る日は メランコリー
   雨音が強く聴こえて 心を塞ぐ
   旅の空では なおのこと
   一人旅では なおのこと
   あなたを想えば なおのこと

メモ帳には、こんな事も殴り書きしてあります
「人間は行動する生き物かも知れない
きょうのように1日中雨に降られ、無為に時間を潰すほど退屈なことはない
かと言って、複数で過ごせばそれは解消されるのか? 私は No, である
自分の気に入らない者ほど邪魔な者は居ないからだ

こんな考えを持つのは私だけだろうか
イヤ違うだろう 多分ガマンしながら付き合っているのだと思う
しかし、それでその人は満足し、愉しんでいるのだろうか?
それが大人の付き合いだ という考えが普通らしいが、これで好いのかな? どうなのかな? 私にはとても我慢が出来ない」

きょう泊まる宿も 秋田市の外れにある 日帰りと宿泊を備えた温泉施設です

朝からの雨中歩き カラオケでの無意味な時間潰し そして宿までの雨歩きなどのためか、どうも風邪に誘い込まれてしまったよう

フロントで風邪薬をもらい、温泉はパス
一日くらい風呂に入らなくても 自分が我慢すればいいでしょう(笑)

秋田の週間天気予報では、雲マークと雪マークが並んでます

天気さんよ~ 何とかしてくれ!

Dscn4562Dscn4569左右:秋田駅での「おもてなし 歓迎民謡」

左:秋田手踊り
青森も手踊りが多いようです

右:歌う時はこの位大きな口を開けて というお手本(写真を撮る事の了解はもらってあります)
Dscn4566Dscn4567_2

 

これで今日の 歩る記 は終わりです(苦笑) 

きょうの歩行距離は 約11キロ

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’13-48 羽州街道を歩く その13

13/11/8  金曜 雨のち晴れ

Bmp

早いもので 米沢から歩き始めてきょうで13日目
  旅ゆくは寂しかりけり
の心境です な~んて言うのは贅沢すぎますね

朝のうちは東の空には青空が、西の空は鉛色
ヤバイなぁ と思いながら歩いていると 案の定です 30~40分ほど雨のなかを傘さして 

けれども、昨日の退屈な全日休養のお陰で 疲れは取れたようです

秋田駅前のカフェで珈琲ブレイク
この後 秋田城址(千秋公園)を散策
この城には 天守閣と石垣が無かったことで知られている のだそうです

駅に戻って昼食
再度同じカフェで珈琲ブレイク
店の女性から「ご旅行ですか?」 
「ハイ そうです」
まさか米沢からここまで歩いてきた とは言えません

   もう流れてる クリスマス音楽が 珈琲の上に

昨日の手抜きのお陰で予定を変えましたが、いずれも予約してなかったのでなんとか調整もでき、今夜は秋田市の北にある「土崎」というところに泊まります

歩行距離は 16.3 キロ

なお、明日からは終着地である青森まで予約してあるので、休養日を作ることは出来ません

   遠くから 汽笛響いて 紅葉の城あと
   わくら葉を 吹き集めたか 城あとの坂

秋田市内を横断するように歩きましたが、アゲンストの風は強く・冷たい

20131108_113341001 20131108_114056001 左右:千秋公園(秋田城趾)に再建された御隅櫓(オスミヤグラ)と呼ばれているらしい

「市制100周年を記念して平成元年に復元された千秋公園のシンボル。
内部には歴史資料が展示されており、展望室からは市内が一望できる」

20131108_11274700120131108_112527001

20131108_11284300120131108_113647001

20131108_11540500120131108_115914001

20131108_130809001

秋田駅前広場(珈琲ブレイクしていた店からガラス越しに撮りました)

Dscn4581

土崎の宿からの夕焼け
(この間のような夕焼けに誤魔化されないようにしなくては 笑)

きょうの歩行距離は 約16km

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’13-49 羽州街道を歩く その14

’13/11/9  土曜 晴れ 風穏やか

1001
今日の行程は、土崎駅から大久保駅まで電車利用をし、大久保駅から歩き始め、鹿渡(カド)までが目的地です

この辺りは八郎潟干拓地だと思いますが、左側は全て刈り取られた田圃が続いています
もしもこんな所で風雨にさらされたら どうなるのでしょうか?  考えただけでゾッとしてしまいます

この様な所ですから道はほぼ直線、アップダウンもありません
途中に二ヶ所「一里塚跡の碑」が建てられていて、江戸から百五十里と説明されてました
もちろん古いものではなく、最近建てられたものです

  五能線 直通の列車に 鼻歌が追う   
    遠くの山が 真横に来ても 道は続いてる
  耳鳴りの 音きり聴こえない 一瞬の静けさ
  
  私の影が 刈田の中に 伸びている

一昨日の全日休養のせいか 今日は疲れなし

Dscn4587Dscn4591左:大久保駅の近くにあった「東伝寺・本堂」ですが、黄葉が見事
住職さんに挨拶すると
「裏山も綺麗ですから行ってご覧なさい」
時間の都合でパスしてしまいました

右:一里塚跡碑
まだ真新しいもので、 実感が湧きません

Dscn4589Dscn4593左右:大久保の町を抜けると 徐々に視界が広がってきます
というよりも、広過ぎる~

右の写真で、遠くに見えるのは「男鹿」の山々でしょうか

Dscn4592 Dscn4595 左:アクセントになる山があったので パチリ

右:由緒がありそうな祠
(右の立て札に由緒が書かれていましたが 読むのが億劫 苦笑)

Dscn4594Dscn4598左:これもアクセントの一つ(笑)
何しろ平坦で、左側はズ~~と 刈田が続いています

右:名もない場所でしたが、これも大事なアクセントです

Dscn4599Dscn4600左:羽州街道の標識

矢印のほうを見ると、小高い所には墓地がありました
国土交通省が建てたものらしいですが、この矢印の本当の意味を知りたくなってしみます

右:先ほど見た一里塚跡碑よりも古いようです
ここに 江戸から百五十里 と彫られていたのです

Dscn4601Dscn4602左右:鹿渡(カド と読みます)の町に入るとあったのが「松庵寺」

2枚載せたのは意味があるわけではなく、画像枚数が 切りが良かったためです(苦笑)

きょうは一日 無風快晴 これがこれからも続きますように・・・

きょうの歩行距離は 約23.5 キロ

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’13-50 羽州街道を歩く その15

’13/11/10  日曜 強風・雨

Bmp 夜半から強風雨、予定では鹿渡から能代まで ですが、これではとても歩けません
ということで、電車で東能代へ直行しました

思い返すと・・・
10/27  に東京駅から米沢に来て、羽州路歩きが始まりました
が、初日から雨に祟られて早速の電車利用

それでも蔵王観光などしながら尺取り虫のように泊まり歩き、時には全日休養もありましたが、きょう(11/10)秋田県の北にある 東能代 に辿り着きました

けれども モウイケマセン
昨日の快晴が嘘のような夜半から物凄い風雨 
週間天気予報によると、これから行く予定の 大舘 弘前など、どの地域を見ても 雨または雪マークが並んでます

  これではいくら物好きな私でも戦意喪失
  体力は残ってますが、気力が失せました

Photo_2

「ヒトカラで一休みしてから 前へ進め」
という励ましをいただきましたが、カラオケのある場所は東能代からだと、大舘、弘前、青森まで行かなくてはないのです
或いは秋田まで戻る などしなくてはなりません

これからの予定ですが、大幅に変更して明日(11/11) 五能線に乗って弘前へゆき、その後 岩木山麓にある嶽温泉で泊まるつもりです

その後は天候と道路の状態などと相談しながら、弘前から青森まで歩ければよいのになぁ と考えています

これで 羽州街道歩きは 能代 で挫折してしまいましたが、このままでは諦めないのが昭和1桁生まれの図々しさ

   挫折をば 英断と言われ 少し和み

せっかくここまで来たのですから、ご当地ソングで有名?な五能線に乗って、弘前へ行くことにしました

こんな事情で写真はありません

きょうの歩行距離は 約3.5km   東能代駅から宿まで歩いただけ(笑)

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13-51 羽州街道を歩く その16

’13/11/11  月曜  霙

Bmp_2 9:25 能代発白神1号 弘前経由青森行きに乗車 の予定でしたが、信号機の故障とやらで30分の遅延
座席は進行方向左側で海岸サイドを確保(笑)

窓一杯に見える日本海は、白波を立てて岩礁やテトラポットに砕け散ってます
列車は暫くこの海岸線を走るのです
♪窓イッパイの日本海~~ の風景が続きます

ところが、どういうわけか列車は減速 
乗務員の話しでは
「レールの上に落ちた落ち葉でスリップして、スピードが出ない この季節になると茶飯事です」だそうです
五能線は単線ですから、当然すれ違う列車も動くことが出来ず、ますます列車の遅れは多くなってしまうのでしょう

鰺ヶ沢駅からは津軽三味線ライブ演奏

右手には 岩木山 が雪化粧で霞んで見えます

こんな五能線の旅でしたが、約2時間ほどの遅れでヤット弘前駅に到着し、昼飯にありつけました(笑)

弘前では雪が降っています 今シーズン初めて見る雪に感動したり、嬉しくなったり

 追記:弘前の人に聞いたら、市内では初雪だそうで、ラッキー!

勿論 こんな天候ですから、会いたかった?岩木山は見えるはずがありません

時間をもて余したので仕方なく?ヒトカへラ ところが重いザックを背負っていたせいでしょうか 声がかすれて歌えないのです

こんな観光気分の五能線の旅でした

   五能線に じょんがら響いて ミゾレ降る
  強風で 雪が舞い踊り 窓を打ってる  
  無意識に 口ずさんでた ♪五能線

Dscn4610

Dscn4617_2 左右:走る車窓から撮った日本海です

(動画もあるのですが、これは出来次第、追加投稿する予定です)

20131111_13461200120131111_134020001左:鰺ヶ沢駅を過ぎると、右手に雪化粧をした「岩木山」が霞んで見えました
それにこの鉛色の雲は雪を含んでいるのでしょうか?

右:鰺ヶ沢駅からは津軽三味線演奏サービスも

Dscn4627Dscn4639左;これは五所川原駅ですが、向かいには「津軽鉄道」の車両が、客待ちをしています

右:車窓から撮ったものですが、雪は本気になって降っているようです

きょうの歩行距離は 0km です(苦笑)

 

 

 

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’13-52 羽州街道を歩く その17

’13/11/12  火曜 雪が降ったり 晴れたり(笑)

Photo

この日は午後3時のバスで嶽温泉へ行くので、その時間まで弘前市内の散策をしてきました

此処には古くから西洋建築が多いそうで、その経緯は調べてないので解りませんが、弘前城址などを含めての散策です

ただ、こちらの天候の変わり身の早さには驚くばかり
降ってるなぁ と思ってると青空が覗き始め そして一面の青空 そしてまた雪が・・・
これが普通なのかどうか後で聞いてみよう・・・これを聞いたら「いつもはこんなに変わらないと思う」とのことでした

それと、方言って誰が考えたのでしょうね
若い人は問題ありませんが、老人の話はよく解りません
これは秋田県でも同じでしたが .

能代でギブアップしてしまった 羽州路歩きも、あの暴風雨さえ無かったらまだトコトコと歩いているはずで、とても残念です

Dscn4647Dscn4716左右:青森銀行記念館

左は前日(11/11)の夕方に撮ったもの

右は今日撮ったものです

Dscn4652Dscn4655左右:弘前カトリック教会

左は外観ですが、撮っていると
「中に入ってもいいですよ」

とのことなので、ステンドグラスを撮ってみました

空に注目してください
こんなに青空が広がっているのです

Dscn4657Dscn4659左:弘前では老舗旅館として有名らしい「石場旅館」

右:弘前教会礼拝堂

この礼拝堂へは入れませんでした

Dscn4661 Dscn4677 左濠端の紅葉と雪景色

右:濠沿いにある旧家の「石場家住宅」で、ここのガンギが有名のようです(マァ今のアーケードですけれど)

Dscn4664 Dscn4673 これ以降は「弘前城跡」のスナップです

Dscn4705 Dscn4700


先ほどの青空はどこへ行ったやら 1時間後には雪が降っています

Dscn4645Dscn4718町の中で見かけた建物

左:時計店らしい

右:喫茶店らしい

ちょっと珍しかったので パチリ

弘前市内には ほかにも古く由緒のある建物が有るようなのですが、雪の中を歩くのは疲れるのでこれで切り上げました

きょうの歩行距離は 約12km

 

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’13-53 羽州街道を歩く その18

’13.11/13  曇り
弘前で降っていた雪は、昨夕 この嶽温泉の宿に着いたときは膝下くらいに積もっていましたが、本音を言うと雪の中を歩くことが出来て 嬉しかった 
宿泊客は私を含めて5人 宿中が深閑としています

朝、幸いなことに宿から弘前駅までマイクロバスで送ってくれるという
晴れていれば左に雄大な岩木山が聳えているのに、灰色に覆われ姿を見せてくれません

無事に弘前駅に到着
しかし です
奥羽本線の列車が倒木に衝突し、停電 復旧の見通しは ? とのこと

駅構内をウロチョロしてると、構内放送で代替えバスでを運行する とのこと
 あぁこれで帰ることが出来る !

今回の羽州路歩きは まるで何かに祟られているのでは と思ってしまいます
それとも私の計画が悪かったのでしょうか 
言い訳になってしまいますが、本当は10月半ばにはスタートしたいと思ってたのですが、台風の連続襲来で動きが取れなかったのです

それでも 13:42 新青森発の新幹線に乗れたのですから ひと安心 上野駅には5時過ぎには到着するので、ひと眠りしましょうか

Dscn4720Dscn4719左:嶽温泉の私が泊まった宿

右:宿の左隣にある旅館です

20131113_08490000120131113_084918001_2左右:11/13 の朝

車の屋根で積雪がお判りいただけると思います

右:宿の前では除雪車が活躍中です

出来れば弘前から青森まで歩こうと思ってましたが、代替えバスで周囲の風景を見ていると、この雪では歩くのはマァ無理だな と判断でき、諦めもつきました

帰ってきてから、ライブカメラ映像で「矢立峠」を見ましたが、雪は路肩に押しやられていて 歩道が有るのかどうか判りませんが、「これでは危険すぎて、中止したのが正解だったな」 
と自分自身を納得させまた

20131109_131236001                こんな道を 好んで何故か 歩く私

皆さん、どうもお疲れさまでした
そして終わりまでお付き合い下さいまして 本当に有り難うございました

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’13-34 羽州街道を歩く(再掲)

『嬉しいご案内』

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お願い・・・
街道歩きはいつも長編になってしまいますが、今回も同じでありまして、1枚の頁に収まらず、続いて読んで下さる場合には 
頁の「一番下左」に次頁の No があります
ので、これをクリックしてください

【過日 投稿した概略図ですが、参考として再投稿します】

今秋('13/10~11 頃)、歩こうと思ってる「羽州街道」ですが、出発日時はまだ決まっていませんが、行程はほぼ決まりました

Photo

これは羽州街道の概略図で、予定では「米沢から青森まで」歩こうと計画してます
なお、途中で止むを得ず列車利用する事も含まれてます

  1、東京→米沢  その日の内に歩き始め、「高畠」 泊
  2、「上の山温泉」 泊
  3、バスで蔵王観光し、「蔵王猿倉」から宿泊地の「黒沢温泉」まで歩き 泊
    【11/4 まで「上ノ山から蔵王の刈田峠(お釜)まで」無料バスが運行されてるのを知ったので、これを利用】
  4、山形市内経由で「さくらんぼ東根(ヒガシネ)」まで行き 泊
  5、「尾花沢」 泊

  6、尾花沢から新庄までの区間はトンネルが有るので、この区間は列車利用し、「新庄」 泊
  7、「真室川」 泊
  8、真室川から湯沢までの区間はトンネルが有るので、この区間は列車利用し、「湯沢」 泊
  9、「横手」 泊
10、「大曲」 泊

11、「羽後境」 泊
12、「秋田」 泊
13、「大久保」 泊
14、「鹿渡(カド)」 泊
15、「東能代」 泊

16、「きみまち坂(二ツ井)」 泊
17、「大館」 泊
18、矢立峠を越えて「碇ヶ関(イカリガセキ)」 泊
19、大鰐→弘前まで歩き、弘前 泊
20、弘前→嶽温泉はバス 「嶽温泉(岩木山麓)」 泊
20、嶽温泉→弘前はバスを利用し、弘前→「浪岡」まで歩き 泊
21、浪岡→「青森」にゴール(の予定 笑) 「青森」 泊

1日の歩行距離は20~25㎞ としてますが、「秋の陽は釣瓶落とし」なので宿を出る時間を早めにし、暗くなる前には宿に入るようにしなければ と思ってます

そこで列車利用は臨機応変&積極的?に有効利用するつもりです  但し、列車本数が非常に少ないので要注意(笑)

救いは、箱根越えのような難所が無い のではないかと思ってることです

以上 21泊の予定ですが、ナント贅沢な事をしてるのでしょうか 我ながら呆れてしまいます

 

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’13-35 羽州街道を歩く その1

 『嬉しいご案内』

或る会社のHPに私のこのブログをリンクさせて頂けることになりました
会社のHPと言っても、その中にある1つのカテゴリーなのですが、そこに書かれているのが     『元気の出るブログ・愉快満載の百科店」 となっていて、内容は「いつだって街歩き」「パソコンよろずマニュアル」「満点デジカメライフ」「錦町世情研究所」などがあって、ここの私のブログを転載させて頂けることになったのです
 
  その名は 『サンキyou広場
どうぞ この広場にもお越し下さいますようお願い致します

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 【 「羽州街道」とは・・・
江戸時代の街道で、奥州街道と並ぶ東北の二大街道のひとつ。
現在の国道113号、13号、7号にほぼ重なるコースで 全長は約497km。
福島の桑折町で奥州街道から分かれ、宮城の七ヶ宿、山形、秋田と進み、青森の油川でまた奥州街道に合流する、東北地方の西部を貫く基幹道。
途中、上山や山形、天童、新庄、久保田、弘前の城下町を通った。

「羽州街道」の名称は地域性の強い諸街道の総称で、かつては土地毎の「小坂道」「山中七ヶ宿街道」「最上街道(道)出羽山形」「秋田街道(佐竹街道)」「下筋街道」「碇ヶ関街道」「外ガ浜街道」が使用された。
街道は陸奥国弘前、黒石藩、出羽国秋田、亀田、本庄、矢島、松山、新庄、庄内、長瀞、天童、山形、上山藩の13の大名が参勤交代で利用し、物資や文化を運ぶ大動脈として、また、出羽三山を参詣する白装束の行者で賑わったという。

宿駅は、本陣のない間宿(あいのしゅく)を含めると58を数え、出羽国には、南の「楢下」から北の「及内」まで17の宿駅が設けられた。
江戸時代の文人墨客である菅江真澄や芭蕉を始め、伊能忠敬や吉田松陰、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードなどもこの街道を歩き、日記や紀行文、絵図を残している】

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'13/10/27  (日) きょうの行程は「米沢から高畠まで」 ですが 米沢では雨
東京発 10:14 新幹線に乗車 12:17 に米沢駅着
歩行距離は約14㎞ 駅前食堂で腹ごしらえをしましたが、すき焼きのような鍋が美味かった ヤハリ米沢牛の本場 なのでしょう

Bmp001 6時方向の「米沢駅」をスタ-ト

先ずは「上杉神社」へのご挨拶

後は 12時方向の「高畠」を目指しますが、ルートはほぼ一直線

宿は高畠駅に隣接している所を選びました(他に宿が見つからなかったこともありますが 笑)

言い訳:雨中で傘を差して歩いていたため、「上杉神社」の標識を見落とし、だいぶ先まで行ってしまいUターンしましたが、だいぶ時間をロスしてしまいました

黒点線のように高畠を目指して歩いてましたが、時刻は3時過ぎ、これからまだ距離は8キロほど残ってますが、雨が降ってるし到着は6時を過ぎるだろう
と思った途端、身体はUターンし米沢駅に向かっていました(笑)

20131027_110851001Dscn4159

左:米沢へ向かう車窓から撮ったのですが、青空が広がり好天約束されているようで楽しみです

右:米沢駅のモダンな駅舎 駅前広場には雨が降ったように地面が濡れていました
さっきまでのあの青空は何処へ行ってしまったのでしょうか?
Dscn4160 Dscn4164 左:「最上川」となっていましたが、その上流方向をパチリ
遠くに霞んでいる山が最上川の源流になるのでしょう タブン

右:同じ川の下流方向を撮ってみました

なお、ルート図の右に広い川がありますが、調べてみるともっと下流でお互いが合流するようで、これが最上川に成長?するのでしょう

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米沢駅から高畠駅まで手抜きの電車利用をしてしまったので、高畠駅には5時前に到着
宿は駅に連接してるので。早く着き過ぎてしまったので時間潰しが必要

Dscn4167Dscn4166

左:「高畠駅」の超モダンな駅舎
駅前広場の木も紅葉真っ盛り

右:駅前広場には 何故か「カッパの石像」

『カッパの伝説・・・高畠町糠野目の松川で、馬方が馬を洗っていると、なんと馬がずんずん沈んでいくではありませんか。
馬方が力いっぱい馬を引き上げると、しっぽにカッパがくっついてきました。
馬方は怒ってカッパに「いたずらするやつはつかまえて殺してやる」というと、カッパは「きず薬の作り方を教えるからお許しを」と必死に謝ってきます。馬方は「もういたずらはしないという証文を持ってこい」と言って、カッパを放してやりました。
次の朝、馬方の家の前には、きず薬の作り方とカッパ文字で書かれた証文が置いてありました。
その証文は「カッパのわび証文」として今も残っているそうです』

高畠駅構内には今流行りの温泉施設があって、宿泊客は無料
ただ、温泉に行くには駅の改札前を通らないと行けないので、寝間着のままで と言うわけにはいきません(笑)

きょうの歩行距離は 約6㎞ 
初日から雨中行進では先が思いやられます

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’13-36 羽州街道を歩く その2

『嬉しいご案内』

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’13/10/28  月曜 第二日目 きょうの行程は「高畠から上ノ山まで」です 天候は晴れ

Bmp_6きょうもまた手抜きをしました
高畠駅から赤湯駅まで電車利用したのです
言い訳:この区間を電車利用したのは、目的地の「上ノ山」で少し時間をかけて散策をしたかったからなのです

行程中には名所・旧跡も無さそうですが、「上ノ山」に期待しながら、「赤湯駅」から歩き始めました
赤湯駅の駅舎もアーチを象ったモダンな駅舎です(写真はありません)

Dscn4171Dscn4173左:晴れ渡った青空を映す 高畠駅駅舎
米沢駅もそうでしたが、この高畠駅もチョーモダン

宿は向かって左側にあり、駅構内の温泉は駅舎内の右側にあり、宿泊客は無料で利用出来る仕組みになっています

右:「赤湯」は温泉場ですが、町を歩いていてもその雰囲気はありません
ただ、こんな足湯がありました
子供が浸かっていたので、「暖かそうだねぇ」「ウン 暖ったかいようぉ」
私には浸かる余裕がありませんから そのまま素通り

Dscn4177Dscn4179_2左:ススキの遥か先には、名も知らぬ山々が連なって長閑な歩きが続きます

右: 紅葉も 黄銅色で 地を覆い

 

 

Dscn4180_2Dscn4181_2左右:途中の「中川駅」近くにあった 石橋 ですが、何か由緒がありそうな良い雰囲気の橋がありました
調べてみたら・・・
『吉田橋と言い、南陽市小岩沢の前川に架かるアーチ式の石橋で、1880年(明治13)に竣工した。
全長9.0メートル、幅員6.4メートルで、アーチの高さは8.8メートルである。
橋の欄干は、コの字型の石を1段目と2段目でずらして組み、両端の親柱は奇岩を模して自然石のように仕上げている。
また、橋を支えるアーチも美しい石橋である。
1968年(昭和43)10月、南陽市指定文化財に登録された。
吉田橋は、今でも原型をとどめ山形県の県道として利用されている』

Dscn4178Dscn4183左:野良仕事をしてる人がいたので パチリ
何しろ人が居ない 歩いてる人は皆無 チャリの人はタマ~に
この写真も人が居て珍しかったので撮りましたが、手前の花を入れたら 人が遠くなってしまい残念

右:手の届く所に柿が よほど頂いてしまおうかと思いましたが、渋柿では困るので諦めました

Dscn4186Dscn4188_2 左右:国道からの風景
こんな道路標識でも もう直ぐだな と思ったり、秋田はまだ先かぁ そろそろ飽きてきたなぁ と感じたり
それと、歩道が広すぎると思いませんか?
人もチャリも通らないのに・・・

どの辺りか記憶にないのですが、山が大きくなってきたようで、こうこなくっちゃ 街道歩きは面白くありません

個人的な感想ですが、山を見ると落ち着くのは何故なのでしょう
こういう時のアップダウンはそれほど苦になりません 
勝手ですねぇ

Dscn4190Dscn4198_2 左右:時々このような石仏に出会いますが、もちろん由緒などの説明はありません

いつ頃造られた石仏なのかも全く読み取れません 
或いは彫られていないのかも知れません

Dscn4200_6 Dscn4202_2 左:私が泊まる上ノ山の宿の玄関ですが、これにも何か由緒がありそうですが、聞くのを忘れてしまいました(笑)
そして今は使われていないようでした

右:上ノ山城・・・上山城は城郭型郷土資料館として昭和57年に開館し、多くの市民・観光客の皆様から親しまれお陰さまで30周年を迎えることができました と説明されています

Dscn4203_3 Dscn4204_2 左右:城から眺めた城下町「上ノ山」

Dscn4205 Dscn4208_3 左右:「武家屋敷」
説明によると・・・
『上山城(月岡城)が天文4年(1535年)に築かれると、その西・北部一帯は武家屋敷となり、この仲丁通りには、藩の要職にあった家臣が居住していた。
現存している4軒(森本家、三輪家、山田家、旧曽我部家)は、茅葺屋根、鉤型の曲屋で、玄関と通用口とを別にする武家中門造りの建築様式である。
4軒とも内外装の改築も少なく、武家屋敷として往昔の佇まいを見せ、当時をしのばせている。 (4軒とも市の有形文化財に指定されている) 』

  武家屋敷に 夕陽がさして かやぶき光ってる

Dscn4210_2 Dscn4211_2 左:「鶴の休石」
説明によると・・・
『かみのやま温泉は、別名「鶴脛の湯」と呼ばれ、長禄2年(1458)、肥前の国(現在の佐賀県)の月秀という旅の僧が、沼地に湧く湯に一羽の鶴が脛を浸し、傷が癒えて飛び去る姿を見かけたのがはじまりといわれています。
湯町にある「鶴の休石」は、その鶴が休んだ石だとか。
そこが、かみのやま温泉発祥の地とされています』

右:隣には足湯があり、この女性は帰りに大きなボトルにお湯を入れて帰るのだと言ってました

 

「東海道歩き」で身に付けた?鼻歌は今回も歩きながら多用しました 人が殆ど居ないので、そんな時は大声を出すこともありました けれどもザックを背負っての大声は長続きしません(笑)
希望 昔聞いたシャンソン ラストワルツ スタンドアローン その他 思い付くままに歌ってます
歌詞は殆ど判らないのでメロディーだけ

「徘徊」 は烏滸がましいので、これを改め 以後は「言葉遊び」とします

  二両編成の 奥羽本線に ススキが踊る
  停車場に 食堂もなく アカネ飛ぶ
 
   あの犬も ひと恋しくて泣く 柿の里
  この道も 行く人はなし 秋の羽州路

きょうの歩行距離 22.5 km

 

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’13-37 羽州街道を歩く その3

’13/10/29  火曜 晴れ
きょうの行程は羽州街道から離れて 「蔵王観光」をしてきます

Photo
面白いと言うか本当に? というサービスが有ったのですそれは、8時方向の上ノ山から、蔵王の火口湖(通称は「お釜」)の傍まで往復無料バスが運行されているのです 何故なのか回りの人に聞いても首を傾げるだけ

バスはマイクロバスですが満席で火口湖に向かいました

バスを降りると、そこはリフト乗り場で、これは有料です
それほど寒いとは思いませんが、やはり風は冷たい

帰りのバスは「猿倉スキー場」で降ろしてもらい、エコーラインを「黒沢温泉」まで歩いてきました
歩いた理由は、このままバスで上ノ山まで下ってしまうと、宿へ着くのが早過ぎるから とはなんと贅沢な旅なのでしょう(笑)

Dscn4227

これが蔵王火口湖で、通称「お釜」と呼ばれています
  緑色の 火口湖には さざ波もなく

Dscn4324

火口湖をパノラマに合成してみました

Dscn4218Dscn4245 左右:蔵王のどの辺りなのかサッパリ判りませんが、黄葉も進んでるよう

ですがモミジの赤は少ないようです

Dscn4244

Dscn4247_2 左右:エコーラインを下っていると、バスからでは見えない風景があって、結構楽しめるものです

Dscn4248

Dscn4249_2 左右:山歩きをしているとこのような沢に出会いますが、ここ覗いていると、あの当時のことが思いだされます

「沢歩き」・・・若い頃には「丹沢」の沢歩きによく行っていたなぁ

Dscn4253 Dscn4255 左右:里の下りてくると、やはり蔵王は山岳信仰の山なのでしょうか、このような石塔があちこちに建てられていました

Dscn4258_2Dscn4251_2 左:里まで下ってきて初めて出会った人たちでした
お二人とも黙々と農作業しているので、声を掛けるのは止めました

右:季節を間違えたのか アジサイが咲いていました 
どう見ても咲き終わったものではなさそう

Dscn4265 Dscn4266 左右:下り終わった道すがら撮ったものですが、歩き始めた「猿倉」はどの辺になるのでしょうか・・・

今日の言葉遊び
  雲海の果てに 冠雪の 月山
  蔵王では 贅沢にリフト 草もみじ
  秋桜が 風にあおられて 娘を思う

きょうの歩行距離は 約13km

 

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’13-38 羽州街道を歩く その4

'13/10/30  水曜 曇り時々雨

Bmp_2 きょうの行程は、「黒沢温泉からさくらんぼ東根まで」

ルート図からはみ出していますが、7時方向の「黒沢温泉」から、山形市内を通り抜け、後は一路北に向かいます
キョリ測ソフトで約29㎞、天候は降り出してきそう
結果的には降ったり・止んだり でした

そこでお得意の手抜き 黒沢温泉の最寄りの「蔵王駅」から隣の「山形駅」まで電車を利用

目的地は「さくらんぼ東根(ヒガシネ)」へ向かいます
(「さくらんぼ東根」とはチョットふざけた名前のように聞こえますが、これがJRの正式駅名なのです)

ルートは山形駅からひたすら北上するわけですが、それにつれて道の両側に建つ家々も徐々に少なくなり、風景も見渡せるようになってきます

『平坦で退屈な道を歩きながら自分の中の二人が話を始めます・・・
一人の私が呟きます
 「こんな街道 それもマイナーのところを選ぶお前の気持ちが解らん
よほどお前は偏屈で 自己顕示欲の塊で 頑固者なのだろう」

すると、もう一人が
 「その通りかも知れないな その上 気も短いしな」

この二人の結論は、こんな単調で疲れる街道歩きなんていうのは、【アブノーマルな人間だから出来るのさ】 と言うこと
雨中の歩きはろくなことを考えません (苦笑)』

目的地の傍にケーキ屋があって、そこで珈琲が飲める と書いてあったので もちろん珈琲ブレイク
何しろ市街地を過ぎると 珈琲とは縁遠くなり、或いは飲めないと考えた方が良さそう というのが率直な感想です

まだ歩き始めたばかりだというのに、今日はなんだかとても疲れました

「さくらんぼ東根駅」の海抜は 110 m

Dscn4269_2Dscn4270_5左:蔵王方向を撮ってみましたが、山並みは直ぐに雲に覆い隠されてしまい、二度と姿を現してくれませんでした
こんな案配ではきょうの天候が心配

右:「羽州街道黒沢一里塚跡」
と彫られていますが、ご覧のように真新しい石柱です
   

    こんなとこに 一里塚跡あって 低い雲

けれども今回の歩き旅で初めて出会った「一里塚」です

昨日、エコーラインを一気に下ってきたせいか、両太腿が張っていて痛い

20131030_105515001_2 20131030_111901001_4 左:山形駅前大通り 正面が山形駅です

黒沢の宿を出ると 低く雲が垂れ込めイヤな予感
どころかポツリポツリ 得意の手抜きで一駅ですが蔵王駅から山形駅まで電車
もしも山形で雨降だったら ヒトカラ決定(笑)
山形駅のス○ーバックスで珈琲を飲みながら様子を見ることにしましたが、神は邪な私を許してくれず止みそうな雰囲気
仕方ない 歩き出そう

右: 「七日町御殿堰」と呼ばれている所で、チョット雰囲気があったので パチリ

20131030_113154001 20131030_113056001_4 左:「旧山形県県庁舎(国重要文化財)」
大正5年(1916)に竣工した近代建築。
今は「文翔館」と呼ばれていてる。
ここは一般にも公開されていて、コンサートなどにも使用されているという。
イギリス・ルネッサンス様式を基調としたレンガ造りの建築物

右: 「旧県会議事堂(国重要文化財)」
上の旧県庁と同時期に建てられてもので、旧県庁舎の左隣に建っています

Dscn4276_3 Dscn4277_2 左右:歩きながらの風景
どの辺りを撮ったのか無責任で申し訳ありませんが、私にも判りません

けれども山並みがある というのは気持ちが落ち着きます
昔の人が自然を信仰の対象にした事に繋がるのかも知れません

20131030_161047001_2 道沿いに たわわに実るリンゴ 誰も見ていないようなので手を伸ばせばゲット出来るのですが、我慢・ガマン・・・

  コスモスも 疲れ癒せず 冷たい雨

きょうの歩行距離 24.5km

 

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’13-39 羽州街道を歩く その5

'13/10/31  木曜 曇り

Bmp_4
きょうの行程は「さくらんぼ東根の宿から、尾花沢の宿まで」で、ルートは ほぼ一直線に北上します

東北特有の天候なのでしょうか、それとも何とか心と秋の空なのでしょうか きょうも午後から雨
昨日も雨に遇いましたが、鉄道沿線を歩いたのでイザとなれば手抜きができましたが、きょうのコースは鉄道から離れるのでその望みはありません

コースは平坦で、その上ほぼ直線
「遠くて近きは男女の仲 近くて遠いは田舎の道」
という言葉を思いだします

それでも周囲は 山が近くにあって落ち着くのですが、お疲れぎみなのか小休止する事が多くなりました

きょうの言葉遊び
  紅花を 思い浮かべて 芭蕉みち
  芭蕉も 汗したのだろう 尾花沢
  柄物の 割烹着きる 媼(オウナ)たち
  雨音が カーテン揺らすと 人恋し

歩き始めると直ぐにあったのが「与次郎稲荷社」

この先は 麩を作ったり店が幾軒か集中していて、「六田麩」として有名なのだそうです

後は平坦な道を真っ直ぐに歩くだけ
なので、めぼしい風景写真を載せることにします

Dscn4280Dscn4282左:与次郎稲荷社
この鳥居は、最上三鳥居の1つである室町時代に奉納された石造りの鳥居があり、東根市指定有形文化財かつ文部省指定重美術品に指定されているそうです

風雪に耐えさせるためなのでしょうか、このドッシリとした鳥居も珍しいので パチ

与次郎稲荷神社の創建には1つの伝説が由来となっています。
「関ヶ原の戦いで石田三成への恩義から中立を保った佐竹義宣は常陸国から出羽秋田へ転封となりました。
そこで義宣は秋田で久保田城(今の秋田城址公園)の築城を決めましたが、その地は元々狐達の住処でした。
ある日、義宣の夢枕に1匹の白狐が立ち、自分達の住むところを与えて欲しいと懇願したところ、義宣はそれを認めたので白狐は恩に思い、飛脚に姿を変え与次郎と名乗り義宣に仕える事にしました。

与次郎は秋田と江戸の間を6日間で往復するなど忠勤を励げんだ為、義宣から寵愛されていましたが、常宿だった間右衛門宅(東根市)で何者かに暗殺されました。
これは、仲間の飛脚が嫉妬心から殺したとも、与次郎が実は秋田藩の隠密で、幕府がそれを気づいた為殺したとも言われています。
遺体は間右衛門の娘で恋仲だったお花が密かにこの地へ埋葬しましたが、近所では災いが相次いで起こり、村人達は与次郎の祟りと恐れおののきました。
事態を重視した幕府はこの地に与次郎を祀るのを決めたと言います。」

右:意味ありげな標識
奥の細道で多分芭蕉はこの辺りを歩いたのでしょうね (まさかこの横道ではないと思うのですが どうなのでしょうか?)

Dscn4284Dscn4294_2 Dscn4294_3左右:所々にこのような石碑が建っていたり、このような祠がありますが、説明がないので由緒などは判りません

Dscn4291Dscn4292左:間近に迫ってきた冬将軍を迎え撃つ「家庭用?除雪車」

右:このような大きな家が目立っていました 割烹料理店なのでしょうか? よく判りません

Dscn4296Dscn4299左右:途中での風景
左の写真は、急ぎ足で歩く人が居たので パチリ  
私のお気に入りの1枚です と自分が言ってはいけませんね(笑)

Dscn4300Dscn4303左:名もない「笠懸け地蔵?」

右:私の背丈ほどの 「半鐘」  
だと思います

Dscn4306Dscn4307左右:歩きながらの風景

 

Dscn4308「尾上の松」
説明によると・・・樹齢約600年の名松
『もとは雌雄二株あって「相生の松」として旅人の足を止めたが、大正12年(1923年)に雄株が雪で折れ、同年植え継がれた そうです

余談ですが、天候の変化が目まぐるしいほどで、このような晴れているかと思うと いきなりパラパラと降り出します
これは東北特有なのでしょうか、それとも今年は不安定な天候なのでしょうか

Dscn4321Dscn4318_2左:尾花沢にある「芭蕉・清風歴史記念館」

『尾花沢にて清風と云者を尋ぬ
かれは富るものなれども、志いやしからず
都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る

  涼しさを我宿にしてねまる也
  這出よかひやが下のひきの声
  まゆはきを俤にして紅粉の花
  蚕飼する人は古代のすがた哉 曽良』

以上は 奥の細道から抜粋です

右:記念館にあった「芭蕉像」ですが・・・

  
    何となく 若い時に似てて ほくそ笑む 

とは言い過ぎでしょうか(笑)

きょうの歩行距離 約20.5km

 





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’13-40 羽州街道を歩く その6

'13/11/1  水曜 晴れ

Bmp_3 きょうの行程は「尾花沢から新庄まで」

今日までで6日間過ぎましたが、晴れは3日だけ 勝率は5割 もっと勝率が上がると良いのですが・・・

昨日までは 「近くて遠いは田舎の道」 でしたが、尾花沢を出ると様子が変わり 家数が少なくなり、道も緩やかなアップダウンが続くようになりました
登れば必ず平らになる うまくすれば下り坂かもしれない と励ましながら歩いてますが、小休止ばかりが多くなってきました

ただ きょうのコースにはトンネルがあるので、この区間は手抜きを決め込んでいます 
区間は芦沢駅から舟形駅までの乗車時間は5分間

手抜きのお陰できょうの歩行距離は 19.3 キロ
新庄に着いたのが 14:30 頃

この後は 勿論ヒトカラで これは予定の行動ですよ(笑)
タブレットでカラオケを検索し、シャワーを浴びたら目的地へ直行しましょう


例の言葉遊び
  雪囲い準備して 来る雪を 迎え打つ
  半月も すれば舞い来るのか 白い使者


追記
きょう 歩きながら無意識に歌ってたのが
 ♪日の丸鉢巻き 締め直し
  グッと握った 操縦かん
  万里の怒涛 飛び越えて
  行くぞ ロンドン ワシントン

子供のときに歌ってのですが、無意識であっても悲壮な気持ちで歩いているのでしょうね(苦笑)

Dscn4324Dscn4326 左右:尾花沢で泊まった宿の女将の手作りだそうですが、あまりの出来映えに思わず パチリ

Dscn4334Dscn4335左右:点在している家々も雪囲いをして 襲来する冬を迎えるのでしょう

Dscn4333 Dscn4341 左右:途中での風景

Dscn4337 Dscn4338 左:クルミの天日干しをしていたので、雪のことを聞いてみたら
「普通は11月中旬には降り始める そして2mくらい積もる」
と言っていました

右:   庚申に 貰ったリンゴ供え 無事祈る

とは虫が良す過ぎるかも知れませんね(笑)

Dscn4339 Dscn4343 左:途中での風景ですが、この枝を見ていると相当強い風が吹き付けるのでしょうね

右:心なしか 山が近くなってきたような気がします

Dscn4344 Dscn4345 左:「陸羽東線」の踏切ですが、「羽州街道踏切」と書いてあって、何となく嬉しくなってしまいました
単純な男ですねぇ(苦笑)

右:「一里塚の石柱」

Dscn4348Dscn4350左:遠くに雪化粧をした「月山(出羽三山の一つ)」が見えてきました

右:まだこんなに明るい内に「新庄」に着きましたが、電車利用をしたお陰ですね(笑)

宿でシャワーを浴び、「ヒトカラ」へ行ってきました
カラオケの成果 
「スタンドアローン(坂の上の雲 テーマ曲)」の点数が 87 点で、今までの最高得点
こんなことがなければ、アホらしくて歩いてなんていられませんやぁ(爆)

きょうの歩行距離 約16km

 

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’13-41 羽州街道を歩く その7

’13/11/2  土曜 晴れ

Bmp_7

きょうの行程は「新庄から真室川温泉まで」

朝から霧が濃く、きょうの天候はどっちへ転ぶのか?
10時頃から青空が見えはじめ 午後からは快晴
相変わらず長袖は捲って歩いてます

新庄からは ほぼ直線の国道をヒタスラ北上
10時半頃 ヤット国道から解放
その交差点近くにショッピングセンターがあったので 昼食(弁当)をどうするか一瞬迷ったが、まぁコンビニくらいはあるだろう それに いま弁当を買ったら荷物になって困る 

この判断が失敗
旧道を歩いていると、コンビニどころか店が無い だから食堂も何にもない(ここに住んでる人達はどうしてるのでしょう)
尤も家もまばらですから 私が心配することもないでしょうが・・・

20131102_09353500120131102_095001001左右:今朝はこのような濃霧の中を歩き始めました
歩いていて判ったこと・・・無精髭は霧で濡れることを発見 初体験でした

幸いなことにこの後は晴れ ヤハリ晴れてないと歩く気がしません

Dscn4353Dscn4355_2

「旧矢作家住宅(国重要文化財)」
史料がなく、住宅の建立年代など明らかではない
建物の規模からは一般農家と見られ、構造手法などから建立は18世紀中頃と推定される。
19世紀初項に中門部分の建て替え、明治中項と大正初期に改造増築が加えられていたが、古い形に復元された
(この文化財は、ルート図の中央やや右にショッピングセンタがありますが、この右に建てられています)

Dscn4357 Dscn4367 左右:家の雪囲いもそうですが、木々への囲いも疎かにはしていないようです
幾人かの人に雪のことを聞きましたが、昨日と同じで
「11月半ばには降るでしょう 積雪は 2mくらい」と同じ答えでした

Dscn4361 Dscn4373 左右:歩きながらの風景ですが、相変わらず 山の名前は判りません

Dscn4364Dscn4368 左:路傍にあった「庚申塔」

右:同じように 路傍にあった地蔵尊

何れも説明などはなく、地元の方達によって崇められ、守られているのでしょう
こういうところは今まであるいた街道とは違っていて、観光ではなく地元の人たちのものである という雰囲気が伝わってきます

Dscn4370Dscn4372 珍しく電車が走ってきたので パチリ
これは奥羽本線ですが、殆どが2両編成です

時にはワンマンカーというのが有って、駅でのドア開閉は運転手に近いドアが1カ所だけが開くだけ
初めて乗った時はこのことが判らず、慌ててしまいましたが、教えてもらい下車することが出来ました 
この事は車内放送してるのですから聞いていれば と反省しましたけれど(笑)

昼食はショッピングセンターで買わなかったので、いつも非常食用と持ち歩いてるチョコバーで済ませました

この間の風景は・・・
  杉林 荒れ野にススキ ほかに無し
  15時52分 一日一本の バスが通る
  立ち小便も 気兼ね要らずの 枯れススキ
  時々通る 電車眺めて 何故かホッとする 

ルート図で言うと、ショッピングセンターの近くから西に向かう鉄道線路沿いの道では、とうとう人に出会うことがありませんでした

Dscn4375 Dscn4380 左:遠くに雪を頂いた「月山」が見えてきました
もう一つ、ぜひ見たいと思っていたのが「鳥海山」ですが、残念でしたが一度もその姿を見ることが出来ませんでした

右:真室川
この土手に腰を下ろして 一服&大休止

   真室川の 流れに舞うのか 鷺一羽

Dscn4388 Dscn4389 左:真室川駅の近くにあった「正源寺 山門」

右:境内にあった見事な紅葉

Dscn4393 Dscn4396 左右:真室川駅から右折して、真室川温泉への途中の風景

山々も紅葉しているような色合いが見て取れます

Dscn4397 Dscn4390

左;今夜の宿「真室川温泉」
ここは日帰り入浴と宿泊が出来る いま流行りの施設です

右:写真が前後しましたが
「JR真室川駅駅舎」
何故こんなデザインにしたのか聞いたら、前市長が 「町のシンボルにしよう」 という発想なのだそうです

Dscn4399 宿の部屋から眺めた 「月山」の夕景です

きょうの歩行距離は 約22.5km


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’13-42 羽州街道を歩く その8(その1)

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'13/11/3  日曜 降ったり晴れたり

きょうの行程は「真室川温泉から湯沢まで」
《ルート図は全区間入らないので院内駅まで で、(その1)としました》

天候は降ったり止んだり 照ったり
と目まぐるしく変化
今日の私のコース取りも気まぐれでした

疲れてるのか、ザックが重く感じます
カメラとタブレットで  1,5  キロ以上あるのですから

   9キロの ザックの重さ 8日目の朝


真室川ではポツリ ポツリ
これで戦意喪失 隣駅まで手抜きと衆議一決(笑)

隣駅(釜淵駅)から取り敢えずの目的地 及位(ノゾキ)駅まで歩くことにしました

道は舗装2車線ですが、たまに車が通るだけ
人は集落に入っても殆ど見掛けません
救いは考えていたよりも登りが厳しくないことです

   街道の 風情もなくて 集落を過ぎる
   意味もなく 涙流れて 枯葉が落ちる

   意地張って 歩き続ける アホらしさ
      黄葉の山も ただ冬の訪れ  
        (もうヤケッパチです 笑)

及位駅まで来ましたが、これから先はトンネルがあるので電車利用は予定の行動
予定では隣駅(院内駅)から歩く予定でしたが、ここも手抜きで2つ先の駅(横堀駅)まで電車利用

Dscn4411_2Dscn4413左:釜淵駅前通り(真室川駅の次の駅) ですが、静か過ぎるほど

右:駅前通りを抜けると、そこはもう山村風景

Dscn4414Dscn4416左右:歩きながらの風景

  車が遠ざかると 自分の足音

Dscn4420Dscn4421左:名も知らぬ集落ですが、家の造りはどの家も新しそうに見えます
何故なのかは判りませんが・・・

右:紅葉した木々が見える山村

Dscn4426Dscn4431左:ルートは奥羽本線沿いに歩くので、時々このような線路に近付くこともあるのです

右:偶然 通っていった奥羽本線ですが、車体や色合わせなど美しい
特急電車なのでしょうか?

Dscn4432 Dscn4438 左:これも名も知らぬ集落ですが、 人々は何処にいるのでしょう

右:「戊辰の古戦場跡」
調べてみたら・・・『慶應4年(1868)7月11日、新政府軍は秋田藩領から三方(院内・雄勝峠・有屋峠)に分かれて攻め込んできた。
当時はトンネルなどなく、雄勝峠ルートを採用した新政府軍本隊は攻めあぐんだが、新庄藩の離反もあり仙台藩軍は潰滅することになった』
こんな所にも戊辰戦争の傷跡があったのには驚きました

蛇足・・・以前、出羽三山の湯殿山近くを歩いて時(六十里越街道)にも、このような遺構が残っていたことを思いだしました

Dscn4446 Dscn4447 左:正面左に見えるトンネルを抜けると、「及位(ノゾキ)駅」に近付きます
幸いなことにトンネル内には歩道があったので ヤレヤレ 
歩道のないトンネルは本当に恐ろしい

右:トンネルを抜けたときの風景
正面に道路がありますが、これは歩道が未だない時のトンネル迂回路だと思います 
なので今は通行止めになっています

Dscn4450 Dscn4452 左:及位(ノゾキ)駅の駅舎

及位の由来 その1
『その昔、修験道と呼ばれる日本古来の宗教がありました。
山へ籠って、悟りを得ることを目的とする荒々しい修行を積むのです。
その実践者を修験者、または山伏と呼びます。
修験道が盛んだったころ、修験者たちが行う終業の一つに「のぞきの行」がありました。
「のぞきの行」とは、「険しい断崖の端から宙づりになり崖の横穴をのぞき込む」、「肩に縄をかけて腹這いになった修験者の半身を前に押し出し、数百メートル下の谷底をのぞかせる」とい恐ろしい修行。
その恐怖は想像に絶するものだったに違いありません。
この厳しい「のぞきの行」を全うし、「高い位に及んだ」修験者の位を「及位」と呼ぶようになり、地名の由来になったと伝えられています。
元は「覗く」行動からつけられた地名が、まったく別の漢字を使用することで高尚なイメージさえ持っていると感じられます』

その2
『及位は真室川や朴木沢川のつくった狭い谷平野にあります。
ここは「覗(のぞ)く」という行為から名付けられたのではなく、除(のぞ)くという意味で、山肌が浸食された谷の意味だろう』 

の説があるようですが、何れにしても「及位をノゾキ」と読むのは マァ無理のようです
                                

右:及位の集落 それでも昔は宿場があったそうです

  【その2 に続きます】

 

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’13-43 羽州街道を歩く その8(その2)

'13/11/3  (その1)の続きで、(その2)として「院内から湯沢まで」

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及位駅まで来ましたが、これから先はトンネルがあるので電車利用は予定の行動でした

予定は「小野小町堂」へ行くことと、小町堂の近くに「道の駅」があることが判っていたので、昼飯を食べることだったのです


きょう歩いた街道にも昨日と同様 食堂もコンビニも有りませんでした

けれども久し振りに寂しい と言うか 静かな思いをした一日でした

これで秋田県に入ったわけですから、あとは青森県だけが残りゴールが見えてきました(笑)

Dscn4459左右:「小町堂」
Dscn4461
小野小町の伝説・・・
『小野小町は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人です。
クレオパトラ、楊貴妃と並び世界三大美女の一人に紹介されます。

しかし、小野小町は、謎が多い伝説の女性なのです。
小野小町の出生地としては、秋田県湯沢市小野(旧雄勝町小野)、福島県小野町、熊本県植木町などがあり、没地としても、秋田県湯沢市(旧雄勝町小野)、京都市市原の小野寺などいろいろな伝説が残されています。
しかし、生まれは秋田県という説が主流となっており、それは、美人の多い地でもある秋田から想像されたものと考えられています。  

小野の里には、次の伝説が残されています。 
小町は、出羽国福富の荘桐の木田(現在の湯沢市小野字桐木田)の地で、都から赴任してきた郡司小野良実と地元有力者の娘との間に生まれ、13歳で都に上るまでこの地で過ごしました。  
良実の教育と生まれ持った才能により、都でも通用する様々な教養を身に付け、その中でも和歌は特に上達したといいます。
任期を終えた良実とともに上京した小町は、美しい容姿と才能を活かし宮中に仕え、歌人として活躍しました。

しかし、なに不自由なく暮らした20年余りの宮中生活をやめ、突然、小野の里に戻ったといいます。
深草少将との恋物語  京では多くの男性との浮名を流した小町でした。
中でも小町に特に思いをよせていた深草少将が、突然都から姿を消した小町を追って下京してきました。
少将は小町に会いたいと手紙を送りますが、小町はすぐには会おうとせず、芍薬を毎日1株づつ100株植えることを条件とします。  
百日目の夜、約束どおり100本の芍薬を植えた少将は100本目の芍薬を手に喜んで小町に会いに行こうとしますが、その途中で水かさの増した川に流され亡くなってしまいます。
小町は深く悲しみ99本の芍薬に99首の歌を捧げると、人目を忍んで余生を過ごしたと言われています』

Dscn4464 Dscn4460 左右:小町堂へと帰って行く小町さん

   小町さんも 雪囲いされ 京恋し

この小町さんを目の当たりにした私は、歩く気力を奪われてしまい、横堀駅から湯沢駅まで電車利用したことを告白します(笑)

この日 夕方の4時頃から また雨  
天 或いは私は 小町の呪縛に掛かってしまったのだろうか? 全くよく降ります(笑)

きょうの歩行距離 約24.0km
(言い訳:真室川駅から釜淵駅まで電車利用したことは正解 
もしこれも歩いていたら 湯沢 に着くのは暗くなり、雨に降られていたかも知れない)

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